寝言に関する想像力
納豆をかき混ぜながら、シラユキがうなだれる。
「ごめんね。ワタシ、タダヒコを起こしちゃってたんだ。しかも一緒に住み始めて、初日からだなんて……」
「いや、いいんだよ。『寝言』って自然に出るモノみたいだし。ボクだって眠ってるときに、なんか言ってるかもしれない」
事実、中学生のころボクは、寝言で叫んだコトがある。
シラユキは、声をやや高める。
いつもより幼く聞こえる。
「一緒に眠るの、嫌になったりしないの?」
「しない」
「ありがと、タダヒコ。でも『もう食べられないよー』みたいな、かわいい寝言じゃないんだよ。フクロウうんぬんはともかく『ぶっ殺してやる』はアウトでしょ。だけどさ、タダヒコ……それ絶対タダヒコに言ったモノじゃないって、ワタシ、断言するからね」
「うん、わかってる」
「現実で『ぶっころ』と叫びたいくらい嫌な目に遭ったワケでもない」
「となると夢を見て、そのなかで許せないコトがあって口走った流れじゃないかな……。夢のなかだと人の理性は飛ぶモノだし。そう考えれば、シラユキが普段出さない声を出したコトにも説明がつきそう」
「夢かあ……」
シラユキが少し顔を上げ、今までとは逆向きに納豆をかき混ぜ始める。
「むう、思い出せないよ。金切り声で『ぶっころ』って言ったんだよね? どんな悪夢を見たのやら」
ここでシラユキの手がとまる。
「……いや、でも変だね。本当に、悪い夢を見ていたのかな。そのわりには、きょうは寝覚めがよかったような?」
「もしかしたら、『夢のなかで嫌なコトが起こって、それに憤りを覚えました。このときのセリフがそのまま寝言になりました』っていう単純な話じゃないのかもね」
いったん緑茶で喉を潤し、ボクは思い出す。
「眠っていたときシラユキは、邪気のない寝顔をしてた。一回目の『ぶっころ』のあとも穏やかな表情で口を閉じていた。おまけに、気持ちよさそうな寝息だって立てていたし」
「つまり、実際にワタシが見ていたモノは『いい夢』だったかもしれないと?」
「うん。だけど、この仮説には問題もある。いい夢において、どうして『ぶっころ』が出てくるんだ? それも二回も」
「しかもサラダがフクロウになったとすれば、ワタシは確実にショックを受けていたハズ」
シラユキが、納豆を白米にかける……。
「その場合、寝覚めが最悪でないとおかしい」
「となるとサラダは結局フクロウにならなかったんじゃ? シラユキ自身が関与したかはわからないけれど、なんらかの事態が発生してフクロウ化が阻止され、サラダをそのまま食べるコトができたとすれば――シラユキが気持ちよく目覚めたのにも納得がいく」
「なるほど……タダヒコが聞いた寝言は三つ。ただし寝言は、とくにワタシが夢中において印象深くしゃべったセリフと思われるね。実際の夢の大半は寝言にならず、ワタシ自身も思い出せない。でも僅かな寝言をヒントにして夢そのものを再構成するコトはできそう」
「そうそう、ボクがやろうとしてるのは、そういうコト。憶測を当てはめるにしても、答えがあるとなんか安心するから……いや待てよ」
ふとボクは、気になった。
「よく考えれば、人の寝言や夢に関していろいろ言ったり憶測したりするのって、本人からすればあんま気分のいいモノじゃないかもしれないな……。ごめん、シラユキ。この話はおしまいで」
「いや続けようよ」
真剣な面持ちのなかに小さな笑みを含ませて、シラユキが言う。
「単純に楽しいと思う。それに……ネタにしたいし」
シラユキは、ちょっとした物書きの仕事をしている。
ここで言う「ネタ」とは、次回作のネタのコトだ。
「タダヒコも楽しいなら、ワタシは……この『夢の再構築』を続けたい」
「わかった。言ってくれて、ありがとう。ボクも、こういう空想は嫌いじゃないよ」
「うん……ただ『夢の再構築』は、少し、きどりすぎた表現だった」
「いやボクは、いいと思ったよ。じゃあ再開しよう。まだ検証していない問題について」
焼き魚を口に運び、飲み込んでから情報を整理する。
「今回のシラユキの夢……その根幹は、サラダがフクロウになるコト。それに対してシラユキは『やめて』とも言っていたから、おそらく夢のなかで悪いヤツが無理やりフクロウ化を実行しようとしたんだと思われる……けれど」
「……タダヒコが言いたいのって、『ぶっころ』との関係性だよね。もちろん関係自体は見いだせる。ワタシがサラダを守ろうとしたのなら、敵対する悪いヤツを恨んだ結果あるいは威嚇する意味合いで、『ぶっころ』と口走る可能性はある」
「シラユキはサラダが……というか食べ物全般が好きだからね」
「でもその場合、『順序』が変じゃないかな」
「そう。サラダをフクロウに変えられそうになったから、それを許せないと思って『ぶっころ』と言うのは……わからないでもない」
自分で言って、「いやホントか? ホントにわかるのか?」とも思ったが、これはボクではなくシラユキの夢だ。
シラユキの視点に立つコトが肝要である。
ともかく、納豆と白米を食べるシラユキを見る。
「ただ実際の時系列では、『ぶっころ』のあとにフクロウの件が挿入される。これじゃ、シラユキ自身がなんに対して『ぶっころ』と考えたのか不明瞭。しかもフクロウのセリフ以降、少なくともボクが再び眠るまで、シラユキはなんの寝言も発していない」
「ワタシも同じところが引っかかる……でも夢を考察する際に、こんな理詰めでいいのかな」
「夢のなかでは、時間感覚も物理法則も倫理も道徳もメチャクチャになるけど……ただ一つ、『起こった出来事の順番』だけは整理されているような気がする。だからセリフの順序に意味を求めるのは自然じゃないか?」
「タダヒコ。ワタシの夢が一つじゃなかった可能性は考えられる?」
「つまりシラユキの三つの寝言は、それぞれ違う夢で口にされた言葉かも……ってコトかな。もちろん、充分にありえる」
「それでもワタシは、一連の寝言が一つの夢のなかでストーリーとなっているコトを信じたい」
「どうして?」
そうボクに聞かれたシラユキは、答える前に納豆と白米を余さずたいらげた……。
続いて、みそ汁を少し飲んだのちに――小さく口をひらく。
「……そっちのほうが楽しいから」