よそのアレ事情
――「目玉焼きの逆襲」といった寝言からシラユキの夢を想像した日も、ボクは仕事に出る。
それから時間は午後まで進む。
「福生先生、ちょっと、いいですか」
小学校の昼休み。事務室に来た一人の児童が、おずおずとボクに話しかけた。
前に、シラユキとボクが結婚したコトに関して「ショック」と言った子である。
その子の名前は、宮先さん。
今は……ほかに誰も部屋にいない。
ボクと宮先さんはパイプ椅子に座って向かい合う。
「先生に相談があるんです」
「なにかな」
「本当は担任の先生やスクールカウンセラーの先生に相談しようかとも思ったんですが、たいしたコトじゃないかもしれないし……とりあえず福生先生に話そうかと」
「うんうん、気軽に話してね。秘密は守るから」
「最近お父さんの寝言で悩んでいます」
「というと?」
ボクの仕事である学校事務は、本来、児童からの相談を受け付ける役職ではない。「子どもたちとも話してあげてください」という校長の言葉がなければ、もっとボクは小学校の子どもたちとのあいだに距離を作っていたのだと思う。
もともと、子どもの悩みに適切に答えるコトは、ボクにはできない。
だから、こういう相談をされたときは目の前の子どもに共感を示すコトくらいが限界。
そのぶん気負わずに話を聞くようにしているのだが……まさか我が家でホットな、寝言に関する話題が飛び出してくるとは予想外だった。
ともかく宮先さんが、父親の寝言について恥ずかしそうに話す。
「それが、ひたすらザンゲしてるみたいで……。ワタシもお母さんもお父さんも同じ部屋で寝ているんですけど、当のお父さんがかすれた声で『アタシが悪かった』『まず謝るべきはアタシだ』『アタシは裁かれてしまいたい』と必死な口調で言うんです、毎日」
ここで宮先さんが、持参した水筒のお茶で喉を潤す。
蓋がコップになるタイプの水筒を使っているようだ。そのコップ一杯ぶんの量をすぐに飲み干し、蓋を閉める。
呼吸を落ち着かせ、目をパチクリさせる。
「その三つを、三分のあいだに口にします。一回の夜に寝言のタイミングは一度だけなので、夜中に起こされても睡眠不足になるレベルじゃありません。なんか悪夢でも見たのかなあと思ってお父さんに聞いてみても、『夢を見たか自分でもわからない』んだって」
「確かに、本人には寝言の自覚がないというパターンも多いみたいだね」
「……あの、ところで先生。なんでツッコまないんですか」
「なにを? 嫌な夢を見て、うなされるように寝言を口に出すコトは、誰にでもありえるよ。ボクにだって……」
「そうですか、やっぱり福生先生に相談して、よかったです」
宮先さんは水筒を両手に持って、それをグリグリ回す。
「普通、おかしいって笑いますよ。お父さんの『アタシが悪かった』って寝言を……。たとえ寝言でも、ワタシのお父さんが自分のコトを『アタシ』って言ってる状況なんだから。この一人称を『女の人だけが使うモノ』って思ってる人もいるみたいだし……」
ボクではなく水筒を見つめ、続ける。
「でも先生はそう思わないんですよね。ワタシも『男の人の一人称はこうじゃなきゃダメ!』なんて言ったりはしません。ただ、父は普段、いや今まで一度も自分を『アタシ』と呼んだコトがありません。だいたい『オレ』です。それと違うから、変なんです」
「なるほど、眠っているあいだに本人の一人称が変わっていたとすれば、それは『悪夢を見ただけ』という話では終わらないのかもしれない……。だから、お父さんのコトが心配なんだね。ちなみに、これまでもお父さんは、寝言をよく口にしていたのかな」
「いいえ。最近になって突然です。きっかけにも、心当たりがありません。お父さんとお母さんの仲は相変わらず良好ですし。……いったい、どんな夢を見てるんでしょう」
「一日だけじゃなくて連日、同じ寝言なんだよね?」
基本的に、夢は日ごとに違う内容になるハズ。少なくともシラユキはそうだ。
とくに同じ夢ばかりを見るというコトは、そのベースが過去の明確な記憶にあるというコトではないか……?
「もしかしてお父さんは、夢のなかで昔のコトを思い出していたりして。たとえば部屋を整理していたら思い出の品が出てきて、記憶を呼び起こされたとか」
ほかには「古い知り合いから急に連絡が入った」といった可能性も考えられるのだが、さすがに子どもの保護者に対しての余計な憶測は慎むべきなので、言わないでおいた。
宮先さんは水筒から視線を離し、ボクと目を合わせる。
「ワタシも、『お母さんと結婚する前の過去を夢に見たのかも』って思って、お父さんに『産まれてから今まで、自分のコトをアタシって言ってた時期ある?』と質問してみたんですが……『いや、ないなあ』という言葉が返ってきました」
「だとすれば、ますます、寝言の『アタシ』が不可解だね」
「ホントそれですよー。ともかく、きょう帰ったら……お父さんに、最近、部屋を片付けたか聞いてみます」
パイプ椅子から立ち上がり、宮先さんがボクを見下ろす。
「福生先生は結婚して……相手の人の寝言を聞いたりしてます? そういうの、参考になるかなあと思って福生先生に相談したところもあるんですけど。――いや、実際に聞いているかどうかは言わなくていいですよ」
小さな笑顔を見せながら、宮先さんが事務室から出ていく。
「じゃあ、お父さんの寝言は実際どういうコトだったのか……これについては、あしたまでの宿題です。福生先生、きょうは相談に乗ってくださり、ありがとうございました」