Day51:シタリアの新年祭(前編)
吐く息は白く、草木は枯れ、街の石畳にまで霜がおりている。
この時期特有だという北風が吹きすさび、身体を打つたびに、耳や指先をじんと赤く染め上げていった。
上を向けば、空気は澄みきり、雲ひとつない星月夜が広がっている。
私は巻いたマフラーの隙間が気になって手で直し、同じように赤くなった鼻先を、くすりと鳴らした。
隣を歩くリオン君は、上質なウールを使った厚手で長丈の外套を羽織っている。
なんというか、いかにもリオン君らしいというか――いかにも貴族然としている装いだった。
私たちが向かっているのは、中環区にある大聖堂。
季節は巡り、私は今、シタリアに来て初めての新年祭を迎えようとしていた。
シタリアでは、モークムの新年祭とは違い、新年の鐘が鳴らされる正子前に、礼拝堂で司教の祝詞を聞くのが慣わしだという。
その後は、外環区を中心に、三の日の夜まで休むことなく祝いの儀があちらこちらで行われ、それに合わせて屋台も立ち並ぶのだそうだ。
大陸中から人々が集まってできた、長い歴史を持つこのシタリアでは、各地の宗教や慣わしを柔軟に受け入れてきた結果、三日間途切れることのない新年祭が形作られたのだと、リオン君が教えてくれた。
もっとも、貴族には貴族の新年会があるらしく、そんなに遅くまでは居られないのだと、彼はどこか残念そうに言っていた。
それにしても――まさかリオン君と二人で新年祭に向かうことになるなんて、思いもよらなかった。
石畳を踏む足音が、いつもよりゆっくりと重なっていく。
その歩調に引きずられるように、私はあの日のことを思い出していた。
――五日前。
私たちは今年最後の授業を終え、教室で待機していた。
来年の春から始まる専攻授業に向けた資料配布と、その説明があるからと、ノーラン教授から待つように言われていたのだ。
教授を待つ間、私はエマさん、フィオナさん、リオン君、エリオ君の五人で、年末年始の話をしていた。
時折トマさんが混ざることもあるが、最近はもっぱらこの四人と一緒にいることが多い。
そして集まる場所は決まって、私の席――教室の左奥。
「ユリカさんは、こちらでの新年祭は初めてですよね?」
そう切り出したのは、フィオナさんだった。
なんでも、大聖堂でエマさんとフィオナさんの二人が、聖水による清めと祝福を行う大役を任されているらしく、ぜひ見に来てほしいのだという。
「そうなんですね。お邪魔していいのでしたら、ぜひ行きたいです」
二人がどんな経緯で清めと祝福を務めることになったのかは分からない。
けれど、この世界に来て初めて触れる、宗教らしい行事だ。
せっかくの機会なのだから、きちんと見ておきたいと思った。
そう答えた、その直後だった。
「それなら、俺も――」
そう言い出したのは、リオン君だった。
私も含め、その場にいた全員が思わず彼の方を見る。
驚きが広がる中で、ただ一人、エリオ君だけが、どこか楽しそうにニヤニヤしていたようにも思えた。
「あらあら、リオン様?
ご無理なさらなくてもよろしいのですよ。こういった類は、お好きではないのでしょう?」
エマさんにしては、少し棘のある言い方だった気がする。
そう感じたものの、リオン君は気にした様子もなく、「俺も一緒に行く」と譲らない。
そのまま押し問答のようなやり取りが続き、
結局、「……それでは、ご一緒にどうぞ」と、エマさんが折れる形で話はまとまった。
その間ずっと、エリオ君は楽しそうに、ただニヤニヤしていた。
――そして今。
私はそのリオン君と並んで、大聖堂へ向かって歩いているのだった。
「……おい。聞いているのか? 人が説明しているというのに」
……やばい。またやってしまった。
正直なところ、話の内容は一切聞いておらず、私はなんとか苦笑いでやり過ごそうとした。
けれどリオン君は、そんな私の様子に気づいたのか、呆れたように小さく息を吐くと、もう一度説明してくれるという。
なんていい人なんだろう。
そう思って、感動のままリオン君の横顔を見上げると、彼は少し照れたように視線を逸らしてしまった。
「いいか、金席。この街の大聖堂は、世界的に見てもかなり珍しい構造になっている。
通常ではありえないが、司教座が二つあるんだ」
そう前置きしてから、彼は歩きながら説明を続ける。
「そのせいで、玄関ホールに入ると、左右それぞれに礼拝堂へと続く扉がある。
最初に行くのは左の礼拝堂で、そこがナトゥーラ派閥の礼拝堂だ。エマとフィオナはそこにいる」
私は、頷きながら必死に話を追う。
「ナトゥーラでの祝詞と祝福が終わったら、次は右の礼拝堂へ向かう。
そちらはテオロギア派閥の礼拝堂だ。
テオロギアでは、祝詞の後に聖体拝領がある。ワインとパンを配るんだが……
ワインが苦手なら、葡萄ジュースに替えてもらえるから、その点は安心しろ」
そこまで一気に説明すると、リオン君は足を緩め、じっとこちらを見つめてきた。
言葉はなくとも、その視線だけで「分かったのか?」と問われているのが、はっきりと伝わってくる。
私はその圧を受け止めるように、にっこりと微笑み返した。
そして、ふと思った疑問をそのまま口にする。
「でも、どうして両方に顔を出すんですか?」
リオン君は、少しだけ眉を寄せた。
「……どちらかの派閥に所属しているなら話は別だが、お前はそうじゃないだろう?
