寝言は罪になりうるか?
まだ暗い部屋のなか、ボクはシラユキの近くに横たわっている。
今しがた寝言を漏らした――という感覚と共に。
(もし自分に言ったとシラユキが誤解したら……! いや誤解なのか? さっきの夢で、ボクは確かにシラユキに「今すぐ出ていけ!」と言ったじゃないか。じゃあボクが願うべきは、「誤解しないでほしい」じゃなくて「誤解してほしい」のほうなのか……?)
身が、震えた。
合わせて布団の位置がずれた。
(ボ、ボクが、シラユキに「出ていけ」なんて言うハズがない。え? なに自己弁護しているんだ? これがボクの本性、シラユキに対する本音、普段、隠している本心なんじゃないのか。え? こんな、ひどい人間と一緒に眠っているなんてシラユキが、かわいそう)
いや、そもそも「シラユキ」って、なれなれしく呼び捨てにするなよ。オマエにそんな価値ないよ……え? オマエって誰のこと? あ、ボクか。
頭のなかの言葉がとまらない。
夢の延長線上にいるのか……冷静に言葉を選べていない。
(そういえば暴力的な寝言は倫理上どう扱われるべきなんだ。普通、寝言で「ぶっころ」と口にしたらDVは成立するのか? 子どもと一緒に眠っているときに「出ていけ」という寝言が飛び出したら児童虐待にあたるのか?)
公共の場で居眠りをしてしまい、寝言で「ここを爆破する!」と叫べば犯罪なのか。
寝言の録音がネットに流れた場合、それは「当人の本性」として解釈されるのか。
(少なくとも寝言は本人の故意じゃないのに。過失ですら、なさそうなのに。これは誰の罪なんだ。誰も悪いワケじゃない)
ただ、思うのは。
これをきっかけにして、今が壊れるコトが怖い。
(身に染みた……シラユキのつらさが。夢自体は、いいんだ。寝言そのものも、問題ない。「たまたま、そんな夢を見て、寝言を口にしただけだ」と振り返れば済む話だ。恐ろしいのは、その寝言を聞いた人が自分を見放すコトなんだ)
そうでなくとも、嫌な言葉を聞いて相手が純粋に苦しんでいるなら……こちらも、つらい。
寝言を発する本人が悪くないとすれば、責める対象をどこにも求められない。
(一緒になったコトが不幸……その事実だけが残るのか?)
――寝言は、その人のすべてじゃないから、今回のボクの寝言も気にしなくていい?
たとえ本人がそう思っても、ほかの人がそう考えてくれなかったら、なんにもならない。いや、当事者が主張すると、かえって言い訳やごまかしにも聞こえるのだろうか……?
(寝言は機密情報の漏えいか――そんなコトを以前シラユキは気にしていた。あのときは唐突な疑問と思ったけど、本人からすれば、それほどの問題だったのかもしれない)
しかも、ここに生じるのは、「本音や秘密を聞かれた」という単純な恐れとは限らないようだ。
自分が寝言で口にしたコトが真に本音や秘密にあたるのか、そうでないのか……自分でも区別がつきにくいところにも苦悩が生まれる感じがする。
なぜなら寝言を口に出す際、当人に覚醒時のような意識はない。「これは本音だ・本音じゃない」「これは隠していた秘密だ・秘密じゃない」といった明確な思いと共に言葉にするワケではないため、実際の寝言の真意も確定するコトができないのだ。
(ただ、例外もありそうだ。現に先ほどのボクの寝言は、本音だったような気もする……。「寝言の真意は確定しない」と断ずるのも、ごまかしの一環だろうか)
そもそもボクは、これまでにも、ひどい寝言を口にしていなかったか?
シラユキは黙っているだけではないか?
これからもボクの寝言は飛び出しうるのか?
自覚のある寝言だけでなく、無自覚な寝言も怖い。
夢を見たら、その都度、「そこで飛び交った言葉が外に漏れたのでは」と恐れるコトになるのか。
夢を覚えていなくても寝言を口にする場合があるのなら、「誰かと眠る」という行為自体に恐怖を感じなければならないのか。
(不安の温床に横たわっている気分だ)
ところで、お得意の「夢の再構築」は、どうしたんだ? 先ほどの夢の全貌は? ダメだ……自分のコトとなると想像がつかない……。
(シラユキにひどいコトを言った夢と、向き合う勇気がどこにもない)
もう考えたくない。今やボクの身をおおう布団までもが重すぎる。疲れてきた。
(いや、もしかしたら、さっきの「今すぐ出ていけ!」は寝言にならなかったのかも。本当にボクは自分の寝言で目を覚ましたのか? 夢でそのセリフを言ったタイミングで、とくに、なにかを聞いたワケでもなく、ボクが起きた可能性もあるだろう)
都合のいい話だ……。
シラユキの寝言を黙っていなかったボクが、自分の寝言のほうを、なかったコトにしようとしている。
そんなに上に立っていたいのか? と心のなかで自嘲する。
(思えば滑稽だ。妻の寝言を聞いて、それを偉そうに許して聖人にでも、なったつもりだったのか。適当にでっちあげた夢のかたちを、相手が本気で信じたとでも? ……ああ、もう、これはボクだけじゃなくシラユキもおとしめるような思考……よくないなあ)
でも不安だから考えてしまう。
ともあれ不思議なモノで、永遠に寝られそうにない状況で、いつの間にかボクは眠りに落ちていた。
次も寝言で目が覚めた。
「シラユキ、キミと結婚するんじゃなかった!」
起きたとき、あごが、こわばっていた。
喉が、熱かった。
間違いなく、これもボクの寝言だった。