Day54:はじまりの一歩
私は焦っていた。今日中に教授へ専攻選択を提出しなければならないのに、未だに何を専攻するか決まっていないからだ。
正しくは、「決められない」というより、「選びきれていない」と言ったほうがいいかもしれない。
基本的にはキャンピングカー作成に必要そうな物を専攻するつもりではあるが、調べれば調べるほど魅力的な専攻が多く、色々な研究に興味を惹かれてしまった結果だった。
そんな私の心境を察したのか、この一週間は学年や派閥を問わず、勧誘が止めどなく続いた。
……中にはご飯のお誘いまであったほどだ。
そんな勧誘は、エリオ君からのものもあった。
彼らが所属しているエコノミアでは、主にルーン技術やマナを利用した経済圏の充実や拡大、そしてそれらを基盤とした街づくりに重点を置いているという。
私の実家でも使っていたマナオイルの供給は、エコノミアでの研究における最大の功績のひとつと言っていいらしい。
また、シタリアやモークムでも当たり前のように使われているマナ街灯は、街づくりの一環として、数十年前に論文が発表され、取り入れられたものだという。
そして、エコノミアが私に声をかけてくれた最大の理由は、私が自転車の開発時に行った標識の策定にあるという。
ルーン技術さえ使っていないものの、その思想はエコノミア、ひいては街道建設ギルドや都市経済評議会といった、いかにも大きそうな組織に通じているのだそうだ。
私が自転車の開発者だと知れ渡ってから、まだ数日しか経っていない。
それにもかかわらず、どの派閥も念入りに私のことを調べているという事実に、私は強い衝撃を受けた。
……正直に言えば、恐怖すら感じてしまうほどだった。
私ひとりだけなら、まだいい。
けれど、家族やリア、工房のみんなといった大切な人たちにまで、その影響が及ばないことを、今は祈るしかなかった。
しかし、そんな日々も今日で終わりだ。
これからノーラン教授の私室を訪ね、そこで、私の専攻が確定する。
……いや、確定させなければならない。
だからこそ、私は焦っていた。
だが、そんな心境とは裏腹に、廊下を歩く足取りは重く、なかなか前に進まない。
一歩進んでは考え、また一歩進めば悩む――その繰り返しだった。
やがて、周囲の雑音も消え、日が傾いた頃、私は決死の思いで教授の私室の戸を叩いた。
「どうぞ」
中から、少し苛立ったような教授の声が返ってくる。
遅くなってしまったが、どうやら怒ってはいないようだ。
「……遅い」
入室後の第一声が、これだった。
前言撤回。教授は怒っている。
縦に細長い教授の私室は、入口から見て左手に机があり、その背面、右側の壁一面に本棚が並んでいた。
棚にはぎっしりと本が詰め込まれ、収まりきらなかったものが床に山のように積まれている。
そんな、いかにも教授然とした部屋で、椅子に腰掛け、机に片肘を乗せ、足を組み、
上半身だけをこちらに向けて眉間に皺を寄せているノーラン教授は、
奥の大窓から射し込む夕日を背に、濃く落ちた影をまとい、迫力が数倍にも増して見えた。
「す、すみません!
全然、どれにしようか絞りきれなくて……」
必死に弁明し、あたふたしてしまった私の様子が可笑しかったのか、先ほどまでとは打って変わって、教授は小さく笑った。
「あなたも、そうやって慌てるのですね。
普段はひょうひょうと授業を受け、定期試験で満点を取っても表情ひとつ変えないものですから、もっと淡々とした人間だと思っていました」
……あれ?
怒って、いない?
私が思わず「へへへ」と頭に手をやる。
「しかし遅い!」
……やはり怒っていた。
だが、その怒号に驚いた私が、喉が潰れたような小さな悲鳴を上げたのを聞くと、
教授は少し困ったような、少し可笑しそうな、そんな何とも言えない表情を浮かべて、話を続けた。
「で、何をそんなに悩んでいるのです?
あなたの能力なら、どんな専攻でも優秀な成績を収められるでしょう。
一番、興味を惹かれたものにすれば良いのでは?」
……思ってもいなかった高評価だ。
どうもありがとうございます。
しかし、そうは言われても、その「一番興味を惹かれたもの」が、ひとつではないから困っているのだ。
そんな私の迷いが顔に出ていたのか、教授は少し首を傾け、問いを重ねた。
「もしかして、複数あったりしますか?」
私は、正直に頷いた。
「何と、何で迷っているのです?
