Day2:リールの巻き心地、再び
あの日から、父はすっかりご機嫌だ。
私が提案した「返し付き釣り針」のおかげで、釣果がぐんと増えたのだから当然だろう。
「ジュドーさん、最近の釣りはすごいなぁ!」
「倍も釣れるなんて、本当に魔法みたいだ」
村の人たちがそう口々に褒めるたび、父さんは鼻を高くして笑っている。
(いや、それ私のアイデアだから!)
心の中でぷくーっと頬を膨らませるけど、言っても仕方ない。父さんが嬉しそうだから、まぁいいか。
そう思っていたのに……。
その日、父は兄を連れて川へ釣りに出かけて行き、私は母と弟と一緒に家でお留守番をすることになった。
「お母さん!どうしてお父さんはぜんっぜん私を釣りに連れてってくれないの?私も行きたいよぉ」
「ん~、そうだね。ユリカはまだ小さいから。川辺に立たせるのは危ないって思っているんじゃない?」
「ぶ~。ひどいよ!」私は唇を尖らせて文句を言った。
(せっかく返し付き針を教えたのに、私自身はまだ釣りに連れて行ってもらえないなんて、不公平すぎる!)
「ほら、愚痴ばっかり言ってないで、今日はお手伝いしてちょうだい。終わったら、内緒でルプアの実のパイを食べましょう」
母さんはそう言って、内職の作業を始めた。
断じてパイに釣られたわけじゃないけど、仕方がない。
私も母さんの隣に座り一緒に作業をすることにした。
今日の作業は、この秋に収穫した綿花を紡いで糸にし、それを巻き取っていく作業だ。
私が興味深く見つめていると、母は木でできた奇妙な道具を持ち出した。
木の台座に丸い支柱が一本、まっすぐ立っており、蜂蜜色の木肌には年輪が流れ、支柱の中央あたりには、パン皿ほどの大きさの円盤が一枚、据えられている。
円盤の縁には細い溝が彫られ、その溝に革のベルトがぴんと張っている。
円盤の側面には親指サイズの取っ手が付いており、どうやらそこを握って回すらしい。
取っ手を回すと、円盤が重たく滑らかに回り、革ベルトが上へと走って支柱の肩のあたりに導かれる。
そこには小さい円盤が同じ様に溝に革ベルトを挟み、下へと送り返していた。
小さい円盤が回り、横軸へ力を伝える仕掛けだ。
小さい円盤の反対側の支柱からは、金属の軸が水平に突き出し、そこに木製のボビンが刺さっている。
軸に差した木製のボビンは、表面が軽く挽かれて滑らかで、今は新芽みたいな緑の糸が均一に重なっていた。
取っ手をひと押しすると、大きな円盤が回り、革ベルトが小さい円盤をかすかに鳴らして回し、遅れてボビンがくるくると回り出す。
左手で糸をつまみ、指先で軽く張力をかけながら左右へ移動させると、糸はボビンの中央から端へ、端から中央へと整然と渡っていく。
回転は重く安定していて、速さは手元の取っ手次第。
力強く回せばその分ボビンも早く回り、優しく回せばボビンもゆっくりと回る。
木と革が擦れる匂い、小さいローラーのコツコツという音、ボビンに巻かれていく糸……
(……え?これって、リールと同じなんじゃない!?)
見た瞬間、衝撃が走った。形こそ違うけど、機構はまるでリールだ。
魚を掛けてラインを巻き取る、あの感触を思い出して胸が高鳴る。
「お母さん!お願い、ちょっと回させて!」
「いいけど、ちゃんと丁寧にね。力いっぱいやったら壊れるから」
私は夢中でハンドルを回した。糸が一定のテンションで巻き取られていく感覚――それは、私が知っているリールの“巻き心地”と同じだった。
ボビンに糸が重なっていく様子を見て、思わず声が漏れる。
「うわぁ……気持ちいい〜!」
母が不思議そうに私を見ていたけど、そんなことはどうでもいい。
ああ、やっぱり釣りは最高だ。たとえ疑似でも、リールを巻くこの感覚はたまらなかった。
――――――――
夕方近くになって、玄関からドタバタと足音が響いた。
釣りから帰ってきた父と兄だ。けれど、様子がおかしい。
「おい、アマンダ!大変だ、マルクが!」
父の声に母が飛び上がる。
兄のマルクが、青ざめた顔で右手を抱えて入ってきた。
「釣り針が……刺さっちまって抜けないんだ」
兄の指に深々と針が突き刺さっている。
返しがしっかりと肉に食い込み、抜こうとしてもびくともしない。
血がにじみ、マルクはがくがくと震えていた。
「ひ、引っ張って抜けないの?!」
「ダメだ。返しが邪魔でどうにもならん」
父さんの声も焦っている。最悪の場合、切開して取り出すしかないらしい。
「や、やだ……切られるのはやだぁぁ!!」
兄が子どものように大声を上げて泣き叫んだ。
「お父さん、待って!引いても抜けないよ」
私は声を張り上げ割って入る。
「……ユリカ?」
「まず針の上部分を切り落として、それから反対側に押し出せばいいんだよ!そしたら返しごと貫通して抜けるから」
父さんは一瞬目を丸くした。
けれど、すぐにうなずき、工房から鉄用ニッパーを持ち出して針の軸を切断した。
「……よし、マルク、少し我慢しろ!」
針をぐっと押し出すと、返しが肉を割って飛び出した。血は出たが、切開するよりはずっと小さな傷で済んだ。
「う、うぅ……痛い……でも……抜けた……」
兄は涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔になりながらも、安堵の声を漏らした。
「すごいぞ、ユリカ。よくそんなこと思いついたな」
父さんが驚いたように私を見て言った。
「うん!引いてダメなら押してみろ。だよ、お父さん」
兄はまだ涙目で文句を言っていた。
「こんなの、返しなんて付けるからだー!」
「ふざけて遊んでいたから刺さったんだろう!返しのせいにするな」
父さんがピシャリと言い返す。
兄はぐぬぬと黙り込むしかなかった。
父さんは改めて私の頭を撫で、にかっと笑った。
「ユリカ、お前、なかなかしっかりしてるな。……よし、次の休みに一緒に釣りに行くか?」
「えっ!?ほんと!?」
胸の奥が一気に熱くなった。
ついに――ついに!私の番が来たのだ!
「やったぁぁぁ!」
私は両手を突き上げて喜んだ。
母さんは苦笑していたけれど、今は釣りに行けることを全力で喜んだ。
(次は私が絶対に魚を釣るんだから!)
心の中で固くそう誓った。