Day31:新年祭
今日は新年祭。今年一年の幕開けだ。
夕暮れの光がまだ空に残る頃、私はマルセル、ヨアヒム、ペーターと連れ立って中央広場にやって来ていた。
広場とそこへ続く通りという通りには色鮮やかな装飾が施され、その下には果てしなく続くかのように屋台が並んでいる。
香ばしい肉の匂い、甘い蜂蜜菓子の香りが風に乗り、酒樽を叩く音や笛太鼓の調べが人々のざわめきと溶け合っていた。
ここ領都は街の規模だけでなく経済力でも大陸東側随一。新年祭の時期になると各地から人々が集い、祭り目当てで屋台を出す商人までいるという。
去年はまだ知り合いもおらず、遠巻きに眺めるだけで終わったが、こうして人波の中に身を置くと、その熱気と規模に圧倒されるばかりだった。
――もしリアと一緒に来られていたら。
そんな思いが一瞬よぎり、私は首を振った。今はただ、この賑わいを目いっぱい楽しもう。
新年祭では屋台のほかにも、大道芸人や吟遊詩人が声を張り上げ、占いやくじ引き、見世物小屋が軒を連ね、混沌とした熱気に包まれていた。
けれど、やっぱり祭りの醍醐味といえば――屋台での食べ歩きに尽きる。
先日いただいた豪華なフルコースも格別だったけれど、私の舌にはこういう素朴で力強い味のほうが合っている気がする。
さて、まずは何から……と思った矢先、ペーターが声を弾ませた。
「うわぁ! ソーシソン! 僕、大好きなんだ!」
垂れてもいないよだれを慌てて拭いながら、屋台へ駆けて行くペーター。やがて両手いっぱいに紙包みを抱え、誇らしげに戻ってきた。どうやら、私たちの分まで買ってきてくれていた。
「ありがとう」そう言って受け取ると、紙越しにも漂う濃厚な香りに思わずお腹が鳴る。
ソーシソンは豚肉にニンニクとハーブをたっぷり練り込み、腸詰にしてじっくり熟成させたソーセージ。かじった瞬間、ぷちりと皮が弾け、熱を帯びた肉汁が舌を包み込む。
ハーブの爽やかさに続いて、ニンニクの力強い香りが鼻へ抜け、最後に濃厚な旨味とほのかな甘みが口いっぱいに広がった。
「ん~、美味しい!」思わず声が出ると、三人は頬を緩め、微笑ましそうにこちらを眺めていた。
続いて、マルセルが屋台の奥に並んでいる大鍋に気づいた。
葡萄酒とハーブをたっぷり入れて沸騰寸前まで煮込み、最後に熱い湯で割ったそれは「先日飲んだヒポクラテス酒を思い出す」と、マルセルは三つの木のカップを両手に抱えて戻ってきた。
鼻先をくすぐる甘い香りに、思わず胸が弾む。彼の顔は上気し、少年のように嬉しそうだった。
一方のヨアヒムは、広場の真ん中で芸を披露している大道芸人に釘付けだ。
「……すげぇ」
吐き出された炎が夜空に赤く弧を描き、観客の歓声がどっと響く。その光景にヨアヒムは目を丸くし、しばし呆然と立ち尽くしていた。
火を噴く芸人なんて、どの世界にもいるのだと知って、私は思わず笑ってしまった。
その奥では人だかりが出来ており、何やら大賑わいだ。
その中心から、ひときわ威勢のいい声が響いた。
「さあ寄ってらっしゃい! 運試しだ、サイコロ博打! 出た目次第でブロウスが倍にもなるぞ!」
人だかりの中を覗き込むと、木箱の上に大きな茶色の皿が置かれ、その中に三つのサイコロが転がっていた。皿の縁は何度も叩かれたのか欠けており、木目に沿ってひびが走っている。店主の男は赤ら顔で、笑いじわの深い口元をにやつかせながら客を煽っていた。
「掛け金はたったの三ブロウス! 安いもんだろ? ゾロ目を出せば倍の六ブロウス、シゴロで勝ちもありだ! 運が良けりゃピンゾロ大当たり! 十八ブロウス返してやるぜ!」
周りからどっとざわめきが起こる。
「十八!?」「そりゃすげえ!」
私は思わず足を止め、その熱気に引き込まれていた。
「……やってみたい」
隣でマルセルが目を丸くする。
「お前、博打なんてまだ早いんじゃないのか?」
「掛け金、三ブロウスなんでしょう? ちょっとくらいなら大丈夫だよ」
私は掌の上で小銅貨を三枚転がし、じゃらりと音を立てて木箱の上に置いた。
途端に人垣の間から「おぉ……」と歓声が上がり、見知らぬ視線の熱が一斉に私へ注がれる。
「おう、嬢ちゃんの挑戦だ!」
店主が皿を持ち上げ、掴んでいたサイコロをじゃらじゃらと鳴らしている。
「ルールは簡単だ。三つのサイコロを振って出た目で勝負する。覚えて帰りな。――まずはピンゾロ、1が三つで大当たり! 六倍払ってやる。次に二のゾロ、三のゾロ、四のゾロ……どれも勝ちで二倍返しだ。四五六が並べばシゴロで勝ち、逆に一二三が揃やがったら負けだな」
