夢のような過去を変えよう
――ボクは安心していた。
宮先さんのお父さんの寝言について、もう語るコトはないと思ったから。
が……宮先さんの次のひと言により、その勘違いは打ち砕かれた。
「……父が寝言を口にしなくなったのは、なんでだと思います?」
「それは……」
宮先さんの真意がわからないまま、ボクは慎重に答える。
「お母さんに事情を話して、気持ちの整理がついたからじゃないかな」
「人の気持ちは、誰かに伝えただけで簡単にリセットできるモノじゃないですよ。そういうところは鈍感ですよね。福生先生って」
作っていたこぶしをひらき、宮先さんは例のメモ帳を取り出す。
「実は、先生から言われた夢の話……ワタシ、ちょっと変えて、お父さんに伝えました」
「どんなふうにアレンジしたの? 気になるなあ」
「おこんないんですか。勝手にいじくったんですよ」
「お父さんの夢に関しては、もともと、一緒に想像するって話だったからね」
「ワタシが変えたのは最後の部分だけです。つまり、元カノと父がカラオケボックスで別れたあとの話ですね」
メモ帳をもひらき、それを片手に持つ。
「先生は、過去の夢の語り手としてのお父さんにばかり注目していました。それが、納得できなかったんです」
もう一方の手の指で、自分の太ももを小刻みにたたく。
「きのう、『過去になにかあったのか真っ先に不安になるのはお母さん』と先生は言いましたよね。でも、お母さんは父の寝言をくりかえし耳にしても……父を疑う様子を見せず、関係は良好なままでした」
「そう言われると、不思議だ」
「あと……よく、こじれなかったなあと思います。父は母に元カノのコトを話したんでしょう。でも元カノは、父に指輪まで託した人ですよ。それを今ごろ夢に見られたワケです。ワタシが母の立場だったら、夫が現在進行形で浮気していないか、もっと疑うと思います」
「まあ簡単には納得できないかも」
「でも、お母さん、ケロリとしてる」
「まさか、お母さんも……その過去の夢の登場人物で、最初から事情を知っていたとか? その可能性をボクは見落としていた。きのう想像した夢は、見当外れだったのか……」
「いえ。完全に間違っていれば、父はワタシに、うなずきを見せなかったハズです」
「話自体は、二人の恋物語で合っている……? じゃあお母さんは、これにどう関わっているんだろう」
――ここでボクは、まだ考えていなかった可能性に思い至った。
「いや待てよ。もしかして……!」
「ようやく気づいた、みたいですね」
宮先さんは口角を上げ、歯を見せる。
その表情を、ひらいたメモ帳で半分隠す。
「昔、お父さんが恋をしたという女の人は、ワタシのお母さんその人ですよ」
続いて……。
ボクの想像した夢の最後をどう変えたのか、口にする。
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……オレが結婚したのは、大学を出てから十年後のコトだった。
友人にさそわれて、しぶしぶ参加した婚活パーティーで、オレはその人と出会った。
いや、正確には「再会した」と言うべきだろう。
なぜなら彼女の名前は――大学時代に恋仲にまでなって、青い宝石の指輪だけを残して去った、あの人と一緒だったから。
顔も、そんなに変わっていない。
相変わらず堂々としていて、きれいだった。
婚活パーティーが終わってからも、オレと彼女は何度も会った。
そのうち、彼女は自分の境遇について話してくれた。
少し前まで海外に住んでいたと。
いいところのお嬢さまだったが、親の会社の業績が急速に悪化し、会社自体が潰れてしまったコトで……今は、ほとんど余裕がないと。
「なのに婚活してるって、矛盾だね。ワタシ、飢えてるだけかもね。もう、親の会社を継がなきゃいけないワケでもないし」
同情を受けるために明かしたのではない。
付き合うからには、今のうちに自分のコトを話すべきだと思ったから、打ち明けたのである。
「元カレに、大事なコトをなにも言わないで失敗したコトがあるの。ワタシ、それで神さまにでも裁かれちゃったのかもね。どうせなら、ワタシだけに天罰がくだれば……よかったのにね」
彼女も、婚活パーティーの時点で、オレの名前を聞いている。
記憶にある元カレの顔とも一致するだろう。
にもかかわらずオレも彼女も、まるで互いに今まで会ったコトがないかのように接した。
目の前の人間は大学時代に付き合った人に似ており、同姓同名でもある……が、それはただの偶然で、あのときの元カレや元カノとは別人なのだと自分に言い聞かせた。
……「かつて付き合っていた相手と婚活パーティーで再会する」という通常ありえない出来事を、別のありえない空想で上書きしたかたちだ。
なぜ、そんな面倒なコトをしたのだろう。
おそらくオレも彼女も、「苦い過去とまともに向き合うコトなくやりなおしたい」という、虫のいいコトを考えていたのだ。
そのままオレたちは、互いに「よりを戻した」という体裁ではなく、「新しいパートナーを見つけた」というフリを続け、その前提のまま結婚した。
結婚指輪は要らないという意見は二人のあいだで一致した。
当然だ。お互いにとっての「指輪」は、祝福の意味を持たない。
新しい生活において、オレは、例の青い宝石の指輪を隠した。
それが彼女の目にふれると、オレがあのとき別れた人間だと確定してしまうから。
かつ、本当の彼女と向き合わなければいけなくなるから。
しかし娘が産まれて、だんだん大きくなって。
いつしかオレは、指輪のコトを忘れていた。
だから部屋を整理しているときに、不用意にそれを見つけてしまった。
隠し続けようと思った。
だが指輪は、想像以上にオレの心を掘り起こした。
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