Day19:胸いっぱいのパエージャ
その日、私たち四人は昼前には無事に村へ戻ってきた。
途中、川原で休憩したときに、はしゃぎすぎた兄さんが流されるという一幕こそあったが、それ以外は驚くほど順調な帰路だった。
村に着くと、まず村長さんの家へ報告に向かい、広場では馬車から買ってきた物資を降ろしていく。
男たちが次々と集まり、重たい荷を肩に担ぎ、納屋へと運び込んでいった。
けれど、忙しいのか――父さんの姿はそこになかった。
領都での濃密な四日間から一転、村の風景に戻った瞬間、胸の奥に不思議な静けさが広がった。
物資を納屋にしまい終えると、バルドおじさんが残った売上の半分を村庫に収め、もう半分を各世帯で分配することになった。
家の数が少ないおかげで、一軒あたり二十リウスほどが渡される。
手にした袋の重みに、私は思わず目を丸くした。
村の人々も口々に驚きの声を上げ、笑みを交わしている。
――思いがけない報酬に、村全体がほっと明るくなったように感じられた。
そのお金を抱えて家に戻る。
リアはもともと「工房を訪ねて見習いに入る」ことを家族に話していたらしく、今回はその試験も兼ねて領都へ行っていたのだそうだ。見事に合格を果たしたことを報告できると、浮き立つような足取りで笑っていた。
その横で、私はというと――内心バクバクしていた。
あの場の勢いで話を進めてしまったが、よく考えれば工房に住み込みで働くなんて、とんでもない大ごとだ。
夢への一歩を踏み出したはずなのに、胸の奥では期待と不安がないまぜになってざわめいている。
家へ戻る途中、お土産は、兄さんがちゃんと買っておいてくれたことを聞かされた。
(……すっかり忘れてた)
胸の奥がちくりと痛む。私はどうしても自分の夢ややりたいことに気を取られてしまいがちだ。案外、自分のことばかりで周りを見ていないのかもしれない――そんな反省が心に沈んだ。
家に入ると、母さんと父さん、そして弟がそろって台所で立ち働いていた。どうやら、私たちの分まで食事を用意してくれているらしい。
卓上に並んだのは、私が大好きなパエージャだった。黄金色の米の上には貝や魚が並び、香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がっている。
「……ぅわぁ、パエージャだ!」
思わず声が弾むと、母さんが笑顔で教えてくれた。
「父さんが今朝魚を釣ってきてね。昼に帰るだろうからって、作ってくれたんだよ」
その言葉に胸がいっぱいになり、気づけば涙が滲んでいた。
「……お父さん」
私はこみ上げるものを抑えきれず、父さんにぎゅっと抱きついた。
お父さんは「どうした?大げさなやつだな……」と優しく微笑みながら頭をなでてくれる。
私たちは荷物を置き、まずは食卓についた。
領都での出来事やお土産の話はひとまず後にして、今はいつものように家族そろって黙々と昼食をとる。
湯気の立つパエージャの香りに包まれながら、ようやく帰ってきたのだという実感が胸にしみわたった。
食事を終え、いよいよ本題に入る。まずはお土産を取り出した。
母さんには繊細な模様のレース布、父さんには工具を入れるための丈夫な腰鞄、そして弟には布でできた冒険者人形。
母さんは「これは何に仕立てようかしら」と楽しそうに布を撫で、父さんは鞄の縫い目や金具を真剣な顔で確かめている。
弟はというと、もう人形を握りしめて部屋の中を駆け回り、小さな冒険を始めていた。
どの顔も、驚きと喜びで輝いている。
さらに兄さんは、みんなで食べられるようにローストナッツのクッキーまで買ってきていて――私は思わず、意外と出来る男だ、と感心してしまった。
まず、兄さんは旅の出来事を順に話してくれた。
それから懐から冒険者章を取り出し、成人前に冒険者登録を果たしたことを伝えると、母さんも父さんも目を丸くして声を上げた。
バルドおじさんが言っていた「ほんの一握り」という言葉が、誇張ではなかったのだと改めて実感する。
さらに、実績を積むためにバルドおじさんと一緒に採集依頼をこなしたことを語ると、父さんは腕を組みながら、口元をほころばせた。
「これは今度、バルドに酒をおごらないとな」
その声色はどこか誇らしげで、私まで胸が温かくなった。
―――次は私の番だった。
けれど、口を開こうとした瞬間、胸が詰まる。
パエージャを用意してくれていたことや、ここまで支えてくれた家族の姿が脳裏に浮かび、苦しくなる。
そんな中で、自分ひとりの思いだけで勝手に話を進めてきてしまったことが急に恥ずかしくなり、声が喉の奥で止まってしまっていたのだ。
膝の上でぎゅっと握りしめた手は汗ばんでいて、震えている。
そのとき、隣に座っていた兄さんがそっと私の手を包み込み、静かにうなずいてくれた。
その力強いまなざしが、背中を押してくれる。
「……実はね」
私は息を吸い込み、思い切って言葉を放った。
「私……ルーンを習いに、シタリアのルーニクス大学へ行きたいの!」
沈黙。
三人の視線が私に集まり、ぽかんと口を開けたまま固まっていた。
「あっ……ち、違うの。その前に、領都で工房に入って――」
慌てて言葉を重ねる私に、父さんが静かに手を上げた。
「ユリカ、慌てなくていい。……ちゃんと聞かせておくれ」
その声は優しく、けれど真剣な響きを帯びていた。
胸の奥で絡まっていた糸がほどけていくようで、私は深く息を吸った。
それから、今までのこと領都での出来事を順番に話していった。
自転車を作ったこと、リアと共に改良したこと。
マナ車に心を奪われたこと、レス・セット・ジェルマネス工房での体験、そして住み込みで働きたいという思い。
最後に、自転車の改良と販売で得たお金を大学の学費に充てたいのだと――。
言葉を終えた後、部屋には静けさが落ちた。
私は勝手に話を進めてしまったことを怒られるのではと身構えたが、三人の顔は険しくはなかった。
むしろ、その目に宿っていたのは、子どもの成長を前にした驚きと、言葉にできない感慨だった。
「すごいわね……私は応援するわ。でも、領都に住むとなると少し心配ね」
母さんが静かに言った。
「そうだな。工房長さんは“来月、両親を連れて来い”と言ったんだろう? ユリカがお世話になるかもしれないところだ。きちんと挨拶もしたいし、この目で確かめておきたいな」
父さんの言葉は落ち着いていて、心強かった。
兄さんも「来月はまた依頼をこなして実績を作っておきたい」と言い出し、話は自然とまとまっていった。
「よし!臨時収入もあることだし、領都になんてそうそう行けんからな。...…みんなで行くか」
こうして家族全員で領都に行くことが決まったのだ。
あまりにもとんとん拍子で進んでいく展開に、少し戸惑いも覚えた。
けれど同時に、理解のある両親を持てたことを心からありがたく思った。
その夜、私は来月の十二の水の日に両親を連れて工房を訪ねる旨を手紙にしたため、胸の奥に温かな期待を抱きながら夢路に就いた。




