第十四章 バームクーヘンの終わり 第一幕|層の歪み
輪郭の非対称
拡張重層域は、静かだった。
帯状に続いていた固着は、これまで通り、ひびに沿って淡く光っている。
だがその中央付近に、奇妙な変化が生まれた。
白い霧粒子が、円を描く。
ひびに沿うのではない。
地形とも無関係に、空間の一点を囲むように固着している。
輪。
裂土の上に、浮かび上がる円環。
ケインが足を止める。
「……中心、どこだ?」
円はある。
だが中心がない。
立ってみる。
内側に入る。
何も変わらない。
外に出る。
相関は同じ強度で続いている。
半径方向の差がない。
円環相関。
だが同心ではない。
裂土のひびとも一致しない。
空間に、ただ“輪郭”だけが現れている。
滴原上層制御環。
ミストラの前に、異様な相関分布図が広がる。
「円環発生……ですが、同心ではありません」
投影面に三次元分布が浮かび上がる。
通常なら、中心から外側へ減衰する勾配があるはずだ。
だが今回は違う。
半径方向の相関値が、ほぼ一定。
代わりに、円周に沿って微妙な変化が走っている。
「Δt、半径方向に変化なし」
彼女の指が波形を拡大する。
「接線方向に変動」
円をなぞる方向に、位相がずれていく。
ぐるりと一周する間に、わずかな時間差が積み重なる。
ゼロに戻らない。
一周しても一致しない。
ねじれている。
ロウが低く言う。
「層状ではないのか」
これまでのモデルでは、重層は同心的に積み重なると考えられていた。
内側、外側。
中心、周縁。
だが目の前の分布は、それを拒む。
円はある。
しかし断面にできない。
切れば、必ずずれる。
ミストラが解析を進める。
「三次元再構成します」
投影面が回転する。
円環が、ゆっくりと持ち上がる。
断面を取ったはずの図形が、縦に歪む。
帯がねじれる。
円ではない。
らせんに近い。
「……ねじれ構造」
彼女の声がかすかに震える。
相関分布は、層状に重なっていない。
巻き込まれている。
円環は平面ではない。
わずかに傾き、ひねられ、空間を横切っている。
Δtが、円周方向にずれていく理由が見える。
時間差が、半径ではなく接線方向に流れている。
つまり。
相関は内外で分かれていない。
流れている。
ケインが拡張重層域で足を動かす。
円環を横切る。
内側から外側へ。
変化はない。
だが円周方向へ数歩進むと、足裏の振動が微妙に変わる。
「……回ると違う」
リオが目を閉じる。
彼女の呼吸は安定している。
だが円環の上では、安定の“中心”が定まらない。
どこにも核がない。
全体が、均等に揺れている。
滴原上層制御環。
ミストラが小さく言う。
「層モデル、適合率低下」
数値が赤く変わる。
同心層前提の解析は、誤差を吐き出している。
ロウは画面を見つめたまま、静かに呟く。
「我々は、断面図で理解してきた」
世界を輪切りにし、積み重ね、整理してきた。
だがこの構造は、切れない。
切れば、必ずねじれる。
円環は中心を持たない。
層は平面ではない。
拡張重層域の白い輪が、ゆっくりと回転する。
音はない。
崩壊でもない。
ただ、モデルが崩れていく。
層の歪み。
それは現象ではない。
理解の歪みだった。
世界は、重なっていないのかもしれない。
ただ、絡まり始めているだけなのかもしれない。




