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Day20:掌の上の軌跡

来月の領都行きが決まり、家の中もにわかに忙しさの色が強くなった。

数日間家を空けることになるので、父さんは仕事の予定を組み直し、いつもよりペースを上げて作業を進めている。

母さんは荷物をまとめ、留守中の家の世話を近所に頼みに行っていた。


私にも、住み込みになる前にどうしてもやっておきたいことがいくつかあった。

その一つが――――リールの制作である。


「今やるべきだ」と思ったのには、二つの理由があった。

一つは、先日叩いた板金の感触を忘れないうちに形にしておきたいから。


構想そのものは以前から練っていた。

だが、最初に描いた一軸リールの設計では、スプールが回転すると同時にハンドルまで回ってしまう。

このままでは実用にならない。


やはりクラッチを加え、歯車を噛ませる仕組みを取り入れる必要がある――。


そうなると、どうしても父さんの協力が欠かせなかった。

先日、自転車の話をしたときから父さんはすっかり夢中で、私が試作に置いておいたギアやタイミングベルトにまで目を輝かせていた。

だからこそ、忙しいのは承知のうえで、今こそ手を借りる好機だと踏んだのだ。


これが、もう一つの理由である。


まずはリールの構想をメモ板の上に落としていった。

掌にすっぽり収まるほどの円筒形で、両側を直径六〜七センチほどの円形サイドプレートが支え、その間を金属製のフレームが橋渡ししている。左右の円盤の中央にはスプールを水平に据え、前後へ貫通する太い軸で巻き取りを担う仕組みだ。


左側には二本ハンドルを、右側にはラインガイド機構を置く。前面の小さなレベルワインドが往復し、糸を均等に巻き取っていく姿を想像するだけで胸が高鳴った。全体は左右対称に近い丸型ボディで、そこから突き出したハンドルが実用性を主張している。


頭の中で描いていた夢を、こうして設計図として形にしていく。


次に書いたのは、内部構造に関してだった。

左ハンドルから入力された回転は、ハンドル軸に固定された大径のメインギアに伝わる。

このメインギアは右側プレート内部に収まり、その外周の歯が小径のピニオンギアと常時噛み合っている。

ピニオンはスプール軸と連結しており、クラッチが接続されているときにはスプールを駆動する。クラッチを切るとピニオンはスプールから外れ、スプールは自由回転状態になる。


メインギアからピニオンを介して伝達された回転は、そのままスプールを回し、糸を巻き取る力となる。

さらにスプールの回転は分岐ギアを通じて前面のウォームシャフトへと伝わる。ウォームシャフトには細かなネジ山が切られており、そこに噛み合うウォームギアが回転することでラインガイドを左右に往復させる。

この結果、糸はスプール上に均等な層を描いて巻き取られていく。


概要としては以上になる。

最後に父さんに渡すためのギアの設計を進めた。


中心に置かれるのは大径の円盤、直径およそ四センチほどのメインギア。歯は四十枚ほど。

噛み合う相手は、一センチ弱の小径のピニオンギア。十二枚の歯を備える。

メインギアの外周から分岐する力の経路に、中継のアイドルギア。直径一センチ強、十五枚の歯を備えた小さな歯車だ。

ウォームギアの歯は、ネジ山に食い込む小さな爪のようで、十枚ほどの歯がシャフトの螺旋をなぞりながら回転するように設計した。


メモ板の上に並んだ四つの歯車──大きな円盤と小さな歯車たち。

やはりこれは父さんに頼まないと作れそうにない。


私は作ったばかりの設計図を手に、工房の奥で作業していた父さんを呼びに行った。

図面を見た父さんは、目を丸くして感嘆の声を漏らした。


「よくまぁ、こんな細かいのが描けたな……。んん……なるほど……ここがこう繋がって……」


図面に指を滑らせながら、あっという間に父さんは自分の世界に没頭していった。

横顔に刻まれた皺まで、まるで新しい玩具を渡された子どものように輝いて見える。


やがて顔を上げると、決意を込めた声で言った。


「――よし、すぐに取り掛かろう」


「えっ?でも、お仕事は?」


「鉄は熱いうちに叩けって言うだろ?」


にやりと笑う父さんに、私は思わず目を瞬いた。

普段は真面目だと思っていた父さんの口から軽口が飛び出すなんて。

驚きと同時に、胸の奥に温かい嬉しさが広がった。


――――――――


工房の空気はひんやりと重たく、金属の匂いが鼻を刺していた。


作業台に置かれた板金の塊に、私はそっと指を触れた。まだ何の形も与えられていない無垢の鉄――。これから削り出されるものは、ただの部品ではない。多くの釣り人を魅了してきた「ベイトリール」という魂を、再びこの手に呼び戻すのだと思えば、自然と胸が高鳴った。


