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Day13:領都への切符

「……カ。……リカ。ユリカ!」


「はっ!? 乗り過ごした?! いったぁ!!!」

ゴチン! 勢いよく上体を起こした私は、額が何かにぶつかった感触で声をあげた。

目の前には、額を押さえて屈んでいるリアの顔がある。

暗がりの中で歪んだその輪郭が、はっと現実に引き戻す。


……よかった、私また死んだのかと思った。


でもそんなことより今は、マナ車のことを知りたくて仕方がない。リアの肩を掴んで前後に揺らしながら、矢継ぎ早に質問を畳みかけた。


「乗ったことは?」

「車体は木製?」

「タイヤは?」

「水蒸気を吐き出すの?」

「手に入らないの?」


息が荒くなる。質問はまるで矢のように飛んでいき、全部リアへ当たる。

彼女は頭をグラグラ揺らし、少し困った顔をしてから小さく笑った。


「親父なら知ってるかも……」


それ以上の情報を引き出そうと、私は顔を近づける。

リアの目が一瞬だけ遠くを見て、それからこちらを見返す。言葉少なに、「……今から家来る?」


「リアのお父さんが詳しいの?」と尋ねる私に、リアは目線を上にずら「詳しいっていうか……」。

彼女の鼻にかかった声が「知っているかもしれない」という温度を含んでいる。


頭の中で、これまでの断片が一斉に踊った。

規格の話、轍のこと、マナオイルの話――全部つながる。マナ車という「車」が存在する。

響きが現実味を帯びて、胸の奥で何かが熱を帯びていく。


私はたまらずリアの腕を引いた。


「行こう! 今すぐ!」

戸惑うリアを半ば強引に連れて、彼女の家へ駆けていく。


ちょうど家の前では、大工道具を積み込んで戻ってきた棟梁の姿があった。

額に汗を光らせながら木箱を下ろしているところへ、私たちは飛び込むように近づいた。


「親父!」リアが声を張る。「ユリカがマナ車のこと、知りたがってて!」


私も息を切らしながら頭を下げる。

「すみません! どうしても、どうしても聞きたくて!」


棟梁は大きな手で顎を撫で、目を細めた。

「……なるほど。マナ車か」

低く落ち着いた声で繰り返すと、背筋を伸ばして私たちを見下ろした。


「乗ったことがある。間近で観察したこともある。工房で外装の板金を叩く手伝いをしたことすらある」


私は思わず息をのむ。そんなに近い距離で? 本当に?


「あの……、マナ車ってどうやって動いているんですか?」

私がマナ車の仕組みについて聞こうとすると、棟梁はまず、馬車の基本から語り始めた。


「そもそも、馬車の仕組みはわかる知ってるか?嬢ちゃん。」

首を横に振る私をみた棟梁は話を続ける。


「馬車ってのは、まず車台が基盤となる。大事な部分だな。

そこから長く伸びた二本の台木が前後に走り、その上へ横木を渡してしっかりと組まれている。前端はそのまま延長されながえとなり、馬具と結ばれる仕組みだ。

車輪は左右に二つずつ、合わせて四輪。前輪は小さく、後輪は大きく作られていて、重心を後ろで支えつつ、前の車軸は回転して舵を切れるようになっておる。車軸は太い丸太や鉄芯で造られ、台木の下にがっしりと据え付けられる。

ここまでが基本っちゅーか、これでひとまず進める状態が作れる。……ここまでは良いか?」

頷くわたし。


「でだ、その車台は好き勝手作っていいわけじゃねぇ。ちゃんとした規格が決まっとる。そうでなきゃ轍が合わず、道を走るたびに壊れてしまうからだ」

先ほどリアから聞いた話だ。棟梁はそこからもう少しだけ掘り下げた話をしてくれた。


「まずは轍幅(わだちはば)だが、これは街道建設ギルドが管理する”尺”が存在する。長さにしたら大体ひとひろ(140cm)程度だな。これだけは絶対に外しちゃならねぇ。法律で決まっているのはもちろんだが、他の馬車乗り達にも嫌われちまう」


なるほど。これは気をつけないとならない。

おそらくマナ車もこの規格なのだろうと、私は思った。


「車輪だが、これは馬車の種類や御車の好き好きで変わってくる。大体多いのが、後輪が轍幅と同じぐれぇか、一回り小さい程度で、前輪がその三分の一くらいなもんだな。それと後輪には減速するためのブレーキシューが付いておる」


ブレーキシュー?それは聞いたことのない部品だ。

普通のブレーキとは違うのだろうか?


