寝言を理由にして別れた二人は今まで何人いたのだろう
朝の食卓……。
ボクの対面に座って、平然と食事を進めるシラユキ。
「でもタダヒコが夢の全部を覚えてなくて、しかも寝言を口に出したワケだから、今回はタダヒコの夢が再構築される番だね。いやあ楽しみ」
「あの、シラユキ……」
置いた箸を、ボクは右手に再び持つ。
「気にしてないの? ボクの寝言」
「当然、気にしてるよ。どんな夢を見たのか、考えるだけでワクワクする」
「たとえば『こいつ、こんな最低なヤツだったんだ』とか思わない?」
「ちっとも」
「さすがに名指しは擁護できなくない?」
「できるよ。確かタダヒコの二回目の寝言は『キミ』って言葉を含んでた。タダピコって高校のときから人のコト、『アナタ』『キミ』『オマエ』って……つまり二人称で呼ばないよね。少なくとも、ワタシが知ってる限りでは」
そしてシラユキは、「この時点でタダヒコの見た夢が特異なモノだったとわかる」と続けた。
ボクは「ありがとう」と返す。「シラユキ、キミと結婚するんじゃなかった!」という、自分でも思い出すのがつらい寝言を、シラユキがくりかえさないで……いてくれたから。
「シラユキは、どうして信じてくれるのかな……」
「タダヒコは、『ぶっころ』っていうワタシの破局レベルの寝言を聞いても、ワタシを信じてくれた」
いったん白米の小さな塊を箸でつまみ、それを飲み込み、微笑するシラユキ。
「だからワタシもタダヒコを信じる。わかりやすい話だね」
「最初からボクは許されるコトを計算してシラユキを信じたのかもしれないけれど……」
「もう聞いてるし、一緒に住んで二日目に。そのとき『ちょっと、ずるい』ってタダヒコ、言ってたけどさ……それならワタシも、ちょっと、ずるい」
「シラユキは悪くない」
「ワタシ、きのうの夜にタダヒコのあられもない寝言を聞けて……」
箸を置き、シラユキが右手を胸に当てる。
「うれしかったし、ほっとした」
その声は、ほどほどに低く、いつも以上に人を落ち着かせる柔らかさを持っていた。そこにウソが入り込む余地などないと……信じられるほどに。
「ほっとしたのは、『タダヒコもワタシと同じ』って、わかったから」
ごはん食べてていいよと、シラユキが目配せする。
それを受けて箸を動かすボクの耳を、低い声がゆっくり揺らす。
「今まではワタシばかりが変な寝言でタダピコに気をつかわせてきた。けれどタダヒコ自身が変な寝言を口にしてくれた今なら、ワタシもタダヒコと同じ、相手を思う立場に立てる。ワタシは対等になりたかったんだ……。だから、うれしい」
「本当に対等だろうか。ボクの一回目の寝言からして」
ボクは、ゴクンと喉を動かした。
「……『今すぐ出ていけ!』というモノだった。こっちのほうは名指ししてないけど、やっぱり目覚める直前の夢にシラユキがいたコトは覚えてる。ボクは夢のなかのシラユキに、それを言った」
「ごまかさないんだね」
「本当は、きのうの寝言や夢のコトを黙っているつもりだった。ボクは深夜に起きたとき、シラユキよりも、自分のコトばかりを気にして怖がっていた」
もう一度、喉を運動させる。
今度は口が乾いて、なにも飲めなかった。
「以前のシラユキの『ぶっころ』とは状況が違いすぎる。ボクのほうが圧倒的にひどい」
「ちょっと言い間違えてるなあ」
胸に当てていた手を持ち上げ、シラユキが小指のフシをほおに当てる。
「状況が違うからこそ、タダヒコのほうが圧倒的に苦しいんだ」
そのまま、自分のほおを小さく、つねる。
「つらかったハズだよ。つらいハズだよ、あんな寝言を結婚相手に聞かれたら。『誤解されて失望された。もう関係は壊れて戻らない』とか『自分の本心は、こんなに汚いモノなのか。誰かと一緒にいる資格も価値もない』と、どうしようもなく考える」
シラユキは、よどみなく続ける。
「誰かと生きている自分そのものを否定しないと、自分自身を守れなくなるよね」
「……かもしれない」
「同じ経験をしたからワタシはタダヒコに寄り添える……と軽々しく言うコトはできない。タダヒコは寝言で、バイオレンスなコトと一緒にワタシの名前も口に出してしまったから。そんなタダヒコの……どうしようもないつらさを、ワタシで比較したらダメなんだ」
「本当につらいのはシラユキじゃ……?」
「わからないよ、そんなの。でも少なくとも、ワタシが自分を否定せずに済んだのは、タダヒコのおかげ。意味のわからない寝言を具体的な夢に当てはめてくれたから、ワタシは恐れずタダヒコと眠れる。だから次は、ワタシがタダヒコを安心させてあげたい」
(本当に不思議だ。この声を聞いていると、だんだん、だんだん心と体が落ち着いてくる)
ほおをつねるのをやめ、シラユキが僅かに左手を差し出す。
「そのくらい欲張ってもいいよね。とっくに家族なんだから」
「シラユキ……もちろんだよ、ありがとう……」
持っていた食器を、ボクはテーブルに置きなおした。
腕が、震えてしまっていたから。
目に、なにかが染みる。
「普通の夫婦は……カップルは、あの寝言を聞いて普通じゃいられないと思う。なのに、シラユキは……」
「ワタシも同じコトを言いたい」
「……そう」
同じコトを言いたい……それは、前にボクが口にした言葉じゃないか……。
シラユキの言った「ワタシ、タダヒコと結婚して、よかった」という、つぶやきに対しての返答だ。
ただし、あのときは互いに早口だった。だから「シラユキは聞き取れなかったかもしれない」ともボクは思っていたが、先ほど同じセリフを返されて確信した。
ボクの気持ちを、シラユキは確かに聞いていたんだ……。
「そうだね、ほかの夫婦や家族がどうとか、そういうコトじゃなかったんだ」
「うん、ワタシとタダピコは、安眠を取り戻すだけ」
差し出されたシラユキの片手が、こぶしに変わった。
「きょうも思いきって、やろう。福生シラユキと福生タダヒコなりのやり方で」
「それしか、ないね」
「あ、一応、聞いとくけど……ワタシ、タダヒコの傷口えぐってないよね。もし、そうなら、無理にやったりしないから」
「そんな心配はないよ。むしろ面白い」
「だよねー。でも、これって傷のなめ合いってコトになるのかな」
「いいや、もっと具体的に表現できる。安心して眠るために、僅かな寝言から、一つの夢をえがくだけ」
「目的も手段も目標もシンプルだったよね、ワタシたちって最初から」
「そう、すでに、そうだったんだ……」
深夜には想像のつかなかった夢の再構築も、今なら、できそうな気がする。
もうボクの寝言は、自分だけのモノでは、なくなったから。
二人なら向き合える。
(シラユキと一緒なら、見えてくるハズだ。あとは、いつもどおりの方法をとればいい)
出したこぶしをひっこめるシラユキ……。
ついで左右の手の平を重ね、緩やかに言う。
「とりあえずタダヒコ、朝ごはん全部、食べよっか」