夢と記憶の関係性
午後五時半に仕事を切り上げ、ボクは家に帰る。
軽自動車を運転し、約一時間でマンションの駐車場に着く。
新居に戻ると、シラユキが玄関に来て微笑を向けてくれた。
「おかえり、タダヒコ」
「ただいま、シラユキ」
それから食事や風呂など、もろもろの日常生活を済ませたあと……。
和室に布団を敷き、互いに座って向かい合う。
部屋のあかりは、つけている。
風呂に入った直後なので、互いに体がほてっている。
シュシュでサイドポニーを作ったシラユキが、ボクを見る。
シラユキ「確かワタシは、きのうの寝言で『タダピコ』って言ったんだっけ。タダヒコの『ヒ』が半濁音の『ピ』に、なってるんだよね」
タダヒコ「ボクの聞き間違いじゃなければね。やっぱり、ほかに寝言はなかったと思うし……『ぶっころ』と違って金切り声でもなかった」
ユキ「タダ『ピ』コって……それさ、ワタシが高校のときに使ってたタダヒコの『あだ名』じゃん。なんで今さらタダピコなんだろ。例によって、具体的にどんな夢を見たか思い出せないし」
タダ「なんにせよ、懐かしいな」
ボクがシラユキに告白したのは卒業式の日だったが、実際に知り合ったのは高校一年生のときである。
単純に、同じクラスだっただけだ。
文化祭の準備で一緒に作業をするコトがあって、そのなかで距離が近くなった覚えがある。
熊野シラユキは、人の顔と名前を覚えるコトが苦手だった。
だからボクを「福生」とも「タダ『ヒ』コ」とも呼ばず、微妙にずらして「タダ『ピ』コ」と言ったワケだ。
ユキ「……夢で過去の出来事をそのまま見るコトは、あるのかな」
そんなシラユキの低い声に、ボクはハッとして応じる。
タダ「完全に同じってコトはないだろうけど……記憶とほぼ同一の場面が、寝ているあいだに脳内で再生されるというのはありそう」
ユキ「まあ夢自体、自分の記憶をツギハギして作られるモノだよね。サラダがフクロウになるくらい奇想天外な出来事が起こっても――『サラダ』や『フクロウ』や『変化』といった各要素は、もとの記憶に間違いなくある。夢は、現実の記憶のコラージュとも言えそう」
ついで「ところで」と言って首をかしげるシラユキ。
ユキ「――機密情報を寝言で漏らしたら、『情報漏えい』になると思う?」
タダ「そういう法律があるかは知らないけれど……」
話題がそれている気がしないでもないが、よく考えれば「タダピコ」というあだ名は機密情報とも言える……かもしれない。
たとえば今の職場で知られてしまえば、児童には確実にからかわれる。
とりあえず、寝言で情報漏えいが成立するか――ボクは意見を述べる。
タダ「本人にはどうにもできないし、寝言を理由にして罪に問うコトは不可能なんじゃ?」
ユキ「眠る前に口にテープを貼るコトもできたハズとか――」
自分のほおを軽くたたき、シラユキが首をかたむける。
ユキ「――そもそも誰かと一緒に眠ったのが悪いとか、そんなふうに責められたらお手上げのような気もする」
タダ「言われてみれば……。重大な秘密をかかえている人たちは、うっかり寝言で口をすべらせてしまわないよう、気を配りながら生きているのかも」
ユキ「俗な例を挙げると、知らない人の名前を寝言で口走って浮気を疑われるとか。これも立派な機密情報の漏えいだったりして」
タダ「なんか、それだけで疑うのも理不尽だとボクは思うけど。人は生涯、たくさんの人名を耳にして記憶にとどめる。現実に限らず、創作されたキャラも含めれば……思い出せる名前の種類は、実質的に無限」
ユキ「どんな名前も夢に出てきて、そのまま寝言になる可能性があるよね」
タダ「でも、そのなかでとくに印象に残っている名前が優先されるのも事実なんだろうね」
ユキ「きのうの寝言のタダ『ピ』コも、そうだったのかな」
タダ「記憶に深く残っていたってコト? 高校のときシラユキは、そのあだ名をずっと使っていたからなあ」
ユキ「それを言うならタダヒコだって……付き合い始めても、しばらくは『熊野さん』呼びだったじゃん」
タダ「そう考えると――過去のコトを夢で見れば、ボクもまた昔の呼び名を寝言で口にする可能性がある」
ユキ「ともかく」
シラユキは布団の上で姿勢を崩し、うつ伏せになる。
ユキ「眠っているときに『タダピコ』って言ったってコトは、きのうワタシが高校のときの夢を見ていたのは、ほぼ確実かあ……」
タダ「ボクもそう思う。今回は、その発言だけをもとにして夢を再構成してみようか」
目の前のシラユキに合わせ、ボクも布団に横になった。
やはりシラユキとボクの布団は、二つの頭のてっぺんが向かい合うように配置されている。
その状態でボクは、顔をシラユキの枕に向けた。
タダ「記憶をたどるだけだから、そんなに難しくはない」
ユキ「昔のあだ名を使ったとはいえ、高校とは関係のない夢を見ていた可能性は?」
タダ「その場合また不思議ワールドに突入して、シラユキの胸が躍るコトになると思う。結果、別の寝言も口にしそうだけど……実際の寝言が『タダピコ』という、ひと言だけだったからなあ」
ユキ「夢のなかで過去の記憶を無難にくりかえしただけだからこそ、ワタシの寝言が『タダピコ』に限定されたってコトだね」
タダ「高校限定のあだ名だし、『大学以降の過去を見た』という話でもなさそう」
ユキ「当時の記憶のリプレイにおいて一番印象深く発音されたのが、たった一回の『タダピコ』だったと……」
タダ「シラユキはほかにも寝言を口にしたかもしれないけど、少なくとも『タダピコ』以外は睡眠中のボクを起こすほどの声じゃなかったハズだよ」
ユキ「でも本当に気になるんだけど……どうして今、高校生のときの夢を見たのかな」
自身の枕に顔の半分をうずめ、シラユキが視線をボクに送る。
ユキ「きのう、『ぶっころ』とか『サラダがフクロウになっちゃう』とかいった寝言に関して、ワタシたちはその全体のストーリーをあらためて考えた。ただ、『どんな夢だったか』以外のコトは考察しなかったね」
タダ「……確かに『どうして、その夢を見たのか』という視点が抜け落ちていた」
ユキ「あるいは『その夢が意味する本人の精神状態』も考察対象に加えるコトができる」
タダ「といっても、素人のボクが夢を分析しようとしても『こじつけ』にしかならないと思う。『将来への期待や不安』を感じてその夢を見たとか、『フクロウやサラダはこういう気持ちをあらわす』とか――それらしいコトは言えるけど、結局、根拠がない……いや」
ここでボクは首を横に振る。
タダ「ボクの空想した夢の具体的な内容だって、無根拠なのは同じだったね」
ユキ「でもタダヒコ。その世界だけは、憶測を超えた一つの事実としてワタシは受け入れるコトができた。だからこれ以上、無理に説明する必要はないのかも。『なんで今、タダピコって言ったのか』よりも、『今、タダピコと言ったコト』が大事なのかも」
枕に両肘をつき、シラユキが言う。
ユキ「だからタダヒコ。今は純粋に、二人で一緒に思い出そう」