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王子様、焦る。 後

重たい感触の赤い緞帳を跳ね上げると、目の前に立ちはだかったのはアルフォンスだった。驚いて一瞬足を止めたラズウェルは、次に怒りの形相でその襟元を掴み上げる。

「おい、どういうつもりだ!」

低く恫喝する声にこたえた様子もなく、アルフォンスが笑みを浮かべる。

その何事にも動じないさまは、学院の時からいけ好かなかった。

「どういうつもり、とは?」

「何でお前がフェリシアと一緒にいる!?」

「頼まれたからさ。一緒に行ってくれって」

「なんだと!? 誰からだ!」

ますますいきり立つラズウェルを挑発するように、笑みが深くなる。

「だからさっきも言っただろう、フェリシアの父上からだと。べつにおかしいことじゃないだろう? 僕らは親しい。少なくとも、君よりはね」

その、事実を端的に述べた言葉に、かっとなって拳を握る。

「お前…っ!」

「おっと、殴られる筋合いはないと思うよ。聞くけど、そういう殿下は、彼女とどういう関係なんだい?」

余裕の態度で反問されて、ぐっと言葉に詰まった。


たまたま転がり込んだ辺境の屋敷で知り合った、伯爵令嬢。顔を見れば挨拶程度はするが、普段は会わない。手紙のやり取りもしない。

ただの、顔見知り、だ。


なぜこいつなんだ。なぜ俺ではないんだ。もう遅いのか。手遅れだったのか?


…それでも。


「それでも、お前にフェリシアを譲る気はない!」

「物じゃないんだけどねぇ。第一、本人がどう思っているのかもわからないのに、譲るも譲らないもないだろうに」

やれやれと肩をすくめたアルフォンスが、やんわりとラズウェルの手をはずす。

「な、なんだ?」

力を込めていたはずの腕を、いとも簡単にはずされて目を丸くするラズウェルに、アルフォンスは笑う。

「人間の体にはツボがあってね。強く圧迫すると、力が入らなくなる場所がある。それではずしたんだよ」

なるほど、医術を学んでいるだけはある。それを涼しい顔でやられると、またむかっ腹が立つのだが。

だが、あしらわれたことに苦虫を噛み潰したような顔をしていると、アルフォンスが腹を抱えて笑い出した。

「な、なんだ?」

「あー、おかしい。いつも尊大だった君のそんな顔が見られるなら、この役を引き受けた甲斐があったかな」

目尻に浮かんだ涙をぬぐいながらの言葉が、いちいち癇に障る。

「なんだと!?」

「おっと。そう怒らないでくれないか。これはさるお方から依頼されたことだよ。僕に感謝こそすれ、殴りかかるようなことは出来ないはずだけど?」

「どういうことだ!」


自分は、はめられていたのか、この男に。

けれど、何のために? 何の目的で? 誰の差し金で?


「要するに、君を煽れと要請されたって事。フェルニール家とうちは、祖母の代からの親戚関係にある。フェリシアとはいわば幼馴染で妹みたいなものだよ。まして僕には結婚間近な婚約者がいて、あの子ととどうこうなんて考えたこともないね」


フェリシアと自分を煽って得するのは誰か。フェルニール伯だろうか。だが、彼はそのような人物には見えなかった。そんな野心があったら、あんな片田舎に引っこんでいるわけがない。

…と、なると。


意味ありげな母の様子を思い出す。ということは、手を回したのは母か。いや、もしくは父経由で母か? 宰相のルートも考えられる。

あるいは…その全部か。

いずれ、今回の結婚問題に絡んでいることは間違いない。

まさかとは思うが、フェリシアとの出会いも、仕組まれていたものだったとしたら?


