昔のアレ
次の日の朝食は、シラユキが用意してくれた。
メニューは、白米、みそ汁、サラダ、納豆など。
きのうボクが出したモノと、ほぼ同じである。
相手の食の好みや苦手なモノは、相互に把握済み。
シラユキに苦手な食べ物はない。一方のボクは、そばアレルギー。
あとで「聞いてない」と言わないために、ボクとシラユキは、そういったコトを結婚前の段階で話し合っている。
食生活に限らず、互いに自分の常識や価値観をできるだけ明かす。
都合の悪いコトも含め、余さず隠さず、さらけ出す。
相手の許容できない部分が判明すれば、ひとまず受け入れてみる。
無理なら、「その部分を変えてほしい」と頼んでみる。
その要求が通らず、それでも相手を許容できなければ――結婚を考えなおすコトになる。
そうやって徹底的にすり合わせ……互いに納得したうえで結婚した。
が、「寝言」については確認していなかった。
だからボクは初めてシラユキと眠った夜に、シラユキの意外な寝言を聞いて驚いた。
自分の寝言で、シラユキも不安を感じていた……。
だけど、もとになった夢そのものを想像し、寝言に相応の意味を与えるコトで――きのうは互いに安心できたと思う。
ボクたちは結婚する前に「徹底的に話し合ったほうがいい」と家族からアドバイスを受けている。
みんなは「結婚前に互いに確認すべきことリスト」という、アンケート用紙のようなモノを作って渡してくれた。そのなかに「寝言」の項目はなかった。
リストには「子どもは何人ほしいか」とか「プラトニックラブを望むか」とか「死別した場合、残された側の再婚をみとめるか」などといったきわどい項目もあったのに、寝言だけ抜け落ちていたのも変な話である。
いや……よく考えれば、互いの普段の起床時間などを確認していなかったりもしたので、そのリストも言うほど完璧ではなかったのかもしれない。
食事の合間に以上のコトをボクが話すと……。
シラユキがうなずきつつ、応じてくれた。
「そういえばタダヒコ。今思えばワタシたち……『寝相』とかについても、とくに確認してなかったよね」
「確かに。まあ寝相に関しては、互いに全然激しくないな」
「あるいは『寝顔』や『いびき』で幻滅し合う人たちも、いるのかもね」
シラユキは丸い瞳をパチクリさせて、続ける。
「思うんだけど『寝相』や『寝言』がリストに載ってなかったのって……『互いに結婚を考える段階にまで関係が発展しているなら、最低でも一回や二回は相手のそういう部分をすでに見ているだろう』とリストを作ったみんなが考えていたからなんじゃ?」
「だろうね。今どき、そう思うのが普通だろうし。『だったら、わざわざ確認しなくてもいい』ってコトで省かれたんだろう。寝言だけじゃなくて起床時間とかについても」
「とはいえ、あのリストにはこんな項目もあったっけ。……『このリストの項目外の常識や価値観が相互のあいだで今後判明しても、誰かを一方的に責めたりせずもう一度冷静に話し合えるか』っていうヤツ。……タダヒコは『もちろん』と言ってくれた」
「シラユキもね」
「確かにどんなに確認し合っても、相手の常識や価値観をすべて知れるワケじゃない」
「過去に確認したそれらが、未来において変化する場合もある」
「おまけに、許容できると思っていたコトが『実は許容できないコト』だったりするかもしれない……。だからタダヒコ、『婚前の話し合いが絶対でもない』んだよね」
ここでボクたちはいったん会話を切り、そしゃくのために口を動かす。
サラダを食べ終わったシラユキが、話を再開する。
「ところで、きのうワタシは寝言を口にしてた? 夢を見たかどうかは、やっぱり覚えてないんだけど」
「きのうはボクもグッスリだったから」
かみ砕いた白米を飲み込んで、ボクは記憶をたどった。
「……シラユキの寝言の全部を聞けたワケじゃない」
「ってコトは、ちょっとは聞いたんだ?」
「おとといとは違って、金切り声じゃなかったよ。普通の落ち着いた感じで、ひと言だけ。『タダピコ』って」
「なんて? タダ『ヒ』コじゃなくて、タダ『ピ』コって?」
「そうそう……じゃ、ごちそうさま。続きは帰ってきてからね」
ボクは話を切り上げ、食器を片付けた。
きょうは仕事がある。
シラユキはちょっと残念そうにしつつも、笑顔でボクを送ってくれた。
「いってらっしゃい。タダピ……いや、やっぱタダヒコ」
* *
現在、ボクこと福生タダヒコは、小学校の事務室で働いている。
クラスを受け持つ先生ではない。学校の備品や教材の管理、経理などを任されている。
とはいえ昼休憩のときに、なぜか事務室に遊びに来る子どもたちもいる。
学校事務として「児童との距離感がそれでいいのか」とも思うが……校長が「もしよければ子どもたちとも話してあげてください」と言うので、まあいいかと受け入れている。
これが勤務時間に含まれるかどうかは微妙なところだ。
「前から気になってたんですけど……先生って彼女いますよね?」
ともあれ昼休みに事務室までやってきた、高学年の子どもたちのグループがそんなコトを聞く。
ボクが「先生」なのかは疑問の余地があるものの……校長や、ほかの教職員のかたがたがボクを「福生先生」と呼ぶので、子どもたちもそれに合わせているのだろう。
なおボクの働く小学校の事務室は、職員室とは別の個室である。
あまり広くないその部屋に、パイプ椅子を出して子どもたちに座ってもらっている。
子どもたちの前ではボクも事務で使う椅子を使わず、同種のパイプ椅子に腰かけて話に付き合うコトにしている。
今は、子どもたちとボクのぶんで……五脚の椅子を出している。
椅子の背もたれに寄りかかり、ボクは口をひらく。
「彼女というか、伴侶がいるね」
「はんりょ?」
「結婚相手のコト。その人とは、三日前に結婚したんだよ」
きょうが月曜日だから、三日前は金曜日にあたる。その日、ボクは事務の仕事を休んでいた。
子どもたちが口々に声を上げる。
「え、つい最近じゃないですか。めでたいですね!」
「それで先週の金曜は、いなかったんですか、おめでとうございます」
「ウソ……ショック……ワタシ、福生先生、ねらってたのに」
「おめでとう、先生! 結婚式は、どんな感じだったの?」
そんな子どもたちにお礼を言ったあと、ボクは説明する。
「結婚はしたけど、結婚式はひらいてないんだ」
「そういえば先生……」
子どもたちが、ボクの両手の指をまじまじと見る。
「結婚指輪も、してないんですね」
「お互いに挙式も指輪も要らないってコトになったからね」
「新婚旅行は済ませました?」
「十二月くらいに出かける予定」
「運命の相手とは、いつ知り合ったんですか」
「高校のときだね」
「付き合い始めたのは?」
「その卒業式の日」
このときのボクは、子どもたちのとめどない質問の波に圧倒されていたが、一方で、なるべく平常心を失わないように気を配ってもいた。
「互いに別々の大学に行くって、わかっていたし……。このまま、なにも言わなかったら完全に離れてしまうと思ってボクのほうから」
「ええー、福生先生のほうからコクったんだ、いがーい! しかも卒業式にとか、めっちゃヤバいじゃん! そういうの憧れるなあ……」
それから子どもたちは、キャアキャア恋バナを始めるのだった。
(正直こういうノリは苦手なんだけど……この子たちが楽しそうなら、いいか)
ほどほどにあいづちを打ちつつ、ボクは昔のコトを思い出していた。おもにシラユキとボクが高校生だった時代のことを――。