「車台だけで走ったってしょぉがねぇから、その上に、四角い箱形の荷台が組まれ、荷物や人を載せる空間になる。前方に背もたれや座席を設ければ、御者が腰を下ろして操ることもできるってわけだ。

さらに荷台には幌が付けられることもあるな。

そして肝心なのが(ながえ)だな。前に伸びた二本の棒を馬の両脇に通して、馬具でしっかり固定してやる。

轅はただの連結ではないぞ?前輪の操舵機構ともつながっていて、馬が進路を変えると、その動きに合わせて前輪軸も回転するって寸法だ。」


私は先ほど見た馬車を思いお出しながら、何度もうなずいた。


「じゃあ……マナ車も?」


棟梁は口の端を上げて笑った。

「そうだ。馬車と同じ規格で作られる。だが主に違うのは動力だ。マナ車は()()()()()()()()()()と”燃せ”のルーンで湯を沸かし、蒸気で走る。

お嬢ちゃんの家にも湯を沸かす缶があるだろう?あれで湯を沸かすと、注ぎ口から湯気が勢いよく出ていると思うがあれが蒸気だ。そしてその力で水車を回すようなものだな。……仕組みは、ワシにもよくわからん。

だが、その走りは馬の足よりもずっと速い。その分、揺れも強く、舗装された領都の大通りでしかまともに走れんがな」


言葉の一つひとつに胸が跳ねた。

衝撃はどれほどなのか。速さは、普及率は、形状は――聞きたいことが、堰を切ったように次々とあふれ出してくる。


「そんなに気になるなら……」

棟梁はしばし考え込むと、にやりと笑った。


「マナ車の工房へ紹介状を書いてやろう。明日の昼には荷馬車も領都へ向かうから、そこに同乗すればええ」


「ほ、本当ですか!?」

私は思わず声を張り上げ、拳を握りしめた。

――――小躍りは辞めておいた。


だがその時、奥からリアのお母さんが顔を出し、腰に手を当てて言った。

「ちょっと! そういうのはユリカちゃんちの親御さんが決めることだよ!ホントにあんたはいっつもいっつも……」


「ぐぬぬ、そうはいってもだな…………」

見る見るうちに棟梁が小さくなっていく。リアは「嫌だ嫌だ……」と背を向けてしまった。


「紹介状は書いといてやる、使うも使わまいも家で話し合ってくれ」


胸の鼓動が早くなる。ついに――マナ車を、この目で見られるかもしれないのだ。


私は急いで家に戻ると、父さんは作業着のまま長椅子に腰を下ろし、母さんと何やら話していたが、私が駆け込むと二人してこちらを振り向いた。


「どうした、そんなに慌てて」父さんが訝しげに眉を寄せる。


私は一息に言った。

「領都に行きたいの!」


母さんが目を丸くし、父さんは大きくため息をついた。

「……駄目だ。今は仕事が詰まっているから、付き添ってやれないし、旅費だってどうするんだ」


すぐに返された反対の言葉に、胸の奥がしぼむ。それでも諦めきれず、私は食い下がった。


「でも! マナ車を……どうしても、この目で見たいの! リアのお父さんがマナ車工房への紹介状を書いてくれるっていうし、鍛冶の勉強にもなると思うの。……それに、旅費ならお駄賃も袋いっぱいに貯めてあるんだよ」


言い切ったあと、部屋に静けさが落ちた。

真剣な眼差しを向ける私に、父さんは目頭を押さえ、深く思案に沈む。

母さんは少し困ったように唇を結び、そんな父さんの横顔をそっとうかがっている。


そこへ、兄のマルクが居間の入口から顔を出した。

「じゃあ、俺がついて行こうか?」


思わず父さんも母さんも、兄さんの顔を見た。

母さんは震える手で口元を押さえ、不安げに眉を寄せる。

「そんな……余計に危ないんじゃ……?」


父さんは腕を組み、しばらく考え込んだ。

下を向いたり、上を仰いだり――落ち着かない様子で思案を巡らせる。

やがて長い沈黙の果てに、低く唸るような声で言葉を落とした。


「……ユリカが一緒についているなら……まあ、いいか」


「なんでだよー!」


兄さんは喚き、私は驚いて瞬きをした。

まるで私が兄さんを見張る立場のような言い方に、妙な気恥ずかしさがこみ上げる。

けれど同時に、胸の奥から熱い喜びが湧き上がっていた。


こうして――出発は、ついに許された。

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