「くっそ、余計なことしやがって…!」

「確かに余計なことだとは思うけど、そうされる覚えは、学院時代から多分にあるんじゃないか? 殿下」

毒づくラズウェルに、アルフォンスが応える。からかうような口ぶりではあるが、その目は笑っていない。


そうだ、こいつは昔から、無害そうな顔をして、したたかで腹黒い奴だった。


それを思い出し、こちらも体勢を立て直して、アルフォンスに向き直った。

すると、相手も胡散臭い笑みを消し去り、射るような視線でラズウェルを見据える。


「本当は、そういう手癖の悪い男に、かわいい幼馴染を渡したくはないんだけれどね。だから、頼まれたとはいえ、この場はお預けにしておきたいくらいだよ」


アルフォンスは痛いところをついてくる。それを持ち出されてしまえば、ラズウェルには反論するだけの正当性はない。ちっと舌打ちをして黙りこむ。

「けれど…見たところ、殿下。あなたは、フェリシアに心を奪われている。そこに、状況酌量の余地はあるかな」


不意に、アルフォンスがそれまでの冷ややかさを捨ててにこりと笑った。

ばれているなら仕方がない。この圧倒的に不利な状況でこれ以上突っ張ったところで、こいつを相手にどうにかなるとも思えない。


ラズウェルはため息をつき、敗北感いっぱいで口を開く。

「ああ、その通りだ。俺は、フェリシアに落ちた。その手も、瞳も、声も、唇も。すべてが俺に向いていないと気がすまない。お前に寄り添っているあいつを見て、どれだけ頭に血が上ったか、お前にわかるか!?」

「はいはい、わかった、わかったから落ち着こうよ。君ただでさえ暑苦しいんだから、そんなに詰め寄らないでくれる?」

「うるさい、ほっとけ!」

言っているうちにやっぱり激昂してアルフォンスに詰めよれば、心底嫌そうにあしらわれて憮然とする。

だが、彼は仕方なさそうに笑い、ラズウェルの肩をぽんとたたいた。

「と、いうわけで。僕は飲み物を取ってくるから、席をはずすよ。そうだね、その途中、誰かに捕まってここに戻るのが遅くなるかもしれない。その間あの子を一人にしておくのは不安だし、相手を頼めるかい? 殿下」

「…クソ」


完全にしてやられた形のラズウェルは、そうして小さく悪態をつくのが精一杯だった。それを見てアルフォンスは笑いを堪えながら去っていく。

忌々しげに小さく舌打ちをして、ラズウェルはバルコニーに出た。

ホールの喧騒から遠く、人ごみでぬるくなった空気を振り払い、すうっと清涼な酸素を胸に吸い込んで、ラズウェルはそこにたたずむ小柄なドレス姿を見つめる。

物音に気づいてか、華奢な背中が不意に振り返った。


「アル、早かったわね…って、ラズウェル様? アルは?」


風に煽られ、夜空にふわりとなびく白金の髪が、まるで月の光を溶かしたようだ。アメジストの大きな瞳が見開かれて、その瞳に自分しか映っていないことに、ひどく満足感を覚える。

