夢の再構築-①
朝食のあと、しばらくボクたちは寝言や夢について話さなかった。
新居に移ったばかりなので、ゴミ出しのルールなど――あらためて確認したほうがいいコトがたくさんあった。
ちなみに必要な荷物は、すでに運び終えている。
きのう家族のみんなが来て、荷ほどきや掃除を手伝ってくれたのだ。
そして昼。
シラユキとボクは外に出たとき、隣に住む女性と鉢合わせした。
ボクたちの部屋はマンションの通路の「はしっこ」に位置するので、お隣さんはその人だけだ。
きのうのうちに、もう挨拶は済ませてある。
ともかく、大きな寝言が響いて隣人に迷惑をかけたかもしれないというコトでシラユキは謝ったが――。
相手の女性は「いえ、なにも聞こえなかったですよ。最近わたしは米寿を超えたばかりですが耳が遠いワケでもありませんし……間違いないです」と返してくれた。
マンションの壁が厚くて本当に聞こえなかったのか、寝言は思ったよりも大きくなかったのか、お隣さんが気を利かせてくれたのか――それは確かめようがないけれど、ボクたちは「すみません、ありがとうございます」と口にして頭を下げた。
* *
その日の夕方、和室に座布団を敷く。
そこに座って、ボクたちは向かい合った。
「さて、いろいろ一段落したし……タダヒコ。ワタシの夢、どんなだったか具体的に組み立ててみよう」
「……シラユキの寝言を並べると、『ぶっ殺してやる!』二つに、『やめてよ! サラダがフクロウになっちゃう!』一つが続くかたちになる。これらのセリフを、同一の夢でシラユキが口にしたと仮定して、と」
座布団のはしを引っ張り、ボクは体を少し揺らす。
「とはいえ同時にボクは……シラユキの無邪気な寝顔と、気持ちよさそうな寝息を確認している。――おまけにシラユキの寝覚めがよかったコトを考慮すると、シラユキ自身は『いい夢』を見ていたと考えられる」
以上を踏まえて、きのうの夜にシラユキが見た「夢」を再構築する。
* *
主人公は、シラユキ。
夢においては、本人の年齢や性別が本来のモノとは異なる場合もあるだろう。
ただし明確な判断材料もないので、主人公のプロフィールはシラユキそのままの――二十代半ばの女性と見ておこう。
といっても、夢でシラユキが置かれていた環境に関しては「現実のモノとは違う」と考えていい。
でなければ……「サラダがフクロウになる」など、ありえない。
おおまかな舞台は、自然に囲まれたところではないだろうか。
サラダには野菜すなわち植物を使う。フクロウは森などに住む。
この二つのキーワードから、「都市部といった人工的な場所が舞台ではない」と推測できる。
フクロウという夜行性の生き物が出てきたとすれば、時間帯は夜である可能性が高い。
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――気づいたら、シラユキは暗い森のなかを歩いていた。
怖くはない。
月明かりが、あたりを照らしていたからだ。
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※点線で区切られている部分が、二人の再構築した夢である。(地の文であっても各段落の一マス目を詰めている。以降も同様)
シラユキ(以下ユキ)「ごめん、タダヒコ」
ここから夢を組み上げようと思った矢先に、シラユキが申し訳なさそうにボクの膝をつついてきた。
ユキ「……ちょっとツッコんでいい?」
タダヒコ(以下タダ)「いいよ」
ユキ「思うんだけど、いくら月明かりがあったとしても……一人で暗い森を歩くの、怖いに決まってるって」
タダ「確かに。ちょっと追加しようか」
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シラユキは一人ではなかった。誰かに手を引っ張られていた。
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ユキ「……『誰か』って?」
タダ「そこは限定しない。妖精かもしれないし知り合いの人かもしれない。とにかくシラユキが不安を覚えない人」
ユキ「ふーん、じゃあタダヒコだね。あと、手を引っ張られていたって……具体的にどの手? 右手? 左手? 両手?」
タダ「さすが物書き……細かいところまで。シラユキの利き手――右手がふさがっても不安だろうから、ボクが持っていたのはシラユキの左手じゃないかな」
ユキ「それなら納得。もちろん利き手のほうを握ってもらったほうが安心するって人も多そうだけどね」
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自身の左手を引っ張る者は、夫のタダヒコだった。
タダヒコは「きれいな月がよく見える場所を知っている」と言って、シラユキを森の奥まで案内する。
その場所は小高い丘で、中心には木らしい木が生えていなかった。