相談になら、いくらでも乗りますよ」
そう促されて、私は観念したように息をひとつ吐き、今の気持ちを吐露することにした。
「まず、私の根底にあるのは、新しいマナ車の開発です。
それも、今まで誰も考えもしなかった――
動く家と言ってもいい、居住空間を兼ね備えたマナ車です。
私は、それを実現するための専攻を選びたいと考えています」
教授は、私の一言一句に頷きながら、「それで?」と先を促してくれる。
「そこで重要になってくるのが、エンジンの高出力化です。
今のマナエンジンの出力では、正直、話になりません。
私は、まったく新しいエンジンの開発を行いたいと考えています。
そして、そのためには、
エンジン自体の素材はもちろん、車体に使う素材、
さらには、ルーンを刻む素材にも、ある程度の剛性が必要になると思っています」
これは、キャンピングカーのような超重量の車体を動かすためには、避けて通れない問題だ。
現在のマナエンジンでも、動かすこと自体はできるだろう。
だが私は、キャンピングカーでこの世界を見て回りたい。
そのためには、速度と安定性を両立できる高出力エンジン、あるいは、それに代わる機構の開発が不可欠だった。
「また、ルーン技術だけに頼った開発では、ルーンでは解決できない問題が生じたとき、そこで頭打ちになってしまいます。
ですから、マナエンジンのように、ルーンとマナがもたらした“結果”として動力を得る機構――
そういった発想の研究も、必要だと感じています」
これも、私の中では重要な点だった。
マナエンジンは、マナを用い、
ルーンによって水蒸気を発生させ、その運動エネルギーを推進力へと変換している。
いわば、蒸気エンジンと呼んでも差し支えない構造だ。
私は、ルーンを使うこと自体が目的ではない。
欲しいのは、その結果だ。
そこを履き違えてはいけない――
そう、話しながら自分自身に言い聞かせていた。
「次に、それらを実現するには、ルーンそのものの研究も必要だと考えています。
今は、神の紡四つを工夫することで製品を生み出していますよね。
ですが、それでは、結局これまでと同じものしか作れません。
百年後も、今と同じ生活を続けることになるでしょう。
かつて存在したルーン文明のような、より豊かな生活を実現するためには、ルーンそのものの研究が不可欠だと思っています」
創世資料庫で、賢者ジュンターから聞いた、かつての超文明。
そこで語られた“人を乗せて飛ぶ大鷲”は、おそらく、飛行機のような飛行物体だったのだろう。
その生活水準は、前世で暮らしていた日本と同等、あるいは、それ以上だったのではないかと、私は考えていた。
それに、生活水準が上がるということは、生活に余裕が出るということだ。
余裕が出れば、キャンピングカーの様な娯楽にも目が向くだろう。
そうなれば、私が考えもしなかった車や装飾品などが開発されるかもしないのだ。
これは最優先事項と言ってもいいかもしれない。
「そして、そのためには、マナ自体の研究も必須になると考えています。
まだ不明な点の多いマナですが、その性質を理解できれば、利用方法も見えてきますし、新たなルーンの開発にも繋がるはずです」
マナを理解しないまま使い続けるのは、正直、怖い。
少しでもいいから、その性質を解き明かし、安全に、確信を持って利用できるようにしたい。
……しかしこれは、どちらかと言えば、純粋な興味と言ったほうが正しいのかもしれないが。
「最後に、マナ車の普及と街道の整理、そして、それらを前提とした街づくりや法整備――
そういった基盤づくりにも、私は興味があります。
現在採用されている轍幅を廃止し、地面を傷つけない、衝撃吸収性に優れたゴムタイヤの採用も視野に入れています。
これは、先ほど話した素材開発の分野が最も近いとは思いますが、通じる部分は多いはずです」
マナ車にまで統一されてしまっている轍幅。
これは、私にとって、最も大きな懸念点のひとつだった。
これでは、大型化に限界がある。
キャンピングカーの居住空間を広げるには、ここを改善しないことには、どうにもならない。
そして、世界中を見て回るためにも、どんな道でも走れるゴムタイヤは、必須になる。
ここまで、怒涛のように話し続けた私を見て、教授は「なるほど」と小さくつぶやいた。
そう言いながら、何やら選択用紙に書き込みをし、それを私に差し出してくる。
「……今のお話を聞いて、迷っているお気持ちもよく分かりました。
ですが、渡した紙を見ていただければ分かるとおり、
私は説明の中で、一言も『専攻は一つ』だとは言っていません。
希望すれば、何個でも選択可能です。
もちろん、生徒の能力や状況を見て、助言はしますが――
ユリカさんであれば、何を、いくつ選んでも問題はないでしょう」
そう言われ、私は紙に目を落とした。
そこには、
『ルーン制御』
『ルーン適合素材と加工法』
『ルーンの代替技術』
『マナ研究』
『ルーン開発』
『ルーン都市開発:基本』
と、並んで書かれていた。
「それに、やりたいことを実現するために必要そうなものを、私なりに選んだつもりです。
それだけあれば、実現は可能ではないかと思いますが……。
基本的に、それぞれ専門家が四人は必要になりそうですね。
大丈夫ですか?」
私は、小さいながらも力強くうなずいた。
こうして――
キャンピングカーを作るための、本当の意味での第一歩が、幕を開けたのであった。




