あしたになったら
メモ帳の文字を追いつつ、宮先さんは最後まで言いきった。
「……最終的に、大学時代の恋に戻ってループするのは、先生の想像と同じです」
「すごいね、宮先さん」
もちろん、先ほどの話に関して「今度こそお父さんは、お母さんの家族とちゃんと向き合えたのかな」と聞くコトもできた。
だが、その部分に宮先さんが全然ふれていない点を考えると、そんな指摘をするのは人として野暮なだけだ……。
「二人が再会するなんて、ボクは、そこまで考えきれなかった」
「福生先生が言ってくれたベースがあったから、イメージできたんです。ワタシ、そういうマンガとかドラマとか好きなので。……両親の影響で」
宮先さんは、いつの間にか鉛筆を握っていた。それを使ってメモ帳のページに線を引く。
「お父さんもお母さんも、今回の寝言や指輪の件で……互いに嫌な感じにならなかったワケです」
目を閉じ、あごを上下させる。
「二人にとって、それは自分たちがかつて恋仲であったという証拠。さけてきたコトではあるけれど……結婚からさらに十年以上たったコトで、向き合えるようになっていたんですね。今回のコトを、かえって次の段階に進むための『きっかけ』にしたんです」
「解決するのは時間じゃなくて、もっと実質的なコトって言ってなかった?」
「いいところに気づきましたね。……あ、これ、言ってみたかっただけです」
まぶたをあけて、宮先さんが小さく笑顔を見せる。
「ワタシが産まれたおかげでしょうね。父母が指輪や寝言を『きっかけ』にできたのは」
「確かに、それなら……積み重ねたのは、ただの時間じゃないハズだよね」
「そこは、『自分で言う?』ってツッコむところですって」
メモ帳を両手で持ち、耳まで赤くなった顔を隠す。
「ちゃかしてくれないと、恥ずかしいコト、言ったみたいじゃないですか……」
「ごめん。ところで気になるんだけど」
話題の方向を、少し、ボクは修正する。
「宮先さんのお母さんは自分のコトを『ワタシ』と呼ぶんだよね。同一人物である元カノの一人称……『アタシ』と一致しないんじゃ?」
「自分の呼び方なんて生きていれば変わるモノですよ。ワタシも二年生のころまでは自分の名前が一人称でしたし。お母さんの場合は、中途半端な自分の使っていた『アタシ』を捨てて新しい『ワタシ』に生まれ変わる……という決意を込めていたんだと思います」
「なるほど、ボクは基本的にずっと『ボク』で通してきたから、わからなかったよ」
「お父さんの一人称が『アタシ』になったかと勘違いしたときも、なにか重大な理由があるのかなと思ったんですが……そっちは見当外れでしたね」
宮先さんは顔色を落ち着かせ、メモ帳と鉛筆を膝に置く。
「ワタシは……先生の想像してくれた父の昔の夢と、独断で一部修正したモノをこのメモ帳に書きました。でも、あと一つ『実は』と言うべきコトがあります。メモに書かなかったコトも、追加でワタシは、お父さんに伝えたんです。先ほど話した夢の続きです……」
両手をメモ帳の上に載せ、ゆっくりと語る。
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……指輪は想像以上にオレの心を掘り起こした。
寝言で、当時の記憶が漏れてしまうほどに。
オレ自身は、寝言のもとになった夢を覚えていない。
しかし「アタシが悪かった」「まず謝るべきはアタシだ」「アタシは裁かれてしまいたい」という三つの言葉を口にしたと家族に告げられたとき……大学時代のあのときの夢を見たのだと確信した。
オレが「アタシ」と言ったというコトは、彼女視点の夢だった可能性が高い。
自分は当時、相手の立場をきちんと考えるコトができなかった。
同じ失敗は、したくない。
だから、今回の夢において自分は脇役になったのではないか。
夢を思い出せないのは、オレ自身がはっきりとした主人公ではなかったからだと思う。
一週間以上、同じ寝言をくりかえしたようだから……指輪の効力も恐ろしいモノだ。
しかし妻は不安そうな顔を見せなかった。
いつもどおり、堂々としている。
娘には「最近部屋を片付けたのか、思い出の品でも見つけたのか」と聞かれた。
何回か頼まれただけで、オレは、青い宝石の指輪を見せた。自分でも意外だった。
オレはホコリを払い、宝石を見つめた。
そこにあるのは、青く苦いだけの輝きではなかった。
かつてのオレと彼女が中途半端だったのが事実であり、それを指輪が象徴するのだとしても、今、輝きが映すのは――。
家族になったオレたち三人の姿にほかならない。
妻もオレの寝言を聞いて……「自分たちは婚活パーティーで会うまで付き合ったコトがなく、今まで別れたコトもない」という幻想から覚め始めているだろう。
ずっと逃げてきた真実と向き合うのは、怖いハズだった。
一方で、ついに二人は「知らないフリ」を抜け出して未来に進める。……そんな予感に胸が高鳴った。
話した。打ち明けた。昔のコトも指輪のコトも。
妻は、うなずきながら聞いてくれた。
二人が大学時代にも恋仲であったコトは、もう否定のしようが、なくなった。
なにも、こじれなかった。
むしろ今までの緊張からの解放感が、スッと胸に入ってきた。
都合がよすぎるだろうか。そうでも、ない。
なぜなら二人は、同じ相手に本気の恋を二回も重ねた同士だから。
こうしてオレと彼女は、虫のいい幻想を越えて、その先に踏み出す。
今は三人で、これからのすべてを大事にしたい。
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これにて、今度こそ、宮先さんのお父さんが見た夢は終わり……。
最後の最後でボクは気づいた。
「なるほど、これならループしない。お父さんの寝言がやんだのは……昔の夢が終わったのは……宮先さんが、素敵な夢の終わり方を示したからなんだね」
「素敵かは知りませんが……そうだと、いいな」
宮先さんは、うつむく。
対面に座るボクの膝を見る。
「だけど、ワタシたちが話したコトが本当である証拠は、ないんですよね。都合がよすぎと言えば、それまでですし。実際、お父さんの見た夢とも、お母さんとお父さんが体験した過去とも、違うかもしれないんですよね」
「……うん」
「でもワタシは信じますよ。だってお父さんが、うなずいてくれたから」
鉛筆をメモ帳に挟み、宮先さんは椅子から立ち上がる。
「福生先生、ありがとうございました。最初は不安で心配だった意味不明な寝言が……先生のおかげで、意味のあるモノになりました。それは過去のコトですが、別の面では未来のコトも示していたように思います。……って、ワタシ、妙にキザなセリフを」
「いいや、宮先さんの気持ちが伝わる、いい言葉だよ。そしてボクからも、お礼を言わせてほしい。温かい話にふれるコトができたから。これからも、家族みんなで幸せにね」
「ちょっと先生……。そんなにストレートだと照れますって。とにかく、失礼しました」
事務室から宮先さんが出ていったあと、ボクは、残されたパイプ椅子を片付けた。
* *
その日、帰宅してからの食事の席で、シラユキがボクに聞いた。
「タダヒコ、きょうこそ、おととい言っていた『答え』は見つけられた?」
「ボクは、『それ』を見ていただけだよ」
「さすがタダピコ。やりとげちゃったか」
それ以上なにも聞かないシラユキの微笑を、ボクは、その夜の夢に見た。
夢を覚えていたのは、久々だった。