あんたじゃダメだ!
ある日、喫茶店で私は湯気の立つ湯飲みを前にしていた。
濃いお茶だった。
一口飲んで、「今日はずいぶん濃いな」と思う。
でも、それだけだ。渋みもまた、その日のお茶の機嫌なのだろうと受け入れる。
別の日には、少し色の淡いお茶が出てくる。
「ああ、今日は優しい味だ」
それもまた悪くない。
コーヒーも同じだ。
深煎りをこれでもかと濃く淹れた一杯は、夜更けの話し相手になるし、少し薄めに入ったコーヒーは、朝の寝ぼけた頭にちょうどいい。
濃くてもいい。
薄くてもいい。
飲み物というものは案外、こちらが歩み寄れる。
そう思っていた。
あの日までは……。
夏だった。
冷蔵庫から取り出したカルピスの原液を、誰かがすでに作ってくれていた。
氷の浮かぶコップを手に取り、一口飲む。
……薄い。
あまりにも薄い。
甘さは遠く、乳酸菌飲料らしいあの優しい酸味だけが、地平線の向こうから手を振っている。
「カルピスだったもの」が水に思い出だけを残して去っていったような味。
私はもう一口飲んでみる。
変わらない。
二口目でも奇跡は起きない。
「いや、これは……」
思わず原液のボトルを見た。
責めるためではない。
確認したかったのだ。
本当にカルピスだったのかを。
そのとき、ようやく気づいた。
お茶は、お茶という世界の中で濃淡がある。
コーヒーも、コーヒーという世界の中で濃淡がある。
どちらも薄くなっても、ちゃんと自分であり続ける。
しかしカルピスだけは違う。
一定の濃度を下回った瞬間、自分という存在を維持できなくなる。
カルピスは、カルピスであるための一線を持っている。
その境界線を越えたとき、それはもう『薄いカルピス』ではない。
『カルピスを期待して飲んだ水』だ。
私は静かにコップを置き、冷蔵庫から原液を取り出した。
少しだけ注ぎ足す。
白さが戻る。
もう一度飲む。
ああ、帰ってきた。
これだ。
これがカルピスだ。
お茶もコーヒーも、人に歩み寄る。
だがカルピスだけは譲らない。
「私は私だ。この濃さで会いに来い」
そんな頑固さを、白く甘い一杯は今日も静かに貫いている。