まずはフレーム。選んだのは強度のある鋼板だ。

火花を散らして切り出し、真っ赤に熱した鉄を台の上に据える。槌を振り下ろし、少しずつ形を整えていく。

コン、コン、カン――と、鉄を叩く音が一定のリズムで工房に響き渡り、熱気と共に形が浮かび上がっていく。


板が徐々に湾曲し、輪郭を帯びていくたびに、胸が高鳴った。

だが、ほんのわずかな歪みがスプールの回転を殺す――それを思えば、指先は震え、背筋に緊張が走った。


次のギアの製作は、父さんが手を貸してくれる。

もともと機械仕掛けや自転車に興味があったらしく、設計図に目を通してから、楽しそうに炉の前に立つ姿は、まるで少年のようだった。


まずは銅と亜鉛を炉にくべ、真鍮をつくる。

赤くどろりと溶けた金属を砂型へと流し込むと、じゅっと音を立てて白い煙が上がり、やがて円盤状の塊が生まれる。

父さんは火箸でそれをつかみ、しばらく水桶に沈めて冷やした。


次は成形だ。

粗い円盤の表面をやすりで削り、足踏みの旋盤にかけて外周をなめらかに整える。

中心に錐を押し立て、軸を通すための穴を慎重に開けていく。

ひとつ間違えば偏心して噛み合わなくなるため、父さんの額には汗がにじんでいた。


そして、最も骨の折れる工程――歯を刻む番が来た。

型板を当て、等間隔に墨で印をつける。

父さんはノコギリで溝を入れ、私に三角ヤスリを手渡した。


「ユリカ、一本一本、丁寧にな」


促されるままに、私は息を詰めてヤスリを押し、刻みを広げていった。

ざり、ざり、と音を立てながら、歯が一枚ずつ姿を現す。


仕上げは再び父さんの手に戻る。

ヤスリで少しずつ歯の高さを均し、噛み合わせを確かめながら微調整を繰り返した。


「……よし、これなら回転も滑らかだ」


油を塗り込んで指先で回すと、真鍮の歯は小さな光を跳ね返し、きらりと輝いた。


私は思わず見とれた。

父さんの作ったそのギアは、ただの部品ではなく、確かに命を宿した「心臓」のように見えた。


続いて、スプールの加工に取りかかる。中空で軽いものが理想だが、技術力の問題もあり、私は真鍮の軸を据え、鉄板を削って外周を形づくる。指で回したとき、低く長い惰性音が工房の静寂に響き、思わず父さんと顔を見合わせた。


レベルワインダーは最大の難所だった。糸を均等に並べるための往復機構、その心臓はネジ山付きのウォームシャフトだ。一本の溝を刻み、ワイヤーを組み合わせる。ほんの少しでも狂えば糸が偏る。顕微鏡のような集中力で削り出し、父さんが最後に確認をして頷いたとき、ようやく肩の力が抜けた。


最後に、サイドプレートに深い赤を落とした。磨き上げられたその色は、まるで血潮のようだった。赤の中に真鍮の黄金色が映え、クラシックとモダンが交わる。


組み上がったリールを手にした瞬間、私はしばらく動けなかった。

静かに回るスプール、その惰性音は、工房の空気を震わせるほどに確かな生命感を持っていた。


これはただの釣具ではない。実用性を兼ねた工芸品。

私の手が生み出した、小さな奇跡だった。


気づけば、この完成にたどり着くまでに半月を費やしていた。

夢中で夜を徹し、昼を削り、ようやく手に入れた成果――。


……だが、領都への出発はもう来週に迫っている。

現実に戻った私は、母さんの顔を思い出し、背筋が凍りついた。


――その夜、母さんは本当にものすごく怒っていた。

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