…そのかわいらしい唇から、自分以外の男の名前が飛び出すのが、ちょっと、いやかなり不愉快ではあったが。


「アルフォンスなら、飲み物を持ってくる間にお前の相手をしてろとさ。…一か月ぶりだな。そういう姿でいると、見違える」

「ありがとうございます。でも、こういうドレスは着慣れなくって、困ってしまいますわ。動きにくいですし…」


そういいながら自分の格好をどこか拗ねたような表情で確かめるフェリシアには、まだ幼さが残る。

だが、幼すぎるほどでは全然なかった。女性としての色香も徐々に漂わせているようで、まるで咲く寸前のみずみずしい花のつぼみのようだと思った。


「あー、その、よくに、似合っている…」


女性を褒める言葉など、散々言いなれていたはずなのに、改めてそれを伝えるのがどうにも気恥ずかしくて、ラズウェルは微妙に視線をそらす。

今まで女性にささやいてきた言葉が、どれだけ上辺をなぞっただけのものであったのかが知れて、若干後ろめたい気分になった。

けれど、フェリシアがふわりと微笑んだおかげで、そんなものは瞬時に霧散したけれど。


「ありがとうございます。ラズウェル様は、王軍の正装ですの? 初めて見ましたけれど、とっても素敵ですわ。威厳や気品があるように見えますもの」

「お前な…相変わらず言葉のチョイスが微妙な奴だな」

褒められたのかけなされたのかがいまいち判別できない一言に、ラズウェルはがくりと肩を落とす。

「黒がお似合いですのね。すごく堂々としていて、なんだか…前にあったときと、別人みたい」

「何を言ってるんだか…。俺は俺だ。変わるわけがないだろ」

苦笑すると、なぜかフェリシアがすっと視線をそらす。

いぶかしく思うまもなく、フェリシアがドレスのスカートをちょいと摘んだ。


「ツナギで出たらだめかしら?」

「…は?」


突拍子もない一言に、目が点になる。


「装飾品をつけて、ビーズやスパンコールを縫い付けて、少し豪華にしたらだめでしょうか? 奇抜なドレスって認めてもらえるかもしれないし!」


さもいいアイディアを思いついたといわんばかりにきらきらしい笑顔を浮かべるフェリシアに、ラズウェルは頭痛を覚えて思わず額を押さえる。


「また始まったか…。そんなもの、いいわけないだろうが! どんなに豪華にしようと、ツナギはツナギだ!」

「だって、歩くのもダンスも、裾がまとわりつくのが嫌なんですもの」

「だからってそれがどうしてツナギで夜会になるんだお前は!? 大体、屋敷ではドレスだっただろうが!」

「あの時はお客様がいらしていたので、父に言われて仕方なくですわ。面倒ですし」

「その客の中には一応王太子の俺がいると知ってたくせに、まるっきり無関心とはいい度胸だな」

「顔を合わせるかもしれないから、せめて屋敷の中にいるときくらいはドレスを着ていろと、お父様に叱られましたの。そうでなければ着たりなんかしませんでしたわ。そもそも、ラズウェル様が気まぐれを起こさなければ、私などとわざわざお会いになろうとなんてなさらなかったくせに」

「俺のせいか!?」

「違うんですの?」

「違うだろ! なんなんだお前は! 相変わらず口の減らない奴だな!」

「もう、すぐ怒る…」


小気味いい応酬の後、拗ねたようにぷうっと膨れた頬が、月明かりに白く浮かび上がる。

触れてみたい誘惑に抗えず、指を伸ばし、そっと触れて、その滑らかさに息を呑んだ。


「…ラズウェル様?」

大きな瞳で無邪気に見上げられて、我慢できなくなった。

その細い手首を捉えて、引き寄せる。

「きゃ…!」

小さな悲鳴を上げた少女を、腕の中に閉じ込めた。ふわふわの白金の髪に鼻を埋めると、淡い花の香りがして、頭の芯が重くしびれる。居心地悪そうに身じろぎする細い体を、逃がさないようにきゅうっと腕に力を込めた。

