可変限界
きのうボクが見たであろう夢の後編――その想像を始める。
いかにしてボクこと福生タダヒコが「シラユキ、キミと結婚するんじゃなかった!」という寝言を口にするに至ったのか――それを伴侶のシラユキと共に再構築しなければならない。
ボクは今までどおり、想像した夢をシラユキに伝えていった。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
――食後、シラユキが外出用の服に着替え、家から出ていこうとする。
ボクは玄関で、シラユキの右手をつかんで引きとめた。
後ろから、右手で右手を取ったのだ。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
現実のシラユキ「……納豆は、どうしたの」
現実のタダヒコ「消えたよ。ボクは一回目の寝言で起きたあと、『夢の最後でシラユキが目の前にいた』という感覚ばかりを記憶していた。つまり納豆自体は、たいして重要じゃなかった……。『理解できない状況』を演出するための装置でしかなかったと考えられる」
ユキ「その役割を果たした納豆は存在意義を失い、以降の夢には出現しない……というコトだね」
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
手をつかまれたシラユキが、上半身をやや右にねじる。
ボクをにらむ。
「なに? 少し散歩してくるだけ……なんだけど」
「もう戻ってこないつもりじゃないのか」
「出ていけって言ったのはタダ『ピ』コのクセに」
シラユキが玄関のドアノブに左手を伸ばす。
が、ボクはシラユキの右手をはなさなかった。よってシラユキは外に足を踏み出すコトができなかった。
とはいえシラユキは、ボクの手を振りほどこうとしなかった。
少しドアをあけたあと、ため息をついて。
結局、閉めた。
シラユキは靴をはいたまま、ボクの足をおおう靴下を見下ろした。
黙っているシラユキになにを言うべきかわからなかったボクは、必死に言葉を絞り出す。
「さっきシラユキが言った、タダ『ピ』コって……高校のときのボクのあだ名だよね」
「また呼ばれたい?」
「そうだね」
「おめでたいコトだね」
しびれを切らしたかのように、シラユキが言葉を吐き捨てる。
「愛称だとでも思ってる? 普通に、アナタをもてあそぶために言ってたんだけど」
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
タダ「もちろん、これはシラユキに対する逆のイメージ」
ボクは、ひたいに右手をあてがう。
タダ「とはいえ頭痛がしてくる。今さらだけど……シラユキを悪い人みたいに想定するのは、どうも、きつい。いや、それ以前にボクの想像している夢のシラユキを『悪い人』だと定義しているコト自体が、なんか、ひどく……ボク自身の勝手というか。なにさまというか」
ユキ「さすがタダピコ。善良さが、にじみ出てるね。夢でもない限り、ワタシを変な目で想像しないワケだ」
シラユキが、背筋を伸ばして息をつく。
ユキ「ワタシは別に、夢の自分がどんな人として描写されても、なんとも思わないよ。どうせ現実の話じゃないし。タダヒコ自身が本当のワタシをどう見ているのか、もう理解しているし。そして最後の寝言をどうしてタダヒコが口にしたのか……納得したくも、ある」
タダ「うん、ボクも中途半端なところで、やめたくない。最後まで夢を再構築して、自分のひどい寝言にケリをつけたい。……あとシラユキ。先に言っておくけど、これから高校生のときの記憶にも言及するコトになる。いいかな」
ユキ「文化祭の準備のなかで接近して、ワタシがタダ『ピ』コと言うようになって、卒業式の日にあっさり帰ろうとするワタシをタダ『ピ』コが呼びとめて、それをきっかけにしてワタシがタダ『ヒ』コという本名を口にする――ここまでの記憶かな」
タダ「そうそう」
ユキ「悪いワタシを想像するのに、罪悪感は要らないからね」
ひたいに置いたボクの手に、シラユキの左手が重ねられる。
ユキ「悪い想像をするコトは、悪い人の証明じゃない。ただ、想像力があるというだけの話なんだから……。悪い『自分』を思いえがいた場合でも、同じ。悪夢とは、もっと気楽に向き合っていいんだよ。ワタシも……。タダヒコも」
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
シラユキの言った意味がわからず、ボクの全身は固まった。
目もとをゆがませながらシラユキは、口角を怪しげにつり上げる。
「高校生のときから、思ってた。……気味悪いって」
いつもより何倍も低い声が、シラユキの喉から、あふれてくる。
「覚えてるかな。高一の文化祭の準備のときに、劇で使う書き割りを一緒に運んだよね。そこでタダヒコがワタシと話して……『自分が人から声をかけられるハズがない』とか言ったんだよね」
「言ったと思う」
「しかも、ワタシの余計な偽善に対して『うれしい』とも口にした」
シラユキの低い声が、ボクの胸を乱そうとする……。
「ワタシは心で軽蔑してた。人に中途半端な優しさをひけらかす一方で、自分は誰の感情の対象にもなりえないっていう……そういう、どっちつかずの態度が愉快じゃなかった。今もだけど」
ここでシラユキの右手首が回転し、ボクの利き手を握り返した。
「なんでワタシが、そのあと『タダピコ』って呼んだか、わかる? アナタと仲よくなりたかったからじゃないよ」
「名前を呼ぶのが苦手という性分を克服したかったからだよね」
「それも、ただの口実。大学生になってから明かしたでしょ。『ワタシは人の顔や名前を覚える際に罪悪感を覚える』って。『所有し、玩弄しているようで、嫌だ』って。これを考えれば、もっと単純な話じゃん」
握るその手に力が籠もる。
「アナタの名前を呼んだのは、アナタを潰したかったから」
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