Day4:川辺のパエージャと当たり前じゃない世界
父さんと私は釣りを終え、川沿いの道の方まで戻ってきた。
道の脇には野原が広がっていて、テーブル代わりになりそうな岩や切株が点在していた。
父さんがリュックをおろすと、中から鉄鍋や金属の箱がごろりと現れた。
「お父さん、焚き火しないの?」
私が首を傾げると、父さんは「ちょっと待ってろ」と言い金属の箱を組み立て、脚を広げた。
手のひら二つぶんの大きさの箱の中央には丸い口があり、脇に小さな扉がある。
「今日はパエージャにしようと思て、火力の安定する携帯コンロを持ってきたんだ」
「パエージャ!」
思わず声を張り上げ、小躍りをしてしまうほどに胸が弾む。
そんな私をしり目に、父さんは昼食の準備を進めていく。
「ところでお父さん、その携帯コンロってどういう仕組みなの?おうちのコンロとは違うの?」
興味津々で覗き込むと、父さんは腰の袋から少し白濁とした水晶を取り出した。
「携帯コンロはな、このマナ結晶を入れて使うんだ」
そういうと、携帯コンロの扉を開け、なにやら箱を取り出した。
「見てごらん、箱の中にもランタンと同じ様にルーン文字が書かれているだろ?マナ結晶をこの箱に入れ、つまみを回すと……」
カッカッカッカ……ボゥッ!
「こんな風に安定した火が出るんだ」
ふっと真っ直ぐな炎が立ち上がった。煙も出ない、静かで均一な火。
「わぁ……!」
「マナ結晶は持ち運びに便利なんだ。家で使っているマナオイルとは違い、状態が安定してるしな」
「お父さん、”状態が安定してる”ってどういう意味?」
「家では、主にマナオイルを使ってるだろ?灯りやコンロなんかがそうだけど、あれらはマナオイルを気化させたものに、ルーン文字が反応してるんだ。
マナオイルが配管を通って家まで運ばれ、それを気化室の中で気化させたものを家の中まで引きこんで使っているんだ」
「それが”状態が安定してる”とどう関係があるの?」
「マナオイルを気化させる時には、特別なルーンを使わないと爆発するかもしれないんだ」
「ば、爆発?!……おうちは大丈夫なの?」
私は少し顔が青ざめた。
「はっはっは。大丈夫だよ。気化室には特別なルーンが設置されているからね。普通に生活していればまず爆発することはないよ」
「なんだ……。良かったぁ」
「いつ爆発するかわからないものを持ち歩く、そもそも液体であるマナオイルがこぼれるとも分からないんだ、ユリカは不安じゃないか?」
「確かに……。すごく怖いね……」
「そうだろう?その点マナ結晶は、地中でマナそのものが閉じ込められ、長い年月をかけ結晶化したものなんだ。石みたいなものだし、漏れることもない。安心だろ?」
食材を用意しながら父さんが説明をしてくれた。
(なるほど……前世でいうガスボンベとか電池みたいなものか)
私は炎を覗き込みながら、鍋に食材が入るのを待った。
父さんが鉄鍋に油をひき、玉ねぎに似た白い球根野菜を刻んで入れる。
じゅわっと音を立て、香ばしい匂いが広がった。
続けて赤いトマトを崩し、塩を振って煮詰めていく。
木べらで混ぜるたび、甘い酸味と球根野菜の香りが立ち上がる。
「ユリカ、米を持ってきてくれ」
父さんの指示に、私は袋から米をざらざらと流し込む。油を吸って半透明になるまで炒めると、魚と川の二枚貝を鍋へ投入した。
「ほんとにパエージャだ!」
胸が高鳴る。
父さんは水を加え、火加減を調整しながら言った。
「ユリカ、川岸にフェンネルがあるはずだ。摘んできてくれるかい?」
「はいっ!」
私は大張り切りで川辺を駆け、細い葉をした香草を束ねて戻った。
父さんはそれを刻んで鍋に加えると、一気に豊かになった香りを蓋で閉じ込めた。
しばらくしてから蓋を開けると、黄金色の香ばしいおこげがパリっと音を立て、湯気がぶわっと立ち上がる。
一瞬で広がる匂いに、思わずごくりと喉を鳴らした。
「できたぞ、いただこう」
「いただきます!」
一口ほおばると、魚の旨味と野菜の甘味、香草の爽やかさが口いっぱいに広がった。
米はふっくら、ところどころ香ばしいおこげがカリッと弾ける。
「おいしいぃぃ!」
私は身をくねらせ、父さんは豪快に笑った。
「そんなに喜んでくれるなら、作った甲斐があるな」
二人で腹いっぱい食べ、鍋の底まで平らげた。
満腹なお腹を摩りながら片づけを進めていると、南の方から馬車が近づいてきた。
「おう、ジュドーじゃないか!」
声を張り上げたのは、父さんの友人のバルドおじさんだった。
日に焼けた肌に立派な口髭、声も笑いも大きい。
「おぉ、バルドじゃないか。領都まで行っていたんだろう?」
「あぁ、ちょうど今帰りだ。まったく……用事が長引いて甥っ子の命名式に間に合わなかったよ」
「そうか、残念だったな」父さんがうなずく。
「ところで、ジュドーのところのお嬢ちゃんは名前をもらったのかな?」
バルドおじさんが私に目を向け聞いてきた。
「うん!ユリカっていうの!」
胸を張って答えると、彼は目を細めて笑った。
「良い名前だね。きっと立派な娘になる」
帰りはバルドおじさんの馬車に乗せてもらうことになった。
座面に腰を下ろし父さんと並んで座る。
私は前世を含めて、初めての馬車に内心大はしゃぎしていた。
馬車が出発してから少しして、父さんがあることに気づく。
「おい、揺れが少ないな!」
「はっはっは、わかるか。領都では今“ゴム”って素材を車輪に巻いた“タイヤ”が大流行中なんだ。俺も早速買って取り付けたんだ」
父さんが感心してうなずいている横で、私は首を傾げた。
(……え、馬車って普通はもっと揺れるものだったの?)
前世では車に乗り慣れていたからか、むしろこの静かさを当たり前だと思っていた。
しかし、この世界では、そんな当たり前の技術が広まり始めたのはつい最近のことのようだ。
(前世では当たり前だったことが、今世では当たり前じゃないんだ……)
私は眠い頭を振りながら考えていた。
真っ赤に染まる景色の中、馬車の心地よい揺れに身を任せ、今日の釣りとパエージャの香りを思い出し、眠りについた。