Day6:父さんの一尾と私の決意
私が次に川に行けたのは、スプーンを作ってからちょうど一か月後のことだった。
朝の空気は薄く冷たく、木々の先で川面だけがきらきらと明るかった。
この一か月のあいだに、三つのスプーンに針を結んだ。ダブルリングなんて便利なものはないから、丈夫な糸で穴に直結びしている。結び目を指で押さえるたび、胸がわくわくと高鳴った。
父さんは相変わらず忙しく、工房に籠りきりだったが、やっと一段落して、私と兄を川に連れてきてくれたのだ。
そんな父さんは、私がまた一緒に釣りをしたがっていると思ったらしく、川に着くなり枯れ竹を拾ってきた私を見て、何とも言えない顔をしていた。
兄のマルクは鼻を鳴らし、「お前にはその枯れ枝がお似合いだ」と一人笑った。
私は枯れ竹の枝を落とし、一本の竿に仕立てる。
「よし、今日はこの竿でスプーンのテストをする!」
「ぶふっ!」マルクが噴き出した。二メートル近い竹竿を抱えた私の姿が、どうにもおかしいらしい。
そんなマルクを無視し、私は釣り竿の先端に家から持ってきたラインを硬く結びつける。
大体竿と同じくらいの長さで切り、反対側にはスプーンを結ぶ。
私は足元の石を踏んで、竿を振りぬいた。
スプーンは朝日を跳ね返しながら四メートルほど先に“ちょぽっ”と着水する。
「……よし」
まずは第一関門突破。
「ふんすーっ」思ったよりもちゃんと投げられ大満足だ。
竿先を細かく震わせると、スプーンがキラキラと光を返す。
着水と同時に中型のマスが追いかけてきたが、すぐに興味を失ってしまった。
延べ竿ではスプーンのレンジを保てず、結局は川底を擦って戻ってきてしまう。
川は足元から水深があるわけではなく、河辺から一メートルほどは足首程度までしか水がない。
つまりスプーンは、フォールできるわけもなく川底を削るばかりだ。
二投、三投……。何度試しても結果は同じだった。
テンションをかけ続ける手段がないから、必ず沈む……。
「……だめだ。やっぱり延べ竿じゃ扱えない」
ガックリと肩を落とし「長い竿なら?!」と考え、父さんのほうを盗み見る。
隣では父さんが虫を流し、マルクが魚を釣り上げて得意げに見せてくる。
私の姿は、きっと“鉄片を投げて遊んでいる”ようにしか見えていないのだろう。
それでも、私は声をかけた。
「お父さん、ちょっとこっちに来てくれる?試してほしいのがあるんだけど。」
近づいてくる父さんの後ろで、マルクが何かをチクられるのかと思ったのか「遊んでたお前がわるいんだろ!」と訳の分からないことを喚いていた。
「どうしたんだ?今日は釣りしないのか?」
「んんん、するよ!……これ、この前作ったスプーンなんだけど、針と付け替えてみてくれない?」
「これを?」
「んー」っとマジマジと私の手元を覗き込む。
「何かわからないが、ちょっと待ってな」
父さんは少し怪訝そうに眉を寄せたが、私のスプーンを針と付け替えてくれた。
「こんなに光っていたら、かえって魚が逃げるんじゃないのか?」
空中で、風を受け揺れるスプーンを見て父さんが言った。
「逆だよ、お父さん。キラキラして魚の注目を集めるの」
「ふ~ん、そういうものか」と言いながら針に餌を付けようとしている。
「ちょっとまって!餌は付けなくていいんだ」
慌てて止める私に、父さんは不信そうな目を向けた。
「何を言っているんだ?それでどうやって魚を釣るっていうんだ?」
「それはね、このスプーンを魚のように見せて魚をだますんだよ」
父さんの目が半分ほど閉じたところで、
「まぁ、とりあえずやってみるか」
半信半疑の父さんが竿を振った。
「瀬の上流からそっと流してくれる?スプーンは流れに乗せて、小刻みに揺らすの。
そのまま瀬を抜けて、下流の緩みに運んであげて。
スプーンの水深は出来れば一定に保ってくれると嬉しいな。」
はじめ、半信半疑だった父さんも、少しずつこちらの意図を汲んでくれたのか、真剣な顔へ変わっていった。
数投目、瀬を抜けて緩みに入った瞬間――
「……おっ!来たぞ。これは大きい!」
そう言った父さんは見事に三十センチを超える大型のマスを釣り上げた。
「ユリカ、まさか本当に釣れるとは思わなかったぞ。こんなのどこで覚えたんだ?」
私は「たはは」と笑ってごまかした。
「……だが、餌の方がやっぱり確実だな。大きいのは釣れたが、食いつきが悪すぎる」
確かにその通りだと私も思う。
「うん、わかってる。でも、釣ってくれてありがとう」
そういうと、私は気を取り直し、状況の整理を始める。
(スプーンの動きは悪くない。フラッシングもロールもしてくれてるし、お父さんは釣ってくれた。……問題はレンジとコントロール。この二つを簡単に制御できれば、もっと釣れるはずだ。やっぱり足りてないのはタックルだ)
父さんに、スプーンを返してもらい、掌に落とす。まだ冷たい金属面が、空を歪ませて映した。
延べ竿では、スプーンをちゃんと扱えない。
私は胸の奥で、次の挑戦――リールを作ることを決意した。