もてあそぶため
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ついで右手が、ボクの体を引き寄せる。
「つまり福生タダヒコは、ワタシが所有し、もてあそんでも、罪悪感を覚えさせない初めての人間だったワケ。ワタシはアナタを脳内で潰して、『泥だんご』みたいにブチュッと言わせたかったんだ。とくにその顔を、潰したくて、たまらなかった……!」
冷たく重い息が、よろめくボクの右耳に入り込む。
「名前を呼ぶたび、アナタを握り潰すイメージが脳裏に走った。最初から本名で呼べば、ワタシが福生タダヒコに対して罪悪感をいだいていないと気づかれるおそれがあったから、あだ名を使った。タダピコという呼び名を喜ぶアナタが、ますます憎らしくなった」
「え、シラユキ?」
ボクは、なんとか両足で身をささえながら、意味のない問いを発する。
「それ……シラユキの書いている新作の話?」
「違うって。そういう、自分は人を信じてますってフリ、いい加減やめてよ。優しいのは表面だけで……心の底では、ただの一人も信じるコトができないクセに。だから寝ているワタシの口にも勝手にテープ貼ったんじゃないの?」
「そ、そんな、そんなコト」
「リズミカルに抗弁しないで。だいたい、卒業式の日、裏門で鉢合わせたときも『うわ』って思った。これまで名前を呼び続けて存分にもてあそんできた人間を、あっさり捨て去る……それでワタシの玩弄が果たされるハズだったのに、新しい期待をいだかされた」
この瞬間、シラユキの左目が、ボクの右耳に限りなく接近した。
もう一方の、丸く黒い瞳がボクを捉える。
「こうなったら、もっと所有し、もてあそんであげようかっていう欲が湧いた。だから高校卒業後に付き合った。本名呼びは、アナタを踏み潰し、踏み荒らし、踏みにじるイメージをかき立ててくれた。あらためて顔も、しっかり覚えた」
耳に接する目からさえ、息が放出されている――そんな雰囲気のなか、言葉が続く。
「で、大学を出て互いに仕事に慣れてきた時期に、結婚という話になった。これはチャンスだとワタシは喜んだ。だってタダヒコと結婚生活を送るコトができれば、アナタをもっと玩弄できると思ったから。さすがに愛の言葉とかは、はきそうなんで勘弁だけどね」
結婚式や結婚指輪をボクが不要と考えているのも、シラユキにとって好都合だったらしい。
好きでもない相手と一緒になるのだ。そういった、ウソをかたちにしただけのイベントやアイテムなど、おぞましいだけだ。
「でも、さらなる玩弄のためには、本名呼びや顔の記憶だけでは足りない。直接の嫌がらせが必要になる……! とはいえ面と向かって罵倒を飛ばせば結婚生活自体が破綻する」
ついで、「ネットに悪口を書き込むという手も考えたけど、アナタに届かないと意味がないからボツにした」とシラユキは付け加えた。
「……『創作物でタダヒコに似た人間を出して、それをたたく』というのも却下。やっぱり、それは本人じゃないから。じゃあ名指しせず、当てこするコトでアナタを追い詰めるか。これもダメ。タダピコは鈍感だから気づかない。……ただし、一つだけ抜け穴があった」
シラユキはボクの耳から、やっと目を遠ざけた。
やや離れた位置で、ささやく。
「寝言」
続いてシラユキの左手が、ボクの左手をつかむ。なおボクの利き手は、まだシラユキの右手につかまっている。果たしてボクの両腕は、交差する格好となった。
次の瞬間、シラユキがつま先の方向を転換した。
シラユキの上体のみならず、その全体が正面を向き、ボクに対する。
「都合がいいよね、『寝言』って。そばにいる人に暴言をはいても、『アレは寝言だった』というコトにすれば本人は責められない」
「もしかして……共同生活初日の『ぶっころ』も……!」
「そう、実は寝言じゃなかった。起きているワタシが明確な意識のなかで、叫んだ言葉。アナタをもてあそぶ罵声であると同時に、ワタシの本心とも言える。玩弄の最終地点は、やっぱり殺すコトだもの。もちろん本当に殺したりは、しないよ。遊べなくなるから」
シラユキは、ボクの腕を交差させたまま淡々と「ネタばらし」をおこなう。
夢は覚えていない……という体裁にした。「明らかに夢のなかで言った」という前提だと、タダヒコ本人ではなく、無関係の夢の住人に伝えたメッセージになってしまう。
それではタダヒコを玩弄できない。
タダヒコを所有物として一方的にもてあそぶには、「これは寝言だ」という観念と、「実は自分に向けた言葉ではないか」という疑念を、同時に与えるコトが肝要なのだ。
二回「ぶっころ」と口にしたのにも理由がある。
一回だけだと、聞き間違いとして処理されるおそれがある。三回以上だと、さすがに「わざとではないか」と思われかねない。
もっとも都合のいい回数が、二度の「ぶっころ」だったのだ。
単に「殺す」と言うだけでは短すぎて聞きのがされそうなので、少し長めのセリフを設定した。当初は、「殺してやる」が偽の寝言の候補だった。
といっても、このままでは直接的である。
万一、寝言と解釈されなかった場合、外部に相談される可能性が高い。
よって「ぶっ殺してやる」に修正する。これならマンガのセリフのようでもあり、コミカルな調子を帯びる。そのぶん現実感が薄く、明確な意識のなかで話した言葉と思われにくい。
そうして「寝言に違いない」という思考にタダヒコを誘導してしまえば、こっちのモノだ。
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