「ラズウェル、様。…少し、苦しい、です」

「ああ、…すまん、少しこのままで…」

少しだけ力を緩め、かすれた声を耳元に送り込むと、もぞもぞと動いていた体がぴたりとおとなしくなる。


華奢な肩、細い腰、髪に隠れてはいるが、大きく開いた背中は滑らかで、手放したくないと言う欲求が、いっそう強くなる。

もしも出会いを仕組まれていたのならば癪ではあるが、悔しいが仕組んでくれた誰か(おそらくは両親と宰相であろうが)に感謝してやってもいい。

フェリシアが花嫁候補に名を連ねているのならば…ラズウェルの答えは一択だ。


フェリシアがいい。フェリシアが欲しい。それ以外はどの令嬢も同じ、訓練用の案山子以下だ。


まだ大人になりきらない、それでも充分柔らかな女の体を抱きしめたまま深いため息をつくと、一瞬フェリシアの体が硬くなる。

「…これ以上は何もしない。おとなしく抱かれてろ」

まだ離したくなくて、そう命じる。

けれど、その口から出た言葉は、やっぱりラズウェルの想定範囲を超えていた。


「あの…」

「なんだ?」

「当家のウサギを、お貸ししましょうか?」

「なんでそうなる…」


脱力したい気分を堪えて、ため息混じりに呟くと、フェリシアが腕の中でラズウェルを見上げる。

身長差があるので、フェリシアはほとんど上を向かなければラズウェルと視線を合わせられない。

けれど、ラズウェルの方は、そのピンク色に艶めく唇に目を奪われる。

あああ、キスしたい。


「だって、なんだかお疲れになっていらっしゃるように見えますわ。かわいくてもふもふの生き物を愛でれば、少しは癒されるかと」

「そんなもんで癒されるわけないだろうが! 俺は婦女子ではないし、子供でもない!」

「では、私にどうしてほしいんですの?」

「っ、それは…」

「どうしてこんなことをなさるんですの?」


そのまっすぐで打算のない視線を、どこか後ろめたさがある自分は見返せない。

無邪気な問いに言いよどめば、やはりあの日のように、フェリシアがつんと唇を尖らせる。


「ラズウェル様は、ずるいです。肝心なことは、何もおっしゃってくださらないもの」

図星を刺したその言葉に一瞬怯み、力が緩んだ隙に、するりと腕の中から逃げられる。


「フェリシア!」


だけれど、今度は前のように逃がしたくはなかった。

とっさに伸ばした手で、華奢な手首を捕まえて、また胸元に引き寄せた。


「ラズウェル様?」

見上げる顔が、困惑に揺れる。

そんな顔をさせたいわけじゃない。

けれど…どうしても手放したくない。


「お前がいい。お前が欲しい。俺を癒せるのはお前だけだ。その答えではだめか?」


好きだと伝えるにはまだ早い気がして、ごまかすように言葉を並べるが、少女は困ったように瞬きをするばかりだ。

いきなりこんなことを言われても理解できなくて当たり前だと、諦め混じりに肩を落とした。

けれど、諦めきれずに、いとおしそうにその滑らかな頬を大きな手で包む。

どこか焦れる自分を悟ってか、フェリシアの眉がきゅうっと泣きそうにゆがんだ。

「ラズ…様」


「ラズウェル、王妃陛下がお呼びだ。そろそろ戻ったほうがいいんじゃないか?」


そこで、絶妙なタイミングで声をかけられ、ラズウェルは詰めていた息を吐き出した。

多分、アルフォンスは計算して割って入ってくれたのだろう。でなければ、あのままフェリシアにキスしてしまいそうだった。

「ああ、わかった」

それは、時間切れの合図だ。今回の影の主賓である王太子が、長く会場から離れるわけにはいかない。

名残惜しげになめらかな頬から手を離す。離しざまに、指先でその最後の感触を確かめながら。


「フェリシア、驚かせてすまなかった。後はゆっくり楽しんでいくといい」


王子としての仮面をかぶりなおし、ラズウェルは気持ちを落ち着かせて、フェリシアに声をかける。大きなアメジストの瞳は、ぱちぱちと瞬きしながら自分を見つめるだけだ。


驚かせただけならまだいいが、もしや怖がらせてしまったのか?

それを確かめる時間も釈明する時間も、もうない。


後ろ髪を引かれながら、アルフォンスに、すれ違う一瞬、『助かった、すまん』とささやく。バルコニーから去り際、一度振り返って一瞬切なげなまなざしを投げて、ラズウェルの姿が緞帳の向こうに消えた。

「…あいつに興味がある?」

「え?」

いつまでもそちらを見つめて動かないフェリシアに、アルフォンスが問いかける。見上げた瞳には、困惑の色がありありと見て取れて、アルフォンスは小さく笑った。

「だってさ、君はウサギと家族以外の事にはとんと無頓着なのに、あいつには怒ったり困ったりしてる。初めて見たよ」

「…そう…なの…?」


自分をすっぽりと包み込む大きな体、息が苦しいくらいにぎゅうっと締め付ける腕、ふわりと香るフレグランスと、耳元に落ちる吐息、低い声。そして、いつも怒ってばかりいるような気がしていた彼の、ふっと笑った顔。それを見てから、なぜかどきどきして止まらない、自分の心臓。

初めて呼ばれた、名前。

それを一つ一つ思い出して、フェリシアは胸の中でぐるぐる渦巻くもやもやを消化しきれないまま、ラズウェルが消えた先を見つめていた。

いやー、こういうヘタレキャラは自分的に新境地ですw

さて、ラズは次回どんな行動に出るんでしょうかねー。


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