思い出を思い出す
さて、きのうに引き続き二度目になるが、いよいよシラユキの夢の再構築に移る。
今回の寝言は「タダピコ」が一回のみ。
高校生のとき、シラユキはボクのコトをタダ「ヒ」コではなくタダ「ピ」コと呼んでいた。
かつ、大学以降は、そのあだ名を使っていない。
よって「シラユキは高校時代の思い出を夢として見た」と推測できる。
……だが、一個だけ引っかかる点が存在する。
夢におけるストーリーが過去と完全に一致するコトはない……これについては、すでに理解している。
そもそも人の記憶自体が曖昧で不正確なもの。
記憶と過去のあいだには最初から「かい離」があり、その揺らぎが、そのまま夢の非現実性を再現してくれるだろう。
引っかかるのは、寝言として発音された「タダピコ」が一回だけだったというコト。
そのあだ名が、寝言になるくらい印象深いモノであるならば――少なくともあと一、二度は同じ言葉を寝言で漏らすのが妥当ではないか……?
過去にシラユキがボクのコトをあだ名で呼んだのは、一度や二度だけでは、なかったのだ。
夢の再構築に際して、このズレを考慮しなければならない。
つまり、「ただ記憶をたどって過去を再生すれば、きのうのシラユキの夢を再現できる」という簡単な話ではない……というコトだ。
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あるところに、熊野シラユキという女子高生がいた。
シラユキは、とくに問題なく高校生活を送っていた。
勉強もスポーツも、人並み以上にできた。ただ、苦手なコトもあった。
人の顔と名前を覚えるコトが、難しかった。
視力や記憶力が低いワケではない。
ただ、人の顔や名前を記憶にとどめる行為に、罪悪感を覚えるのだ。
顔あるいは名前を記憶した時点で、その人物を所有し、もてあそんでいるような……そんな罪悪感を持ってしまう。
歴史上の人物や架空のキャラなら問題ないが、生きた人間を覚えるコトはよほどの必要性がない限り無理だった。
人の名前を呼ぶのも、やはり厳しい。
シラユキが「そうである」理由はとくにない。
原因と考えられる環境も出来事も、ありはしない。
物心がついたときには、他者を記憶するコトがつらくなっていた。
どうにもできない性分だった。
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シラユキ「へえ、今度は、そんな感じで始まるんだ」
こぶしで左右のほおを潰し、うつ伏せのシラユキがまぶたを半分だけ下ろす。
ユキ「どんなに理屈を重ねても、ワタシの性分は治らなかった。今のお隣さんの顔と名前を思い出すのも難しいくらいだし……。それにしてもタダヒコ。この厄介な性格の裏側って、ワタシが大学生になったときに話したコトだよね」
タダヒコ「もちろん高校生のころのボクは、シラユキが人の顔と名前を覚えづらい理由を知らない。でも、これはシラユキを主人公とする夢だから。……ほかにも、『当時のボクには知りえない情報』が出てくると思うけど、矛盾にはならない」
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入学から半年が経過したときに文化祭があった。
この時期になってもシラユキは、クラスメイトのコトを記憶していなかった。
とはいえ文化祭の準備をサボったりするシラユキではない。
シラユキたちのクラスは劇をするコトになった。
その道具類の作成をシラユキが手伝う。
シラユキは基本的に誰とも話さず黙々と作業していた。
しかし話しかけられたときは、相手を無視せずに、きちんと応答する。報連相の際は、自分から人に声をかける。
道具類の作成に従事している人のなかで、自分と似た立場にある者の存在を見つける。
同じクラスの男子である。
顔も名前も、やはり記憶にない。
とはいえ周囲への対応の仕方が自分そっくりだった。
表面上は協力的だが、誰とも仲を深めようとしない。
自分と似た雰囲気によって、シラユキは、その男子をほかの生徒と区別していた。
そんななかシラユキは、できあがった大道具の一つを一人で運ぼうとする男子を見た。
その大道具は、劇の背景に使う「書き割り」だった。
当の書き割りは教室に置いておくには大きかったため、学校側の指定する別の場所に運ばなければならなかったのだ。
放課後の教室内で……書き割りを両手でかかえようとする例の男子に、シラユキはなんとなく声をかけた。
「ねえ、ワタシも持とうか」
後ろから話しかける。
だがシラユキの声に反応したのは、書き割りを持った男子ではなく――まだ教室に残っていた女子の一人だった。「ありがとう熊野さん、でもワタシに重い荷物はないよ……」とその女子は口にした。
対してシラユキが、「え、いや……」と口ごもる。
それを見た相手の女子は、なにかに気づいたように笑った。
「あ、もしかして熊野さん、福生くんのほうに声かけたの」
「フッ……?」
「そう。ちょっと福生くん」
その女子が、大きな声で呼びかける。
すでに書き割りをかかえて教室から出ようとしていた、当の男子に――。
「熊野さんが、福生くんに言いたいコトがあるんだって」
呼ばれた男子は、教室の出入り口のそばで、とまった。
シラユキは男子の目の前に寄り、両手を差し出した。
「ワタシも、持つよ」
「じゃあ頼むよ、ありがとう」
書き割りは、複数の長方形のパネルに分割され、ヒモでまとめられている。
シラユキがそのはしの一つを右脇に挟む。
真ん中をかかえていた男子は少し移動して、もう片方のはしを右腕でかかえた。
横に倒した書き割りは、水平を保っていた。
このときシラユキは、自分とその男子の身長がほとんど同じであるコトに気づいた。
書き割りは、意外に軽かった。
その重さを感じ、「かえって迷惑だったかな。そりゃ、ほかに手伝う人もいないワケだ」とシラユキは思った。
先ほど話した女子にお礼を言ってから、当の男子と共に教室から出る。
シラユキは書き割りの後ろの部分を持っている。一方の前の部分を持つ男子の歩調は、速くもなく遅くもなかった。
足並みをそろえる必要性すら感じないほどに、ちょうどいい。
「あの……もしかしたら、ごめん」
要領を得ないセリフをはくシラユキ。
……が、男子は反応を返さない。
シラユキは相手の後頭部を見ながら、「ちょっと、ちょっと」と声を発した。
男子は前を向いたまま、左手で自分を指差す。
「ボクに話しかけてるの?」
「うん。ごめんね、ワタシ……人の名前を呼ぶのが苦手で」
「いやボクも、悪かった気がする」
廊下を一定速度で進みながら、応じる男子。
「さっきの教室で熊野さんがボクに声をかけたコトも、ホントは気づいてた。けれどボクは、誰かに話しかけられたとき、いつも思うんだ。『自分が人から声をかけられるハズがない。この人は、ボクじゃない別の誰かに話しかけているに決まっている』って」
「そういうコトだったんだ。なんか過去に嫌なコトでもあったの?」
「ないよ。気づいたら、こんな感じ」
それから二人は黙って廊下を歩いたあとに階段をおり、指定の場所に書き割りを置く。
「あらためて……ありがとね、熊野さん」
「ホントは迷惑だったんじゃないの?」
「確かに一人でも問題なく運べたよ。それでも、うれしいモノは、うれしいからさ」
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