Day50:交わる卓、ほどける距離
本日の昼食はトウカ食ブュッフェだ。
コナハさんと相談した結果、皆の好き嫌いが分からない以上、この形式が良いのではないかという結論に至った。
何でもダンさんが「子どもたちには、たくさん食べてほしい」と提案してくれたのだそうだ。
メニューは、鶏の唐揚げ、野菜の煮浸し、トウカ国産のピクルスが数種類、アブラハヤの酢漬け、根菜のサラダ、葉野菜のスープ、そしてエマさんのリクエストで用意された大量のおにぎり。
ずらりと並んだ料理は、どれも普段、街中では見慣れないものばかりだ。
そのせいもあってか、トウカ食を前に、皆どこか躊躇している様子だった。
もしかすると、このビュッフェ形式というのも、貴族には馴染みがないのかもしれない。
そんな不安が頭をよぎった、その瞬間――
静寂を破ったのは、エマさんだった。
彼女は率先して皿を手に取り、楽しそうにトングで料理を取っていく。
その嬉しそうな様子につられ、他の生徒たちも次々と席を立ち、料理を取り始めた。
ただし、ハクマイで作られたおにぎりにだけは、なかなか手が伸びない。
「これは魚か? ……美味いな」
「この唐揚げという料理、とても美味しいですわね」
「根菜というのは、植物の根なのでしょう? そんなもの、いったい誰が食べるのかしら……」
皆、それぞれ初めてのトウカ食を口にし、思い思いの感想を漏らしている。
その様子を見て、私はひとまず胸をなで下ろした。
少なくとも、この場の雰囲気としては問題なさそうだ。
ただ――
心のどこかで、別の不安が残っていた。
貴族といえば、以前工房長に連れて行ってもらった高級老舗サロン〈五星館〉のような、格式張ったコース料理ばかりを口にしているものだと思っていたからだ。
だが、その不安もリオン君の一言であっさりと解消された。
「初めてのトウカ食だと聞いて、俺も少し戸惑っていたのだが……貴族の懇親会形式にしてくれたのだな。ありがとう」
どうやら意図せず、彼らにとって馴染みのある形式になっていたようだ。
「自分で考え、自分で好きなものを選べる」そんな物珍しさもあってブュッフェ形式を選んだつもりだったが、その思惑はいい意味で外れたらしい。
それにしても、未だにおにぎりだけが手つかずなのは解せなかった。
今回の献立において、おにぎりは主役だと言っても過言ではない。
そう思えば思うほど、誰の手にも取られない現状が残念でならない。
それに、あれを用意してくれた二人のことを思うと、申し訳なさが募っていく。
そう感じて、私はちらりと厨房の方へ目をやった。
そこには、自分の店で起きているとは思えない光景を前に、固まっている二人の姿があった。
いつも堂々としているダンさんでさえ顔を引きつらせており、コナハさんに至っては、涙を浮かべながら小刻みに震えている。
私はすでに慣れてしまっていたが、よく考えてみれば、私が通っているのはルーニクス大学。
ましてやオルド組――私以外全員が貴族だ。
改めて見渡すと、服装から立ち居振る舞いまで、確かに誰もが貴族然としている。
私にとって「周りが貴族である」ことはもはや日常になっていたが、その前提を二人に伝え忘れていた。
……申し訳なさが、さらに胸に積もっていく。
そんな私の胸中を知る由もなく、エマさんとフィオナさんが二周目に突入した。
一周目と同じくらいの量を皿に取り、戻ってくる。
ただ、唯一一周目と違っていたのは、その手に――それぞれ二つずつ、おにぎりを抱えて、うきうきと戻ってきたことだった。
ただでさえ組の中でも何かと目立つ二人である。
その二人が、おにぎりを抱えて歩いてくるのだ。
自然と、食堂中の視線がその挙動に集まった。
――ゴクリ。
誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた気がするほどの静けさが、食堂を包み込む。
