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Day8:無いなら作ればいい

九歳の秋。

一軸リールを思い描いてから、二年半の歳月が過ぎた。

進展らしい進展はなく、この一年は父さんの工房で手伝いばかりしていた。


任されるのはせいぜいヒンジや釘といった小物ばかり。

けれど、最初は水汲みや工具を渡すだけの下働きだったことを思えば大進歩だ。

赤く光る鉄を打ち据えるたび胸は高鳴り、火花の匂いを吸い込むと、逆に心は静まっていった。


父さんは、私が手伝うのをどこか誇らしげに見ているけれど、母さんは渋い顔をする。


「そんなことに夢中になったって、良い嫁ぎ先が見つかるわけでもないでしょうに」

朝食の支度をしながら、ぽつりとこぼした。


この日は、父さんの手伝いで、朝から水車小屋へ行くことになっており、いつもより朝食が少しだけ早い。

それも機嫌が悪い原因かもしれない……。


朝食を終えた私は父さんとともに、仕事道具の入ったカバンを背負って出発した。


川沿いにある、その木造の小屋は、轟々と鳴る水を受け、大きな水車を回し、大地を震わせていた。

外からでも圧倒されたが、一歩中へ踏み入れた途端、私は息をのむ。


小屋の奥では大きな歯車が低く唸り、横に渡された太い木の軸がごうごうと回転していた。

軸の先で噛み合う大型の歯車が一度まわるごとに埃が舞い上がり、梁の間から差し込む光を受けてきらめく。


そこにある歯車は、私が思い描いていた「歯の並んだ輪」とは異なっていた。

横軸に取り付けられた大きな円盤の外縁、その側面には、手のひらほどの長さ(十五センチほど)の棒が等間隔に突き出しているのだ。


その力を受け止めるのは、縦に吊り下がる樽形の小さな歯車だった。

棒に擦られた角は丸く摩耗し、深くくびれて黒い油に染まっている。

ゆるやかな縦回転が石臼へと伝わり、重い石が低い唸りをあげながら粉を挽いていた。


木壁に囲まれた狭い空間は、樹脂と粉塵の匂いに満ちている。

石臼の脇には粉が降り積もり、機械の息遣いのような振動が地面を伝って体に染み込んできた。

まるで小屋そのものが呼吸しているかのようだった。


「……すごい」


思わず言葉が漏れた。


父さんと二人、小屋の中で待つこと数分。

ギイと扉が開き、バルドおじさんと村長さんが姿を現した。

父さんと挨拶を交わし、私にもにっこりと会釈してくれる。


すぐに話は本題へ――摩耗の激しい樽型歯車の木製ピンを、鉄製に替える相談らしい。

今回わざわざ私を連れてきてくれたのは、その現場を見てピンづくりの参考にしろ、ということだったのだ。


私はカバンからメモ板を取り出した。


メモ板は、杉のような針葉樹をA4ほどの大きさに削り出したものだ。

表面は軽く炙って炭化させてあり、余分な炭は磨かれているので手に取っても移らない。

鉄のペン先で削れば、木の地肌がのぞき、白い文字が浮かび上がる。

使い切ったら表面を削ってもう一度炙る――そうして繰り返し使える仕組みだ。


父さんが計測し、私が計測結果をメモ板に起こす。


「……これは……、一定方向かからしか歯車はあたらないし、半月型でいいかもしれないな……。そうだな、そうしよう」

父さんが対話の様にぶつぶつと言うその姿は、職人そのものだった。


そうして、歯車の計測と鉄製ピンの設計まで終え、自然と水車小屋の話へと移った。


「去年の夏に大工のじいさんが死んでから、村に大工がおらんじゃろ。この水車小屋も、もうあちこちガタが来とるなぁ」

村長さんが言うには、この水車小屋だけでなく、村の家々もあちこちにガタが来ているらしい。


「そこでな、バルドが領都に行くたびに、大工の移住者を探してもらっておったのじゃ」


「そうそう。で、今回やっと移住してくれる大工一家が見つかってな、事前に修理規模を知りたいというから、こうして今回、水車小屋まで一緒させてもらったんだ」

バルドおじさんはそういうと、梁を摩りながら小屋の中を見回していた。



――――数日後

私は工房でヒンジを打ちながらも、頭の片隅はあの水車小屋にあった歯車のことでいっぱいだった。

父さんによれば、あれはクラウンホイールとランタンギアという仕組みらしい。

私にはただの樽に見えたけれど、格子状の骨組みを思い出すと――確かにランタンに似ていなくもない。


水車はあの形しかないのかと尋ねると、父さんは「田舎ではそれが主流だが、歯車の形は他にも色々ある」と教えてくれた。

現代日本人なら「歯車」と聞いて真っ先に思い浮かべる≪外歯車式≫も、この世界には存在するのだという。


大きな村や街ではそうした仕組みが使われ、ひとつの水車で複数の臼を同時に回すこともできるらしい。

その話に私は驚き、そしてふと前世の記憶を思い出す。


キャンピングカーは四駆がいいと考え、二輪駆動と四輪駆動の機構を調べていたあの頃。

胸の奥が、じりじりと焦げつくように熱くなった気がした。


歯車は回転を別の回転に変える仕組みだ。

大きさを変えれば速度や力の比率が変わり、噛み合わせを工夫すれば軸をずらしたり回転の向きを変えたりもできる。

――そうか、仕組みを掴めば応用は無限なんだ。


小さく精密な歯車さえ作れれば、一軸リールだって獲物に合わせてハイギアやローギアを選べるはず。


けれど現実は遠い。リールに使えるほどの歯車はあまりに精密で、今の私には到底作れない。

鋳造(ちゅうぞう)するにも型が要るし、そもそも鋳物の歯車では耐久性にも不安が残る。


「……考えてても仕方ない。練習だ。まずは大きな歯車から作ろう!」


私は食卓から木皿と弟のスプーンを拝借した。


砂型の中央に木皿の底を押しつけ、円盤の形を取る。

さらに弟のスプーンの柄を何度も押し当て、外縁に三十の窪みを刻んでいった。


そこへ溶かした鉛を流し込むと、じゅわっと熱気が立ち上がる。

冷えてから取り出したそれは、まだいびつだけど、間違いなく歯車だった。


「できた……!」


手にした鉛の歯車をじっと見つめる。どこかで見た形のような気がして、記憶を探った。

……その瞬間、


「自転車!」

そうだ。この歯車の形は、チェーンリング――自転車のペダルに付いていたものと同じだ。


――――前世で乗っていた折り畳み自転車を思い出す。

買ったばかりだったのに、あの後どうなったのだろうか。

胸の奥に、かすかな切なさが込み上げてきた。


そういえば、この世界で馬車以外の乗り物を見たことがない。

車なんて望めないけれど……自転車さえあれば、もっと遠くまで行けるはずだ。


目の前には、チェーンリングにそっくりな鉛の歯車がある。


「無いなら、作ればいい!」

拳を握った私の胸に、新しい目標が芽生えた。


母屋からは「自分のスプーンがない!」と泣き叫ぶ弟の声と、私を呼ぶ母さんの怒声が響いてきた。


……自転車を作ろう。そう心に誓った。

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