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【番外編】あの時のリアンナ

 ――「いいから! 帰ってよ!!」

バタン、と扉が閉ざされる音が、狭い部屋に響き渡った。


 やってしまった。ユリカが悪いわけじゃないのに、私は感情のままにあの子を傷つけてしまった。

本当はそんなこと、したくなかったのに。……でも、どうしてもこの衝動を抑えきれなかった。


「おいおい、どうしたんだ。お前らしくねーじゃねーか」


 そう言ったのは、同じ下宿屋〈三雀亭〉に住む、この部屋の住人セラドだ。

左眼に傷の走る獣人の男で、冒険者を生業としている。


 私はテーブルに戻り、残りの葡萄酒をかっ食らってから席に沈んだ。

どうして、こんなことをしているのだろう――という焦燥感は常にあって、それを消すように酒に逃げた。

だが、飲んで紛れるのは一時だけで、醒めるたびに焦燥がより強くなっていくのを自分でも分かっていた。


 いったいいつからだろう。夢を見なくなったのは。




 ――――私が子どもの頃、現場で鳴る木槌の音を聞くのが好きだった。


「木は生きてる。叩き方ひとつで、耐久年数が長くも短くもなる」


 そう言いながら、父はまっすぐに梁を叩いていた。

その姿を見て育ったから、私もずっと“作る人”でありたいと思っていた。


 父が建てる家に、私の作る家具があれば――誰かの暮らしを、家の中から守れる気がした。

それが、領都に来て家具部門に入る動機だった。


 当初、親方からは建築部門への誘いもあった。

けれど私は「家族のために」と押し切って、家具部門を選んだ。


 入ってしばらくの間は、毎日が本当に楽しかった。

小さな細工を褒められるのが嬉しくて、何より“必要とされること”が、私を満たしてくれていた。


 その日々が、私に自信を与えてくれていたのだと思う。

そしてその夏の建築祭で、私は家具部門の代表に入り、出場することになった。

周囲の職人たちから推薦を受けてのことだった。

親方は良い顔をしなかったが、「皆がそう言うなら」と渋々受け入れてくれた。


 本番が始まると、経験の浅さと精神的な未熟さから、私は何度も失敗を繰り返した。

そのたびにチームの足を引っ張り、次第に居場所を失っていった。


 最初のうちは我武者羅に食らいつこうと、雑務を引き受けていた。

けれど、そもそも建築祭で“雑務”などというものはほとんど存在しない。

私ができることは、誰にも求められていなかった。


 追い詰められた私は、ユリカに助けを求めようと何度も足を運んだ。

だが、彼女は忙しいらしく、とうとう一度も会えぬまま――建築祭は幕を閉じた。

もう、ユリカにも必要とされていないのかも。そんな思いが心をよぎっていた。


 家具部門は準優勝こそしたものの、優勝したカーヴェル工房とは大差がついたように感じた。

それは、私が足を引っ張ったせいだ。

そうでなければ、きっと優勝はこの工房のものだったに違いない。


 その夜、工房の職人たちが集まって健闘会が開かれた。

そこで、親方から告げられた言葉は――「お前は、ここにいるべきじゃない」だった。


 さらに最悪なことに、ほとんど話したこともない同僚が、中心となって私を家具部門代表へ推薦したのだが、その目的が“私に恥をかかせるため”だったと知った。

私は、とても耐えきれずに健闘会の席を飛び出していた。


 その夜、ユリカに話を聞いてもらおうと向かうと、大通りを曲がったところで、彼女の姿を見つけた。

ユリカは、私の知らない工房の仲間たちと笑い合ったり、懸命に何かを書き込んだりと、忙しそうにしていた。

その顔は、どこか眩しく見えた。

もう、私がいなくてもユリカは一緒に笑い合える仲間がいるんだ……。

私は自分がとても惨めに思えてきて、声もかけずに下宿先へ戻っていた。


(……私だって、同じ場所にいたはずなのに)


