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Day51:シタリアの新年祭(中編)

 彼らが司教座を挟んで左右に着くと、続いて、足元まで届く純白の長衣を纏った老練な男性が現れた。


 男性は司教座の前に立ち、にこやかに手を挙げる。

おそらく、彼がこの礼拝堂の司教なのだろう。


 司教は一度、礼拝堂全体をゆっくりと見渡し、挙げていた手を胸に当てた。

そして、静かに祝詞を唱え始めた。


 「――集えし民よ。

 旧き年は去り、新たな光が我らを照らす。


 汝らが捧げた汗は、大地を肥やし、

 汝らが交わした祈りは、家々を守り、

 汝らが分かち合った糧は、隣人を生かした。


 天と地の恵みは、働き人の手に宿る。

 子らの笑いが絶えず、炉の火が消えぬ限り、

 この大地に明けぬ夜はない。


 さあ、新たな年を歩もう。

 豊かな収穫と、温かな食卓と、健やかな命と共に。

 我ら、エウロと共にあれ――」


 礼拝堂を、深い静寂が包み込んだ。

人々が一斉に祈りを捧げる中、しばらくしてから、司教が椅子に腰を下ろす微かな音だけが響く。


 司教が座るのを合図に、一番左に控えていたエマさんが、二歩ほど前へ進み出た。


「それでは、これより聖水の儀を始めます。

皆さま、こちらから順にお巡りください」


 その声に導かれるように、人々は祈りを終え、静かに列を作り始めた。


 エマさんたち四人は、手にしていた生枝を、傍らに置かれた壺へと浸す。

()()()()と言うからには、中は聖水で満たされているのだろう。


 列の先頭に立った人は、エマさんの前でわずかに頭を下げ、肩を差し出す。

そこへ、聖水を含ませた生枝で、左右の肩を軽く叩かれる。

終えると一歩横へずれ、次の者が同じように祝福を受けていく。


 それを四度繰り返し、人々は穏やかな表情を浮かべながら、礼拝堂を後にしていった。


 そうして流れゆく光景を眺めているうちに、やがて私とリオン君の順番が回ってきた。


「ユリカさん、いらっしゃい。……リオン様も」


 そう言って、エマさんは同じように、生枝で私の肩を軽く叩いてくれる。


 ――なんだか、前世で見たサウナ動画に出てきた、ヴィヒタみたいだ。

そんな不謹慎な連想が浮かび、思わず可笑しくなってしまう。


 私は必死に口元を引き締め、真一文字に結んだ口のまま次へと進んだ。


 そして、最後の四人目はフィオナさんだった。


「来てくれてありがとうございます。

これでヒソプの生枝も終わりです。ご苦労様でした」


 そう言って、にこやかに肩へと生枝を振り下ろす。

他の三人と同じく優しく、厳かに。


 だが、すぐ隣から「……ぅぐっ!」という低く、喉を詰まらせるような声が聞こえた。

思わず視線を向けると、リオン君がわずかに眉をひそめている。


 フィオナさんは、変わらぬ笑顔のまま、まるで何事もなかったかのように、次の動作へ移っていた。

……今の、絶対に強かった。


 玄関ホールへと向かう途中、私は気になって仕方がなくなり、リオン君に小声で尋ねた。


「さっきの、“ヒソプ”って……?」


「ああ。司教座の後ろにあった、石彫の大木がヒソプだ。

ナトゥーラでは、あれが世界を支えていると考えている。

……すべては自然の賜物、という理屈らしい」


 そう言いながら、リオン君は右耳の後ろを摩っていた。

……やはり、痛かったのだろう。


(すべては自然の賜物……か)