店主は声を張り上げながら、サイコロを皿の中に投げ込む真似をして見せる。
「ゾロ目が二つ出て、もう一つが違う目なら、その違う目が役になる。たとえば二二五なら“五”ってわけだ。高い目が強えぞ。けど、何の役も出なきゃ残念、掛け金は俺がいただく」
周りの客が「なるほどな」とうなずき、誰かが「さっきの兄ちゃんはゾロ目で勝ったぞ」と声を張り上げた。
……本当だろうか。
私はふと、前世で見た中華街での光景を思い出す。
路上で同じように「よし、買うよ、いくらだい?」と声を張り上げる男に釣られ、いらない操り人形を三千円で買ってしまったことがあった。
帰り道、別の通りでもまったく同じやり取りが繰り返されているのを見て――あれがサクラだったと知ったのだ。
しかし、そんなこととは露知らず、目の前の客たちは「俺も!」「私も!」と次々に三ブロウスを握りしめ、列を作っていく。
興奮と熱気が渦を巻き、まるで誰もが勝者になれるかのような錯覚を与えていた。
「さあ、嬢ちゃん! 夢をつかめるかどうかはサイコロ次第だ!」
皿を差し出され、私は両手でサイコロを掬い上げた。掌の中で小さくじゃらりと鳴らした。
(落ち着け、ユリカ。これはただの遊び……)
心臓がどきどきして、祭りの喧噪すら遠のく。私は一気に振りかぶり、皿にサイコロを放った。
カラン、カラン……と転がる音。周りの目が皿の中に釘付けになる。
「さあ出た目は――」
転がり止まったサイコロを見て、店主がにやりと口角を上げた。
「おっと、“六六四”! ゾロ目に一枚、これは“四の役”だ! 悪かねぇ、勝ち目は十分あるぞ」
客たちが「おお」とどよめく。
「四なら高ぇほうだ!」
「惜しいな、六だったらぞろ目なのに!」
店主は笑いながら三ブロウスを手に取り、横に並べてサイコロを振った。
カラン、カラン……乾いた音が皿の上で跳ねる。私は怖くなり、思わずぎゅっと目をつむった。
どよめきが再び広がる。恐る恐る片目だけ開けてのぞくと――皿の上には「一二三」が揃っていた。
「よし、嬢ちゃん勝ちだ! 掛け金二倍、六ブロウスだ! 持ってけ!」
周りの大人たちがどっと笑い声をあげ、「嬢ちゃんやるな!」「強運じゃねえか!」と背中を叩いてくる。
頬が熱くなり、思わず笑みがこぼれた。掌の上では小銅貨がじゃらじゃらと鳴り、祭りのざわめきと混ざり合う。
人だかりを抜け出すと、マルセル達が肩をすくめて苦笑していた。
「ありゃぁ、後の客はみんな大負けだな」
やっぱりそうか、と胸のどこかで納得しつつも、私は口元をゆるめて答える。
「でも……楽しいね」
ざわめく人々の声、胸の鼓動――すべてが一体となって、まだ私の中で鳴り響いていた。
――――夜が更け、大聖堂前の広場に人々が集まってきた。
先ほどまでの屋台の喧騒とは打って変わり、そこには厳かな空気が漂っている。
人々の手には小さな松明が掲げられ、炎がゆらめきながら広場を温かな光で満たしていった。
やがて、重々しい鐘の音が夜空を震わせ、神官が姿を現し、静まり返った群衆の中で、朗々とした祝詞が響き渡る。
「――集えし民よ。
旧き年は去り、新たな光が我らを照らす。
汝らが捧げた汗は、大地を肥やし、
汝らが交わした祈りは、家々を守り、
汝らが分かち合った糧は、隣人を生かした。
天と地の恵みは、働き人の手に宿る。
子らの笑いが絶えず、炉の火が消えぬ限り、
この大地に明けぬ夜はない。
さあ、新たな年を歩もう。
豊かな収穫と、温かな食卓と、健やかな命と共に。
我ら、エウロと共にあれ――」
人々は順に小さな松明を焚き火へ投げ入れ、新年の願いを託していた。
私もそれにならい、松明を火へ投げ入れ、静かに祈りをささげる。
……こんな時にも、やはりリアのことが頭をよぎってしまう。
やがて、すべての松明が焚き火にくべられる頃、大聖堂、街、城門、そして遠くの丘に至るまで――
この大地の鐘という鐘が一斉に鳴り響き、新しい一年の訪れを告げた。
街中の人々は歓声を上げ、抱き合い、酒を酌み交わしながら喜びを分かち合う。
私も周りのみんなとホット葡萄ジュースを掲げ、新しい年を祝った。
夜空に舞う火の粉は、まるで過ぎ去った時の欠片が光となって消えていくようで、
それが新たな始まりを祝福しているかのように見えた。
――その光景を目にした瞬間、私はまた、こらえきれず涙ぐんでしまった。




