Day14:領都・モークム
私たちの一行は、ついに領都の城門へと辿り着いた。
村から領都までは三日と半日の道のりだった。
途中に村はなく、頼りになるのは道の脇に点々と残る焚き火場だけ。
踏み固められた地面には黒い焦げ跡がいくつもあり、水場のそばの広場では旅人たちが腰を下ろして夜を明かしていた。
その道中で、私がいちばん心を動かされたのは――バルドおじさんが驚くほど料理上手だったことだ。
「外に出ることが多いからな。せめて飯くらいは美味く食べたいと思って覚えたんだ」
そう言って笑う彼の作る煮込みや焼き肉の香りは、寒さで強張った身体をほぐし、胸の奥にまで沁みていった。夜の闇の中で、炎に照らされた湯気を見ているだけで幸せになれた。
けれど今、その思い出さえ一瞬で吹き飛んだ。
目の前にそびえるのは、街を守る巨大な石造りの城壁。
街を囲む石造りの城壁は、空へ突き抜けるかのようにそびえ立っている。
両側に渡された広い橋には、ずらりと並ぶ門兵たちが警戒を怠らず立っていた。
さらに驚かされたのは、領都に入ろうと集まった人の列だった。
荷車や馬、旅人や商人――人の波は尽きることなく続き、村の人々をすべて呼び寄せても、この光景には到底及ばないだろう。
私たちもまた、その果てしない列に連なる一人だった。
「すごい……」思わず声が漏れる。
入都には通行証の確認と荷物の検査が必要で、外扉の前では人も馬車も列を作り、順番を待っていた。
ふと、私はアーチ状にくり抜かれた門口を見上げた。
幾重にも積み上げられたグレーの石材は、ひとつひとつが磨かれ、均整のとれた美しさを放っている。
ただの石なのに、重なり合って形を成すと、こんなにも壮麗になるのかと胸が震えた。
やがて許可が下り、馬車はゆっくりと門をくぐっていく。
私は馬車から顔を出し、門兵に向かって手を振った。すると門兵たちも、軽く手を振り返してくれた。
門を抜けると、石畳の大通りがまっすぐ街の中心へと伸びている。
両脇には二階建て三階建ての切妻屋根の家々が立ち並び、窓辺からは布地や香辛料の匂いが風に流れる。
家々のあいだには細い路地が口を開け、さらにその先には水面がきらめいていた。
街の東側が網の目のような運河で区切られており、橋の上では人と馬車がひっきりなしに行き交い、下では小舟が荷を積んでゆっくりと漕ぎ抜けている。
見るものすべてが珍しくて、気づけば一つ一つに声を上げてしまう。
そのたびに、隣のリアはあきれたように笑いながらも、どこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
馬車はやがて中央広場に差しかかった。
「魚だよ! 新鮮な魚だよ!」
威勢のいい声が飛び交い、市場の喧噪が広場いっぱいに渦巻いていた。
干し魚の独特な匂いに、焼きたてのパンの香ばしさが重なり、鼻腔をくすぐる。
色とりどりの布や陶器の器が店先を鮮やかに彩り、押し合いへし合いする人波がその間を縫って進んでいく。
私は胸が躍り、思わず立ち上がりそうになる。
ふと視線を上げれば、広場の脇には鐘楼と大聖堂の尖塔がそびえ立つ。
どこからでも目に入るその威容は、領都そのものの象徴のように見えた。
石造りの家々には彫刻や商家の紋章が刻まれ、一軒一軒が誇らしげに自己を主張している。
熱気に満ちた空気の中で、香辛料の刺激的な匂いが鼻を突き、潮の匂いまでもが混ざって押し寄せてくる。
高い建物もうねる人並みもすべてが目新しく、胸の奥から歓声があふれそうになる。
広場の北側には、貴族や大商人の邸宅が整然と並んでいた。
石造りの高い門と飾り格子の窓、手入れの行き届いた庭木が連なり、その一角だけ空気が違うように見える。
領都では他の地ほど身分差は厳しくないと聞かされていたが――それでも、この区画だけは近づくだけで背筋が伸びる。
「油断はするなよ」バルドおじさんの言葉が頭の奥で響いていた。
だが、私の注意はすぐに別のものへと奪われた。
その大通りを――数多くのマナ車が行き交っていたのだ。
幌付きで旅用らしいもの。
陽光をきらめき返す、屋根のない華やかなもの。
鈍い鉄板の屋根を持つ、重厚なもの。
姿かたちはどれも違うのに、どれも後部には大きなタンクを背負い、そこから伸びる煙突が「シューッ!」と白い蒸気を勢いよく吐き出している。
ゴトゴトと石畳を揺らす音が大地を伝わり、私の足裏までも震わせた。
「……っ」
息を飲んで、言葉を失う。
幌馬車でも荷車でもない。
まさしく“自ら走る車”。
頭の中で何度も描いてきた光景が、今こうして現実になって目の前を駆け抜けていく。
胸の奥が熱く滾り、指先までも痺れるようだった。
これが――マナ車。
憧れと現実とが重なり合い、視界が眩しく滲む。
その瞬間、私の世界が新しく塗り替えられていくように感じた。
「すごい……すごい……!」
胸が熱くなり、体の奥から何かが爆発するような衝動に駆られる。
気づけば私は、小躍りしていた。
「やった……本当にあるんだ……!」
足を踏み鳴らし、両手を握りしめ、声にならない歓声を何度も繰り返す。
「……ユリカ、落ち着きなよ」
リアが呆れたように私の腕を引っ張った。
頬を赤らめながらも、私はどうにも興奮を抑えられない。
「だって、マナ車だよ! 本物だよ!」
そう言ってしまった瞬間、リアは苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。
一行はそんな私を横目に、まずは商業ギルドへと向かった。
獲得したフォルミーガ・グランの素材を売りさばくためだ。
まだ胸の鼓動は収まらない。けれど、ギルドの重厚な扉が近づくにつれ、現実の用事が私を再び包み込んでいった。




