家族についてのアレこれ
アサカからの手紙を、心のなかで読み上げる。
「兄さん、元気にしていますか。今どき手紙というのも珍しい気がするけれど、今のわたしとお二人との距離は、こういう感じがちょうどいいような気もします。それで、この機会に一筆したためてみた次第です」
文面はボールペンで書かれている。横書きであり、意外に長い。
……この手紙でボクは、初めてアサカの筆跡を見た。
「本当は、あらためて家に様子を見に行こうかとも思っていました。でも一緒に暮らし始めた二人の新居に特別な用もなくドカドカ上がり込むのも常識ないなあと気づいたので、なんとか踏みとどまりました」
三日前の土曜日、アサカはマンションまで来て荷ほどきなどを手伝ってくれていた。
この手紙は、それを終えて実家に帰ってから書いたモノだと思われる。
「さて兄さんは共同生活でなにか苦労されていますか。みんなで作成した『結婚前に互いに確認すべきことリスト』……あれには、わたしの意見も結構反映されているのですが、まあ事前にいろいろ話し合うだけで、これから全部がうまくいくとは限りませんよね」
手紙を読みつつ、ボクは首を縦に振った。きのうシラユキが口にした「婚前の話し合いが絶対でもない」という言葉を思い出す……。
「そこで、わたしは例のリストに関して、ある仕掛けをほどこしました。わざと項目に欠落を作っておいたのです。たとえば、毎朝何時に起きるかといった基本的なことをあえてお二人には確認させないようにしました」
これについては少し驚きだ。アサカも、なかなか考えているらしい。
「なぜ欠陥を入れたか、わかりますか。『このリストがすべてではない』と自覚してほしかったからです。たとえば起床時間にズレがあれば、すぐに判明します」
うなずきながら、ボクはアサカの字を追っていく。
「そうなれば、『もう話し合ったから、これ以上、話す必要はない』って安易に思い込まずに『まだ互いに話し合うべきことが、あるかもしれない』と自然に思ってくれますよね」
ここでボクは気を引き締めた。
なんとなく、次に来る言葉がわかった気がしたから。
「ちょっと遠回りしましたけれど、賢明な兄さんなら、もうわたしが言いたいことに察しがついていると思います。みんな勘違いしていたみたいですが、わたしは気づいています。兄さんも姉さんも、結婚する前に一緒に眠ったこと、ないでしょう」
図星である。
「姉さんの寝言、初めて聞きましたよね」
おそらく、ここからがアサカの手紙の本題だ。
「結婚前にタダヒコさんに、姉さんの寝言について知らせる案もありました。でも本人を介さずにわたしたちが伝えるのも悪口みたいだし、それに、タダヒコさんなら姉さんの寝言を一方的に責めたりすることもないだろうと思って、あえて事前に言わずにいました」
……そして文面は、こう続く。
「というわけで、お二人の共同生活が始まった日にも、その件にふれませんでした。が、姉さんの寝言のことが確実に判明したであろう今となっては、家族のわたしが隠しているのも、それはそれでよくないので、そっくり打ち明けます」
心なしか、ここに来てアサカの字が少し丁寧になっている感じがする。
「姉さん自身は自分の寝言のことを知らないで結婚しています。わたしが産まれる前から、寝言が人一倍、多かったようです。わたしも、姉さんと一緒の部屋で寝ていたとき、たくさんの寝言を聞きました。でも母も父もわたしも、姉に寝言のことを伝えませんでした」
家族の寝言を耳にしたとき、それを指摘せずに見守るというのも、一つの選択なのだろうか。
なぜなら、指摘したり無理に解決を試みたりすれば、かえって本人を追い詰める結果になるかもしれないから。
(ボクとシラユキの、「寝言をもとにして夢を想像する」というやり方も、絶対的な正解とは限らないんだな)
「熊野家の人間で寝言を口にするのは姉さんだけでした。姉さんの寝言は、二十歳を超えても、そのままでした。内容がどんなものであるかは……、兄さんに自分で判断してもらいたいので、あえて、わたしからは言いません。でも、姉さんの寝言がなんであろうと」
そして文字を潰した跡が一、二行続いてから……再びアサカの筆跡が現れる。
「いや、『それでも姉さんを大切にしてください』とか『いい寝言は本音で、悪い寝言は本音じゃないと信じてください』とか『誤解せず、よく話し合ってください』とか書こうかとも思ったのですが、そちらも、わたしから言うべきことでは、ありませんでしたね」
ついで文面が締めの調子に入る。
そろそろ、手紙の余白も残り少ない。
「ともかく、わたしが一番に言いたいのは、わたしが二人の妹だということです。困ったことがあればご相談ください。ただし相談しなくても、だいじょうぶです。そのときは『問題ない』と信じます」
最後に、次のように書かれていた。
「この手紙の内容を姉さんに知らせるかどうかは兄さんの判断に任せます。では、二人の幸せを願って……じゃないや、姉さんは直接『幸せ』とか言われるの好きじゃないから別の言葉で……あらためて、二人の『安眠』を願っています。熊野アサカ ※返信不要」
* *
そのあとの食事の席で、ボクはアサカからの手紙の内容をシラユキに伝えた。
「みんな、ワタシの寝言のコト、知ってたんだ」
緩やかに口角を上げるシラユキ。
「まあ順当に考えれば、アサカもお母さんもお父さんも、ワタシの寝言を聞いていなかったワケがないんだよね」
家族が自分の寝言のコトを黙っていた件について、シラユキは「いい」とも「悪い」とも言わなかった。
「だけど、ワタシのワケのわからない寝言をずっと耳にしていても、みんなは家族として過ごしてくれたんだ……」
なおシラユキは、学校での宿泊行事や修学旅行に参加したコトがない。
だから同年代の知り合いに指摘されるコトもなかったワケだ。
ともかく、シラユキのしっとりとした口調に接し、ボクは一回うなずいた。
ボクはこのとき、「離れていても、今だって、みんな家族としてシラユキのコトを思っている」と口にしそうになった。しかし出かかった瞬間、喉の奥にて飲み込んだ。
そんな言葉をはいたところで、シラユキの家族への思いに水をさすコトにしかならないと思ったから。
しかし、沈黙するボクにシラユキが妙な笑顔を向ける。
「タダピコさあ……なんか言いかけたね」
「そんなコトないって」
「高校のとき挨拶しようとして結局できなかったタダピコを、ワタシがどんだけ見てきたと思ってんの。言いたいコトを言えなかったタダピコは、唇と頭全体をプルッと震わせるんだよ。熊野家のコトを聞いてタダピコがなにを口に出そうとしたのか……当てようか」
シラユキの表情に真剣さが混じる。
「ズバリ『もう、すでにボクも家族の一員さ』でしょ? そりゃ恥ずかしくて言えないね」
「いや、ハズレ。観念して、ぶっちゃけると、『離れていても、今だって、みんな家族としてシラユキのコトを思っている』って言おうとした」
「ああ、そういうコトね。なんか、そういう理解者っぽいセリフを口にしても白々しいだけって感じがしたと……」
「うん、シラユキのほうが熊野家のみんなと過ごした時間が長いワケだからね。知ったふうなことを、軽々しくボクが口にすべきじゃない。だから寝言とでも思っておいて」
「いいよ。きっと、今の時間と同じような夢を見て、こぼれた言葉なんだよね」
小さく、そっと、シラユキの低い声が響く。
「ワタシも寝言で返すよ。うれしい。タダヒコが、ワタシの……いや、新しい家族のコトを、ちゃんと考えてくれているから」