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Day55:絡み合う視線

 専攻が決まった翌週から、私の学校での日々は目まぐるしいものとなった。

それまでの穏やかな時間が嘘みたいに、毎日がばたばたと過ぎていく。


 まず、生徒はどの派閥であろうと専攻は自由に決められるのだが、以前エマさんが説明をしてくれたように、派閥に属する人間は何を専攻するのか、あらかじめ方向性が決まっている。

決まっているということは、専攻ごとに一つの派閥で固まっていると言うことに他ならなかった。


 私は今回、全部で六つの専攻を選んだ。

例年、二つ三つと選択する生徒もいるにはいるらしいが、流石に六つ選ぶ者はほとんどいないらしく、それだけで注目を浴びるほどだった。


 また、専攻を多数選択したこと以上に、複数の派閥を跨いだことで、より注目を浴びる結果を生んでいた。

やはり、派閥を跨ぐという行為は()()()()()()の様だ。


 そして本日、派閥会がそれぞれの派閥棟で行われる。

もちろん私も出席しなければならないのだが、どの派閥会に出ればいいのかで、揉めに揉めていた。

私がじゃなく、それぞれの勧誘者が。である。


 この日、食堂でいつものように昼食を取ろうとカトラリーに手を伸ばすと、エマさんとフィオナさんが私の方へ歩いてくるのが見えた。

楽しみにしていた昼食を目の前に後ろ髪をひかれながらも、立ち上がり軽く挨拶を交わしたあと、用件を伺った。


「本日、ナトゥーラの派閥棟で派閥会が行われます。

ユリカさんはご存じないかもしれませんが、専攻選択締切の翌週、水の日に毎年行なっている、決起会兼交流会のようなものです。

今回、ユリカさんも『マナ研究』を選択されたと聞きました。

ぜひご参加いただけませんか?」


 そんな行事があるのか、と胸の内で反芻しながら、私は頷きかけた。

承諾の言葉が喉まで上がった、その瞬間だった。

聞き覚えのある声が、穏やかだがはっきりとした調子で、私たちの間に割り込んでくる。


「エマ嬢。

彼女が選んだのは、ナトゥーラのものだけではない。

エコノミアの本流である『ルーン都市開発:基本』も専攻している」


 そう言って一歩踏み出してきたのは、リオン君だった。

新年祭以来、彼とはどこか距離ができてしまっている。

こうして間近で声を聞くのは、思えば久しぶりのことだった。

最近はエコノミア絡みの話も、すべてエリオ君経由で伝えられていたのだから、なおさらだ。


 彼の姿を目にした途端、新年祭での出来事が、波紋のように胸の奥に広がる。

私自身、少なからず気まずさを覚えていたが、もしかしたら、彼はそれ以上に感じるものがあるのかもしれない。

しかし、エマさん達と話をしている彼の横顔を、美しいと思ってしまう自分もおり、払拭するように頭を振った。


 そんな私の内心など意に介する様子もなく、彼は淡々と話を続けていた。

……少しだけ癪である。


「専攻内容の規模、社会への影響を考えると、ユリカは我らエコノミアに顔を出すべきではないのか?」


 その言葉が放たれた瞬間、空気がわずかに張りつめた。


()()()?」


 真っ先に反応したのは、フィオナさんだった。

しかも、思考を一切挟まず、音だけを拾っている。


「え? 今の、聞きました?

ユリカって、呼び捨てでしたよね?

あれ? 呼び捨てですよね?

いつからですか? ねーねー、いつからなんですか?」


 疑問が疑問を呼び、疑問のまま加速していく。

止まる気配は一切ない。


  その言葉を真正面から浴びて、リオン君の顔が、分かりやすいほど赤く染まっていった。

耳まで赤い。

それ見ていると、共感性羞恥なのか私まで赤くなり、二人同時に俯いてしまった。


「エマ様、聞きました? 今、この人ユリカさんのこと呼び捨てにしましたよ?

あー! ほら。今、二人とも、同時に俯きましたよ?」


 ……やめて。

お願いだから本当にやめて。


「え、これって、あれですか?

もしかして、本当はもうそういう……?」


 ……ぅぐ!

「最後まで言わせてはいけない」そう思った時、エマさんの物とは思えないほど冷たい声が聞こえた。


「あらあら。()()リオン様が」


 そう言いながら、エマさんは、ゆっくりとリオン君を見下ろした。

口元は柔らかく笑っている。

だが、その瞳には、一切の遊びがない。


 場の温度が、一気に下がるが、フィオナさんだけが、その変化に気づいていない。


「あれあれ? 今度は二人して青い顔をしてますね。

私の発言が図星で困っているんじゃないですか?