 ナトゥーラは自然原理主義者の派閥なのだろう。

そんなことを考えながら、玄関ホールを抜け、私たちは人の列に従って次は右の扉をくぐった。


 そこは、先ほどとは打って変わって、空気そのものが張りつめたように感じられる空間だった。


 テオロギアの礼拝堂は、重厚な石造で、天井は高く、真っ直ぐに持ち上がっている。

装飾は控えめだが、その一つひとつが精緻で、柱には祈りの文句や神名が古い文字で刻まれていた。

一部は大学に来て習ったルーンのようにも見える。

光は高窓から差し込み、床に描かれた円環文様の中心へと自然に集まるよう設計されている。

今は月明かりを受けぼんやりと照らされていた。


 正面、司教座の後ろ中央には、ひときわ大きな聖像が鎮座していた。

先ほどナトゥーラの祭壇横にあったものと同じ姿の神像――だが、こちらでは明確に「主」として据えられている。

玉座に腰掛けた神は正面を見据え、左右対称の姿勢で静かに手を置いている。

その視線は祈る者を包み込むようでありながら、同時に逃れようのない威厳を放っていた。


 背後には光輪を思わせる石の円盤が嵌め込まれ、金箔と白石で象られた文様が神像を縁取っている。

そこには世界の構造も理も描かれてはいない。

ただ、神が在り、世界が従う――その関係だけが、圧倒的な存在感で示されていた。


 ここでは、祈りは言葉であり、姿勢であり、忠誠そのものだった。

人々は自然と視線を上げ、神像を見つめ、跪く。思索ではなく、信仰として。

ナトゥーラとは異なる静けさが、礼拝堂全体を厳かに満たしていた。


 ここにあるのは、世界を知ろうとする信仰ではない。

従うことを求める、強い意志のようなものだった。


 やがて奥の扉が開き、イリスさんとセレンさんが、司教とともに姿を現した。

三人はそのまま歩み出て、司教を中央に、司教座の前に並ぶ。


 間を置かず、司教は祝詞を唱え始めた。


 「――集えし民よ。

 旧き年は終わり、新たなる年は、主の御手によって拓かれる。


 我らが流した汗も、育まれし大地も、

 子らの笑いも、炉に燃える火も――

 すべては、絶対神が授けしもの。


 汝らの営みは、主の御目に映り、

 汝らの祈りは、主の御耳に届く。

 されば恐れることなく、正しき道を歩め。


 主は始まりに在り、終わりに在り、

 すべてをその御手に抱き給う。


 さあ、新しき年を迎えよう。

 主の御名の下に、収穫は豊かに、命は守られん。

 我ら、ただ主と共にあれ――」


 しばしの静寂ののち、司教が再び声を上げた。


「これより、聖体拝領を始める。皆、パンとワインを受け取りなさい」


 そう告げると、司教は司教座に腰を下ろした。

こちらの司教も老練そうではあるが、ナトゥーラの司教に比べると、どこか近寄りがたい雰囲気がある。


 やがて列が進み、私たちの番になった。

そのとき、イリスさんはようやくこちらに気づいたようだった。


「……金席。来たの。……はい、これ」


 そう言って、パンを一欠け差し出してくる。

私はそれを受け取り、口に含んでから小さく礼を述べ、司教座の反対側にいるセレンさんの前へ進んだ。


「……ん」


 それだけ言って、セレンさんは杯を差し出してくる。

本当は葡萄ジュースが良かったけれど、言い出せないまま、私はその杯を受け取って口をつけた。


 お酒には、あまり良い思い出がない。

酔ったときのリアのことが、ふと頭をよぎり、胸の奥が少しだけ苦くなる。


 ――けれど。


 杯の中身は、ワインではなく葡萄ジュースだった。

思わず驚きが顔に出てしまい、私はセレンさんの方を見る。


 すると彼女は、ほんの少しだけ得意そうな表情で、「ん」とだけ言い、頷いていた。

……どうしてわかったのだろう。


 こうして、私にとって初めての宗教体験は、ひとまず幕を閉じた。


 私たちは二人で大聖堂を後にし、外環区の屋台が並ぶ方へと歩き出す。

同じように人々が流れ、肩を寄せ合いながら、皆が外へ外へと向かっていた。


 そのとき――

背後から、低く澄んだ音が響いた。


 先ほどまで私たちがいた大聖堂から、新しい年の訪れを告げる鐘が鳴り渡る。

夜の空気を震わせながら、その音は街全体へと広がっていった。

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