そんな空気など意に介さず、エマさんはおにぎりを口へと運んだ。
その瞬間――
食堂が、割れんばかりにざわめき出す。
「それは、食べて大丈夫なのか?」
「麦ではない麦だよな……? 食用だったのか」
「どんなお味ですか?」
その光景を目の前にして、私はすかさずおにぎりを手に取り、二人のもとへ駆け寄った。
「おにぎり、美味しいですよね!」
そう言って、私は思いきり頬張った。
コナハさんのおにぎりは、具のない、塩だけで握られた――いわゆる塩結びだ。
だが、そのシンプルさゆえに、塩加減や握りの強さがとても難しい。
固く結べばもちもちしすぎてしまうし、緩すぎれば持った瞬間に崩れてしまう。
その加減が、まさしく「いい塩梅」だった。
あぁ、本当に美味しい。
ハクマイの甘みが口いっぱいに広がり、思わず頬が緩む。
そんな私を見て、エマさんがそっと視線を向け、静かに私の頬へ手を伸ばしてきた。
「あらあら、ユリカさんったら。頬にハクマイが付いていますよ」
そう言って、優しく取ってくれた米粒を、そのまま自分の口へ運び、いたずらっぽく微笑む。
私は恥ずかしさと、エマさんの尊さに耐えきれず、思わず顔を伏せてしまった。
……いろんな意味で、今にも倒れてしまいそうだ。
そんな私たちを横目に、怖いもの見たさなのか、リオン君がちらちらとこちらを窺いながら、おにぎりへと手を伸ばしていた。
取ったおにぎりを手に、しばらくじっと見つめたかと思うと、再びこちらへ視線を向け――
そして、一気に口へと頬張る。
目を閉じ、少し強張っていた表情が、次第に緩み、驚きに満ちたものへと変わっていった。
「……うまい」
そう呟くと、リオン君はそのまま一気におにぎりを平らげた。
その様子を見ていた他の生徒たちが、堰を切ったようにおにぎりへと群がり、次々と手に取り始める。
そうして、そこには先日、学食で目にした光景が広がっていた。
ある者は、胸の前で手を組み、何かの祈りを捧げてから。
ある者は、興味と警戒が入り混じった表情で。
ある者は、まるで毒味でもするかのように、目をぎゅっとつむり、覚悟を決めて。
……食べ物ひとつで、そこまでするものだろうか。
そう思わずにはいられなかったが、それ以上に今回は、おにぎりの美味しさを少しでも知ってもらえたことが嬉しかった。
なにせ、コナハさんとダンさんが、心を込めて用意してくれたものなのだから。
その様子を見て、先ほどまで緊張で涙をこぼしていたコナハさんも、ようやく一安心したかと思ったのだが――
今度は、おにぎりに感動した生徒たちに囲まれ、再び涙を流していた。
……おいおい、ダンさん、助けてあげてよ。
そう思ったものの、そのダンさんもまた、同じように生徒たちに囲まれている。
意外なことに、皆、食に対してとても積極的だった。
「おにぎりはどうやって作るのか」
「この野菜は何なんだ?」
そんな質問を次々に投げかけ、二人が答えるたびに、私の算術の授業に負けないほどの歓声が上がっている。
中には、何も言わず、黙々とおにぎりを食べ続けている生徒の姿もあった。
それぞれに反応は違えど、好評だったことには違いない。
そう思うと、私の胸はまた、嬉しさでいっぱいになった。
そうして昼食が終わり、三の鐘が鳴る頃、本日の勉強会はお開きとなった。
その帰り際、エリオ君が革袋の中から小包を二つ取り出し、コナハさんとダンさんへと差し出した。
例のお礼の品だ。
「今日は、場所と美味しい昼食をありがとうございました。こちらは、ほんの気持ちです。どうぞお受け取りください」
私たちもそれに続いて、口々に礼を述べる。
そして、皆に促されるまま、二人は包みを開くことになった。
丁寧に礼を言いながら、コナハさんとダンさんは小包を開けていく。
コナハさんの包みには、上質そうなハンカチが。