 分かっている。彼女が悪いわけじゃない。

ユリカは頑張っている。それはちゃんと知っている。

けれど――自分だけが取り残されたようで、胸の奥がざらついた。


 助けてほしかった。

 話を聞いてほしかった。

 だが、それすらも叶わなかった。


 ――どうして、ユリカだけ……。


 自分が一番嫌いな感情――“嫉妬”――が、心の奥で顔を出していた。

ユリカを責めたいわけじゃない。けれど、自分を責め続けることにも、もう疲れていた。


 そんな時、たまたま下宿先の玄関で顔を合わせ、声をかけてきたのがセラドだった。

年齢は一回りほど違うのだろうか。

何の気なしに彼の誘いを受け、葡萄酒に口を付けてしまった。

以前、ユリカに止められたことを思い出し、少し罪悪感が胸をかすめたが、それでも、不思議と焦燥感が薄れていく。


 こうして私は、焦燥感と一緒に、大切な()()まで失っていった。


 そんなある日、ユリカが訪ねてきた。

玄関でおどおどしながらも、セラドに声をかけている姿が、いかにもユリカらしくて――少し、うれしかった。

けれど、それと同時に、今の自分がひどく恥ずかしく思えた。

その恥ずかしさを隠すように、私はわざと軽い調子で応じてしまった。


 ユリカには、それがショックだったのだろう。

顔を見た瞬間に、それが分かった。

けれど、一度走り出してしまった口は止められず、苛立ちだけが積み重なっていった。


「……あーあ、はいはい。ごめんごめん。私には無理だったんだよ。ユリカと違って才能なんてなかったし……。結局、アンタと私じゃ、生きていく世界が違うのかもしれないね」


 本当は、そんなことを言いたいわけじゃない。

この苛立ちは、きっとユリカに向けたものじゃなく、自分自身に向けたものだった。


 そんな時、ユリカの手に――あの“カーヴェル工房”の一輪挿しが見えた。

次の瞬間、胸の奥で何かが弾け、気づけば私は怒鳴っていた。


 ユリカの表情が、心配から恐怖へ、そして悲しみへと変わっていくのが見えた。

その顔を見ていられなくなり、私は背を向けた。


 もう耐えられなかった。

 この状況も、ユリカも――そして、自分自身も。


「いいから! 帰ってよ!!」


 その言葉だけは、弱い私の、本心だったのかもしれない。


 それから、しばらく同じような日々を続けていた。

そんなある春のことだった。

たまたま葡萄酒を買いに中央広場へ行くと、何やら人だかりができていた。

普段は見かけないほどの賑わいだ。何が行われているのか気になって覗いてみると、人だかりの向こうに壇上があり、人々が並んでいる。

その中心にいたのは――ユリカだった。


 私は、息をのんだ。

ついこのあいだまで一緒に歩いていたはずなのに、今の私は葡萄酒を片手に、みすぼらしい格好のまま立ち尽くしている。

一方でユリカは、光の中で堂々と挨拶をしていた。


 その瞬間、胸の奥に熱いものが込み上げた。

――もう一度、あそこに立ちたい。

もう一度、ユリカと並んで歩きたい。

そう強く思った。


 私は自分の姿がひどく恥ずかしくなって、逃げるように下宿へ戻った。


 セラドの部屋を訪ね、さっき買った葡萄酒を渡してから、自分の部屋の片づけを始めた。

昼夜を問わず片づけ続け、三日後には寮母さんに鍵を返し、下宿を後にした。


 その足で工房へ向かい、親方に頭を下げた。

「建築部門で、もう一度やり直させてください」と。


 親方は少し黙ってから、「心配していたんだぞ」とだけ言い、私を迎え入れてくれた。

なんでも、あの健闘会の夜――本当は「お前がいるべき場所は建築部門だ」と伝えたかったらしい。

けれど、私が先に飛び出してしまったため、それを言えなかったのだという。


 その後も何度か下宿まで来てくれたが、「こういうことは自分で立ち直るべきだ」と、会わずに帰っていったのだそうだ。


 そんな親方の温かい言葉に触れ、私は泣き崩れた。


 それからの私は、工房の片隅で寝泊まりをし、設計書を端から端まで読み漁り、経験と知識を積み重ねていった。

そんな時、ユリカが工房を訪ねて来てくれたと、後から受付のリーナさんに聞かされた。

どうして、すぐに教えてくれなかったのかと尋ねると、親方に「誰にも合わすな」と言われていたという。

……確かに、今はとても合わせる顔がない。私は、ユリカに会いたい気持ちをグッと堪えた。


 やがて、少しずつ信頼を取り戻し、小さな建築の仕事から任されるようになった。


 ――そして、前回の建築祭から二年。私は、もうすぐ始まる建築祭に向けて気合を入れていた。

優勝して、ユリカに会いに行く。その夢だけを胸に抱いて。

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