おやすみ
最終話です。
少々、早い時間帯だが……互いに歯を磨いて、シラユキが自分の髪をシュシュでまとめるのを確認してから、ボクが部屋を暗くした。
それぞれ、布団にもぐる。
「ねえタダピコ、きのう、ワタシ……うるさくなかった?」
「昨晩は、とくに寝言はなかったよ。ちなみにボクのほうは?」
「さあ、聞いてないなあ」
ごそごそという音がする。シラユキが、自分の布団で動いているらしい。
「といっても、さすがに……ここで大きな寝言を漏らしたら、ほかのお客さんやスタッフの人たちに迷惑だよね。きのうはテンション上がっちゃって、そこまで気が回らなかったけど」
心なしか、シラユキの声が遠ざかっているような気がする。
「だからさ……タダヒコ、妙な夢を見ないように、ちょっと安心させてくれない?」
相変わらず低く、落ち着く声だ。
この言葉のあと、シラユキの背中がボクの左腕に当たった。ボクは思わず、シラユキのいる方向の反対側に体を向けた。
次の瞬間、ボクの背中に背中がふれた。
シラユキとボクが「背中合わせ」になった状態である。
通常の背中合わせなら、二人の後頭部がぶつかり合うところだが……現在、ボクの頭の後ろにはシラユキの脚があるようだ。浴衣越しに、その感触と温度がわかる。
同様に、ボクの脚の裏側にシラユキの後頭部が位置している。
つまりシラユキとボクは、互いに頭の向きを逆にして、背中合わせになっている。
「どういう体勢?」
「いや、いつもと違うから、やっぱり調子が狂っちゃってね」
シラユキの声がボクの脚をのぼって、おなかを伝い、目の前に上がってくるような――そんな不思議な感覚に襲われる。
それからボクたちは奇妙な背中合わせのまま、ごそごそ動いた。
並べられた二人ぶんの敷き布団を……まるで一つの布団のように使い、斜めに横たわる。
敷き布団と敷き布団とのあいだにできた割れ目の上に、ボクとシラユキの脇腹がまたがっている。
背中から心臓の揺れが伝わってくる。
「タダピコ」
ボクの名前を含んだ音が、ゆっくり耳まで上昇してくる……。
新鮮だった。
そのときボクは、もう一度シラユキと初めて会ったような気がして、思わず「熊野さん」と口にしていた。
熱さの籠もった低音が、それに対して返される。
「へえ、まさかタダピコが自分から、昔の呼び名を言うなんてね……。懐かしくて切なくて、体のすべてがキュッとなる」
シラユキの頭から脚までが、小さく跳ねた。
「タダヒコ」
「なに、シラユキ」
「ワタシ……安心して眠れるようになったと思う。とっくにね」
「そう。じゃあ、もう……どんな夢を見ていたか、寝言から考える必要もなくなったかもね」
「もともと、『ぶっころ』とか、なんだとか、そういう寝言を叫んでしまって怖がっていたワタシのために、タダヒコがやってくれたコト……だもんね。夢の再構築は」
「ボク自身のためでも、あったよ」
「うん。だから、これからも気が向いたら、やっても、いいんじゃないかな。不安を解消するとか、それ以前に……楽しいし、面白いから」
「わかった、夢の再構築は終わらせない。次からはボクとシラユキが、もっと楽しく目を覚ますコトが、できるように……」
「今度は、いつまで」
「いつまでも」
「その言葉、重量オーバーしてるよね?」
「ほどほどに軽いよ。寝言だから」
「都合がいいね、その注釈。じゃあ、やっぱり、ワタシも寝言でお返し。……別に、よく聞かなくて、いいけど」
ボクの裏側から伝わるシラユキの体温が、ほんの少しだけ高くなる。
「ワタシ、タダピコを……タダヒコを、愛してる。好き。幸せ」
聞いた途端、ボクの心臓がいつも以上に震えた。それがシラユキの鼓動なのか、ボクのモノなのか……判断がつかないほどに、胸が激しく、熱かった。
「これは、『タダヒコはワタシのどうしようもない寝言を聞いても一緒にいてくれた』という理由付けすら要らない感情なの。今、メチャクチャな夢のように、タダヒコの姿や性格が突然変わっても……ワタシは、タダヒコと一緒に眠りたい」
「……ボクも同じだよ」
「ワタシの声が変わっても?」
「うん。だけど、ちょっと前のボクだったら、そう言えなかったと思う。でも今は、普段の低い声とは違う金切り声も、ボクは寝言で聞いている。だから、知ってる。どんな声であっても……どんな叫びになっても……それは疑いなくシラユキのモノだって」
「立派な答えだね。とはいえ欲をさらけ出すと?」
「今の声を聞き続けたい」
「ナイス正直。ぶっちゃけると……できればワタシも、タダヒコにはそれ以外のなにかになってほしくない。もちろん、さっき言ったコトがウソってワケじゃないし……もし本当にタダヒコが別のモノに変わったら、そのときは新しく、好きになる」
「それでも、せいぜい『タダピコ』になる程度だよ」
「なら安心。……にしても、変に寝言が連鎖するね」
「よほどの夢を見たせいだろうね」
「ワタシたち、どんな夢を見ているのかな。要約しよっか」
ここからの声と共に、ボクの感じていた鼓動が鎮まっていく……。
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ワタシこと熊野シラユキは、福生タダヒコと結婚しました。
一緒に住み始めた夜、ワタシは、ひどい寝言を口に出してしまいました。
でもタダヒコは、どんな夢のなかでそれを言ったのか、一生懸命考えてくれました。
だからワタシは、安心するコトができました。
たった一つの寝言から、過去の夢を思い出すコトも、ありました。
タダヒコ自身が、ワタシのような寝言を叫んでしまうコトもありました。
だけど一緒に夢を想像して、再構築して、タダヒコもワタシも、「その寝言は、おかしいコトじゃない」と気づくコトが、できました。
今は結婚してから、二か月以上がたちました。
ワタシたちは、まだ夢を見ているのかもしれません。
その証拠に、いつもは口にしないような言葉を交わし合っています。それは、きっと寝言なのでしょう。
じゃあ、この夢を見続けるために、ワタシたちは、ずっと眠り続けるのでしょうか。
いいえ。
そのままだと、夢はいつか忘れるモノです。だから、目を覚ましたいとも考えます。
どんな夢を見ていたのか……覚えている僅かな寝言をもとにして、もう一度、現実にえがいてみたいのです。
いい夢だとしても、悪い夢だとしても、小さな寝言の奥にある、ワタシたちの「本当」を、まるごと、だきしめていたいから。
ただ、今は……あしたが来るのを夢見つつ、夫のタダヒコと妻のシラユキは。
一緒に、安らかに、二人の眠りを混ぜています。
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「どうかな、タダヒコ」
「長いし、いい夢だね」
「これからも続くよ」
「夢みたいだね」
「同感。おやすみなさい」
「おやすみ」
* *
もう、きょうの寝言は続かなかった。静かな寝息が、部屋を満たした。
〈ドリーム・スリープ・トーキング 完〉
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
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それでは、機会がありましたらまた別の作品でお会いしましょう!