ダンさんの包みには、中型の料理包丁が収められていた。
真っ白なハンカチは、織りも細やかで、目が整然と詰まっており、ひと目で手触りの良さが伝わってくる。
縁は淡いピンク色で三つ巻き縫いが施され、ささやかな可愛らしさを添えていた。
一方、料理包丁は、刃の部分以外が鈍く光り、その分、刃だけがまるで鏡のように磨き上げられている。
反射した光がダンさんの顔に落ちる様子からも、それが相当な業物であることが素人目にも伝わってくる。……たぶん。
二人は、嬉しそうに目を輝かせながら、お礼の品に見入っていた。
「うわぁ、とても綺麗です! こんな上質な物、よろし――」
そこまで言いかけたコナハさんは、ふいに動きを止め、そのまま固まった。
隣にいたダンさんも、まるで同じものを見たかのように、言葉を失っている。
二人の視線の先には、社章のような意匠があった。
ハンカチには右下に刺繍で。
包丁には、刃の根元に刻印として。
深い青の盾形。その中心には、銀色の二皿秤が据えられている。
秤を横切るように、金の細い風帯が左下から右上へと走り、軽やかな曲線を描いて抜けていく。
盾の縁は金で縁取られ、それはまるで、均衡と繁栄を象徴するかのような章だった。
「……こ、こ、これって……サンデル商会の……」
言葉を失った二人は、そのまま虚空を見つめていた。
その様子に、私は思わず焦ってしまったが――
やがて我に返ると、何度も、何度も深く頭を下げて礼を述べてきた。
その様子に、私は慌てて首を横に振る。
「い、いえいえ、そんな……! こちらこそ、今日は本当にお世話になりました」
するとコナハさんは、はっとしたように顔を上げ、ふわりと笑った。
「こちらこそです。こんなに賑やかで、楽しい一日になるなんて思ってもみませんでした」
ダンさんも、照れくさそうに頭をかきながら頷く。
「また、いつでも来てくれ。今度はもっと腕を振るうからな」
「はい。ぜひ、また来ます」
そう言って笑い合い、私たちは食堂を後にした。
その帰り道、私はふと思い出し、エマさんにお礼の品について尋ねてみた。
「あら、ユリカさん。ご存じなかったのですか?」
エマさんは少し意外そうに目を瞬かせてから、微笑む。
「あれはサンデル商会の品ですよ。エリオ様のご実家が取り仕切っていらっしゃる商会のものです。
サンデル商会はこの国……いいえ、この大陸一の小売商会ですから。あの品も、相当なものだったでしょう。
やはりエリオ様にお任せして正解でしたね」
そう言って微笑むエマさんを見て、私は改めて、自分のような平民とは感覚が違うのだと実感してしまった。
ふと視線を前にやると、リオン君やカミルさんと並んで歩くエリオ君がこちらに気づき、にっこりと笑い、左手をお腹のあたりで軽くピースの形にしてみせた。
その様子を見て、私は少しだけ肩の力が抜けた。
ほんのわずかだが、皆との距離も近づいた気がしたからだ。
(……それにしても、こっちにもそのハンドサインあるんだ)
そんなことをぼんやり考えていると、何を勘違いしたのか、エマさんがわざとらしく声を張り上げた。
「エリオ様はサンデル商会の嫡男ですもの。いろいろと大変ですよ?」
エマさんのその一言で、周囲の空気がわずかに変わった。
気づけば、視線が一斉にこちらへ集まっている。
そんなこと、まったく意識していなかったのに、頭の奥がじわりと熱くなり、恥ずかしさが込み上げてくる。
耳の先まで熱が上がっていくのが、自分でもはっきりと分かった。
「ち、ちょっと! エマさん!
そ、そそ、そんな意味じゃないですから!」
思わず声を上げた私に、かぶせるように――
エリオ君が、楽しそうに笑いながら言った。
「いつでも待ってんで」
その奥で、今日もまた、どこか不機嫌そうなリオン君が、じっとこちらを見つめていた。