ねー、どうなんです? ねー、ねー」


 ……こ、こいつ。

もう叩き切るしかないと思い、反射的に右手を腰の左へと運んだ、その時だった。

これまた聞き覚えのある声が、場の空気を押し分けるように響いてくる。


「何を言っている。

彼女の専攻の選択数を考えれば、我らデストレーザの派閥会に参加すべきだろう」


 そう言いながら、トマさんが他二名を連れて、ためらいもなく割って入ってきた。

その瞬間、視線が一斉にこちらへ集まり、食堂のざわめきが、さらに一段階大きくなるのを感じる。


 こうして、それぞれの派閥が私を中心に言い分をぶつけ合い、揉めはじめた。

結果として、食堂中の注目を、ますます集めてしまうことになったのである。


 三派閥の言い分は、実に明快だった。

エマさんは、入学当初から親しくしてきた関係に触れながら、代数を発明する算学の才能を自然学で活かすべきだと言う。


 リオン君は、私の発想や研究は社会への影響範囲が広く、だからこそエコノミアでその力を発揮すべきだと主張する。


 トマさんは、自転車を生み出した発想力と開発力を評価し、デストレーザと共にさらなる高みを目指すべきだと譲らない。


 それぞれが、それぞれの理由で、私の参画を望んでくれている。

その状況が少しだけ……いや、正直に言えば、相当に気持ちが良い。

だが、これ以上注目を浴び続けるのも困ってしまう。


 そろそろ、この辺りで決着をつけるべきだろう。

私は一度、小さく息を整え、三人を順に見渡してから、思い切って口を開いた。


「あのー、順番に周るのではダメでしょうか?

それぞれ派閥に興味がありますし、何より皆さんと仲良くしたいと思っているんです」


 我ながら、いい提案とまではいかないものの、妥当な提案ではあると思っていた。

だが、返ってきた反応は意外なもので、三人とも、そろって渋い顔をしている。


 以前、エマさんもリオン君も、派閥間での争いをなくしたいようなことを口にしていたのに、この時ばかりは乗ってこないように見える。

派閥間に横たわる溝は、私が思っている以上に深いのかもしれない。


 そんなことを考えていると、張りつめた空気に耐えられなくなったのか。

それとも、計算の末に背に腹は代えられないと判断したのか。

エマさんが、大きく息を吐き出してから、静かに口を開いた。


「……そうですね。

仕方がありません。

その線で行きましょう」


 それを合図に、今度は三者で、順番についての話し合いが始まった。

私のことを話しているはずなのに、どうにも当の本人は視界に入っていない様子だ。

白熱した議論が続くのを横目に、私は食べかけの昼食へと、そっと意識を戻した。


 今日の昼食は黄金色の輝きを放つ「麦のポリッジ」。

暖炉の火の香りをまとった「豚肉のロースト」。

そして、傍らには雪の塊のような「熟成チーズ」が、ひとかけら。

少し冷めてしまってはいるが、立ち上る湯気とともに、大地の香りがふわりと鼻腔をくすぐる。


 私はまず、陶器のボウルになみなみと注がれたポリッジにスプーンを入れた。

シタリアの名産でもある最高級の小麦を、贅沢にも殻ごと粗く挽いたものだという。

黄金色の粒を一口、舌の上にのせる。


 ――驚くほど、力強い。


 一粒一粒が奥歯で心地よく弾け、噛みしめるたびに、凝縮された麦の甘みがじわりと溢れ出す。

肉の出汁でじっくりと炊き込まれたその粥は、素朴ながらも貴族の食卓にふさわしい気品を湛えていた。

鼻を抜けるのは、収穫期の麦畑を吹き抜ける風のような、どこか懐かしく、そして豊かな香り。

それは、文字通り「大地の恵み」を啜るような、静かな贅沢だった。


 続いて、豚肉のローストへと意識を向ける。

二本歯のフォークで、表面をカリリと焼き上げられた厚切りの肉を固定し、慎重に切り分ける。

断面からは、透明な肉汁がじわりと滲み出し、皿の上に小さな池を作った。

一口運べば、まず炭火の香ばしさが先行し、次いでローズマリーだろうか? 清涼な香りが追いかけてくる。

そして、噛みしめるほどに、脂の甘みがポリッジの麦の香りと混ざり合い、口の中で見事な調和を奏でていた。


 野性味溢れる肉の旨味を、麦の素朴さが優しく受け止める。

その対比に、思わず目を閉じ、喉を鳴らした。


 最後に、葡萄ジュースとともに、硬質なチーズをひとかけら、手で割って口に含む。

ザラリとした結晶の感触とともに、濃厚なコクが舌の上でゆっくりと溶け出していく。


 ワインの様な芳醇な香りが、肉の脂をきりりと払い、口の中を再び清らかな状態へと戻してくれた。

後味に残るのは、麦の余韻と、かすかな葡萄の渋み。

それは、この勧誘の嵐だった一週間の疲れを静かに癒やしていく、至福のひとときだった。


 食べ終える頃には、皿に残ったソースの一滴さえもパンで拭い去りたくなる――

そんな、誇り高くも満ち足りた「学食」の一皿だった。


 そんな私の様子を見ていたのか。

いつの間にか話し合いを終えた三者が、揃ってごくりと喉を鳴らした。


「何はともあれ、まずはご飯ですね」


 いつの間にか、私の隣で豚肉を頬張るフィオナさんのその一言を合図に、皆が一斉に食堂のカウンターへと急ぎ出す。

その後ろ姿を眺めながら、つい先ほどまで繰り広げられていた、あの真剣な争いは何だったのだろうかと可笑しくなってしまい、こみ上げてきた笑いを堪えきれず、思わず吹き出してしまった。

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