なら、両方に顔を出しておけば角が立たない。それに、それは俺も同じだ」
淡々とした口調だったが、そこには彼なりの配慮が感じられた。
――なるほど。
一体、誰に角が立つというのだろうか。
そう思わないでもなかったが、以前、学食で感じていたように、この世界に派閥というものが存在していた。
そのこと自体には、今さら大きな驚きはなかった。
そして、ナトゥーラという派閥の礼拝堂にエマさんとフィオナさんがいるということは、きっとそういうことなのだろう。
そう考えて、ふと、もう一つの派閥の名が頭をよぎる。
テオロギア――。
そちらの礼拝堂にも、オルド組の生徒がいるのだろうか。
気になって、私はリオン君に視線を向けた。
その視線に気づいたのか、リオン君は歩きながら教えてくれた。
「テオロギアには、イリス・デ・ノヴァと、セレン・デ・マルクスの二名がいるはずだ」
イリスさんとセレンさん……。
あまり言葉を交わしたことはないけれど、いつも連れ添っている印象の二人だ。
なるほど。
オルド組の中でも、やはり派閥ごとに自然と固まっているのかもしれない。
そう考えたところで、ふと、別の記憶がよみがえった。
先日、エマさんがリオン君に「こういうのは嫌いでしょう」と、釘を刺すように言っていた場面だ。
そして、先ほど彼は、どちらにも属さないような中立的な言い方をしていた。
――では、リオン君はナトゥーラではないのだろうか。
……いや、普段の立ち位置を思えば、比較的そちら側にいるようにも見える。
けれど、それも確信と言えるほどではない。
……うーん。
考え始めると、頭の中で思考だけがぐるぐると回り、いつの間にか足取りまで鈍っていた。
……いけない。これ以上考えても堂々巡りだ。
私は一旦その考えを脇に置き、石畳に霜が降りていることをすっかり忘れ、数歩先を歩いているリオン君の元へ駆け寄っていった。
その瞬間、足が滑り思わず体が前のめりになる。
とっさに伸ばした手が、リオン君の腕に触れ、そのままもたれかかる形になってしまった。
「す、すみません……!」
謝りながらも、再び転びそうになるのが怖くて、私はしばらく、転ばないようにと彼の腕を頼りにしたまま歩いていた。
そうして、離れるきっかけを失ったまま、結局その状態で、大聖堂の前まで辿り着いていた。
私たちが辿り着いたころには、すでに多くの人が入場を始めていた。
玄関前の広場は人で溢れ、ざわめきと足音が夜気に混じっている。
玄関ホールへ入ると、正面には上へと伸びる梯子が据えられていた。
その左右には、リオン君から聞いていた通り、礼拝堂へと続く二つの扉が並んでいる。
私たちは人の流れに身を任せ、左の扉をくぐった。
ナトゥーラの礼拝堂は、石造りでありながら、どこか屋外に立っているかのような錯覚を覚えさせる空間だった。
高い天井は半円状に持ち上がり、梁の代わりに、蔦や葉を模した浮彫が巡らされている。
正面の祭壇脇には、ひときわ静かな存在感を放つ聖像が佇んでいた。
人の姿をとりながらも、その足元は根のように大地へ溶け込み、髪は枝葉となって天へと広がっている。
そして司教座の背後――
礼拝堂でもっとも目を引くのは、巨大な石彫。
一本の大樹が天へと伸び、その枝の上には円環状の台座が幾重にも重なっている。
岩や水、獣、人の営みを象った小さな世界がそこに刻まれ、根は地の奥深くへ、枝は天井近くまで届いていた。
世界は樹に支えられて在るのだと、無言のまま語りかけてくるかのようだった。
ここでは、神はただ崇める対象ではない。
観察し、理解するための起点として、そこに在る。
祈りは囁きに近く、跪く者の視線は像そのものではなく、その背後に広がる“世界の構造”へと、自然に導かれていくのだった。
礼拝堂が人で満ちるころ、奥の扉が静かに開いた。
黒いカソックに白いガウンを纏った四人が、みぞおちのあたりで、たわわに葉を付けた生枝を両手に捧げ持ち、厳かに入場してくる。
その中には、エマさんとフィオナさんの姿もあった。
2025.12.19:
表記揺れの調整




