Day5:はじめてのルアー
釣りに行った日から数日が経った。
魚を釣り上げた時の手応え、川辺の空気、あの胸の高鳴り――思い出すたびに頬がゆるみにやにやしてしまう。
けれど同時に、どうしても気になる問題があった。
(……やっぱり、餌が問題だよね……)
クロカワムシ。魚は喜ぶけど、見た目を思い出すだけで鳥肌が立つ。
虫は前世からの天敵だ。だから私は結局ルアー釣りに逃げていた。
(やっぱ自分でルアーを作るしかないよねぇ)
思考を巡らせていると昔読んだ本の一説を思い出す。
――――――
ある釣り人が舟の上で昼食をとっていた折、うっかり匙を水に落としてしまった。
銀匙は、湖底へと沈みながら光を散らし、ゆらめいて見えた。
その瞬間、影のように現れた一尾のマスが、ひったくるようにその匙へ食らいつき、湖底へ戻っていった。
驚いた釣り人は、もし糸を通し針を付けたならば、魚を欺けるのではと気づき、やがて最初の「スプーン」を作ったという。
――――――
(うん、そうだね。最初に作るのはスプーンにしよう)
心に決めた私はまず、家にあるスプーンを探してみる。
「お母さん、スプーンちょうだい!もう使わない古いやつでいいからさ」
そう聞いてみたら、母さんが笑いながら木製のスプーンを差し出してきた。
「違う違うー!鉄製のが欲しいの」
「えぇ?鉄製だって?家にあるのは全部、木製よ?
鉄製っていうのは銀食器のことでしょう?銀のスプーンなんて、お貴族様の食卓にしかないんじゃないかねぇ」
「……え、貴族……?」
家に鉄製のスプーンが無い事のショックと、「この世界には貴族がいる」という事実を知り、悲しいような、浮かれる様なよくわからない感情に襲われた。
仕方なく、今度は父さんの工房へ向かい、何かないか探すことにした。
「これお待ち!父さんは今忙しいんだから邪魔しちゃいけないよ!」
遠くで母さんの声が聞こえたが、気にしない気にしない。
私は工房へ入り、
カンカンと鉄を叩いている父さんに声をかけた。
「お父さん、落ちてる鉄片、もらってもいい?」
作業台の傍らには鉄のかけらがごろごろ落ちていた。
「……あぁ、少しくらいならな」
カン、と火花が散る。
「でも尖ってるのもあるから――」
ガンッ、ともう一度。
「気をつけるんだぞ」
本当に忙しいようで、父さんはこちらを振り向きもせずに返事をした。
私は様々な大きさの鉄片の拾い上げ、父さんにそれをみせる。
「ちょっと待って、今大事なところなんだ。」
父さんは赤く光る鎌を叩いて水に入れ、覗き込むように確認をした。
「ふぅ、ごめんな。で、どうしたんだい?」
「この鉄片もらってもいい?」
「あぁ、もちろん。……でも、何に使うんだ?」
「ふふふ、私の宝物にするんだよ。今は内緒」
ニコニコしながら答えた。
「ねぇ、お父さん。なんで落ちてる鉄片は、どれもこれもこんなに薄いの?」
「今ちょうど、村で使う農具を大量に作っているんだ。
鍬や鋤は鍛接する際に、どうしても余分な鉄がはみ出してしまう。これらはその時に出た廃材なんだよ。
溶かせばまた使えるから、全部をあげるわけにはいかないが、いくつくらい必要なんだ?」
父さんの許可をもらい、持っている中から厚さ0.5~1mmくらいの鉄片を3つ選んだ。
どれもごつごつしているけれど、私には宝物に見える。
「ありがとう!これもらうね。あと……、お願いなんだけど」
私は上目遣いで少し唇を突き出し、幼女にしかできない”おねだりムーブ”を父さんにぶつけた。
「これを……私の親指くらいの大きさ(縦2センチ、横1.5センチくらい)で、しずく型に切ってくれない?」
「おう、任せとけ!」
ドキン!という音と共に父さんが快諾してしてくれた。
父さんは手際よく鉄片を切り出して、バリまで削って渡してくれた。
(お父さん忙しいのにありがとう!大好き!)
これですぐに作業へと移れる。
私は小さなハンマーを握り、金床を借りてトントンと叩き始めた。
少しずつ、鉄のかけらが丸みを帯び、スプーンのような曲面を描いていく。
(初めに作るのは、スプーンの王道、ティアドロップだ!……あぁ、楽しいなぁ)
夢中で鉄片を叩き続けているうちに、仕事を終えた父さんが、興味深そうにこちらを覗き込んでいることに気が付いた。
どうやら、スプーンが気になるようだ。
スプーンは叩き跡でごつごつとしたままだけど、
その不揃いな面こそが水中で光を乱反射し、魚を誘うはずだ――そう思うと、胸が高鳴った。
手持無沙汰の父さんが、表面を研磨してくれ、粗削りの鉄片はまるで宝石の様に光っていた。
最後に上下に小さな穴も開けてもらい、……完成だ。
「スプーン……できたぁ!」
私は小さな鉄片を胸の高さに掲げて、にやにやが止まらない。
まだ針もラインもない、他人が見れば、他と変わらない鉄片だろう。
でも、私にとっては“自分だけの宝物”だった。
父さんと並び母屋に戻りながらも、心の中では「早く釣りたい!」でいっぱいだった。