ただし、大きな切り株が一つあった。
二人は、そこに座って空を見た。
上空に浮かぶ丸い月が、くっきりと目に映る。
しかし、その瞬間に事件が起こった。
急に満月が笑い始めたのだ。
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ユキ「きっと、お月さまは顔をクシャクシャにして笑ったんだろうね……。それも、通常の何倍もの大きさになって。だから、『それが笑顔である』とワタシは即座に理解できたと」
タダ「……え? ボクは、そこまで考えてなかったよ」
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満月は口角を上げ、地上の二人に向かって怒鳴った。
「ワシをぶっ殺してくれるか!」
その言葉は表面的な物騒さとは裏腹に、豪快で気持ちのいい調子を帯びていた。
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ユキ「ちょっと待った、お月さまの一人称、ワシなの?」
タダ「なんとなく」
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シラユキは月と向かい合い、自分も同じく声を張り上げた。
はるか上空にも届くよう、普段の低い調子から外れた金切り声を出す。
「うん! ワタシが、ぶっ殺してやる!」
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ユキ「やるね、ここで最初の『ぶっころ』を回収するんだ。『許せないコトがあって口走った』っていう、当初の仮定とは違っているけど」
タダ「これならシラユキが、そのあとも無邪気な寝顔でいられたコトに説明がつく。挑発的で、なにかを楽しむような月の思いにシラユキが応じただけだとすれば」
ユキ「で、このあと次の『ぶっころ』……。とはいえ、一回目のそれとは間があくんだよね」
タダ「二回目の『ぶっころ』が聞こえるまでのあいだ……現実のボクは、誰か家に入ってきたんじゃないかと怖くなって戸締まりをチェックしてた。問題は、その時間にシラユキ自身が夢でなにをしていたのか」
ユキ「――サラダ。ここでサラダがカギになる」
タダ「うん? サラダは、まだ先じゃ……?」
ユキ「前提が違ったんじゃないかな。これまでワタシたちは、『主人公が食べるモノ』としてサラダを見ていた。でも実は……このサラダが『お月さまに食べさせるモノ』だったとしたら?」
タダ「まあ月が口角を上げたからには、なにかを食べる口も付いてるってコトだしね。だけど、なんで月にサラダを食べさせなきゃなんないんだ?」
ユキ「タダヒコは、ヨモツヘグイって知ってる?」
タダ「あの世の食べ物を口にしたら、この世に戻れなくなるってヤツだっけ?」
ユキ「そうそう、これの応用。天上の月をほうむるには、空から落とすしかない。とはいえ物理的に落下させるのは難しい。だったら、お月さまに地上の食べ物を口にしてもらって、ワタシと同じレベルに落とし……天まで戻れなくすればいい」
タダ「食べ物のなかで、とくにサラダである理由は?」
ユキ「まわりが森で、緑が多いから……そこから一番に連想される料理になる」
タダ「とすれば、一回目の『ぶっころ』のあとシラユキは月に食べさせるためのサラダを準備していた。……だから二回目の『ぶっころ』に入るまでに、それなりの間があった――というコトだね。ただ、森のなかでサラダをどうやって用意するか。店も、なさそうだし」
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月に向かって「殺す」と宣言したシラユキは、月を落とすべく地上の料理を用意するコトにした。
地上の食べ物を口にするコトは、「地上そのものを受け入れる」コトでもある。
そうなれば、二度と月は天上に帰れなくなるだろう。
このとき、天から人々を見下ろす月は――確かに死ぬ。
そう考えたシラユキは丘を離れ、再び森の木々のあいだに入る。
森の外にある町でサラダを買ってくるつもりだった。
月に食べさせる料理としてサラダを選んだワケだが、それはなぜだろう。
深い理由はない。
シラユキは自然のなかで、おのれの直感に従ったにすぎない。
いても立ってもいられず駆け足で引き返すシラユキ……だが。
どんなに走っても町に着かない。
それどころか、月のよく見える例の丘に戻ってくる。
シラユキが自分の前から逃げないよう……月は森に「のろい」をかけ、脱出不可能にしたのである。
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ユキ「のろい? いいじゃん、タダヒコ。ファンタジーっぽい……」
タダ「こういうぶっ飛んだ要素がないと、夢のリアリティがないからな」