寝言や夢がない夜も
朝食の席で、シラユキがボクに質問する。
「タダヒコ。昨晩のワタシの寝言は、どうだった」
「いいや、聞いてないなあ。きのう耳に入ったのは寝息くらい」
ボクこと福生タダヒコは、四日前に熊野シラユキと結婚した。
三日前から一緒に住み始めた。その夜に、ボクはシラユキの寝言を初めて聞いた。
次の日になってボクたちは、寝言をヒントにして、シラユキ自身の見た夢を推測した。
それによって、互いに寝言を捉えなおすコトができたと思う。「ワケのわからないモノ」ではなく「夢において意味を持つモノ」として。
そして、おとといの夜もシラユキは寝言を口にした。
寝言は、ボクの昔のあだ名だった。
きのう、ボクとシラユキは、その呼び名をもとにして当時を思い出した。
自分たちの記憶がシラユキの夢になったという前提で。
つまり二日連続でボクはシラユキの寝言を耳にした。
それぞれの夢の内容をシラユキと一緒に想像した。
だから「一緒に住み始めて三日目の夜にも寝言があるのではないか」と身構えていたボクだったのだが……きのうの夜は、とうとうシラユキの寝言を聞かずに終わった。
もちろんボクが聞きのがしただけかもしれない。
ともあれ、きょうは夢を推測するコトができない。
ヒントとなる寝言がないとすれば、どんな夢を見ていたか当てようがないからだ。
「シラユキは、やっぱり夢を見たかどうか覚えてないよね」
「まあね。……じゃあ、ワタシ、うなされてた? その苦しみ方で夢がわかるかも」
「全然。心地よさそうな寝息で、こっちも眠くなった」
「ふーん。それならそれでも困らないけど」
「ところでシラユキ。ボクの寝言は聞いたりしてる?」
「寝ているタダヒコの口からは、なんの言葉も出てきていないよ」
「そう? ボクも夢は見ていたかもしれない。だけど忘れる。夢が寝言に直結するワケでもないのかな」
「逆も言えない?」
箸を置き、シラユキがしばらく黙る。ボクは、この隙に食事を進める。
やや長い沈黙を破り、シラユキの口が再び動く。
「もしかすると、『寝言が夢に直結するとは限らない』とも言えるんじゃ? ワタシたちはきのうとおととい、寝言から夢を考えた。でも、これには『寝言を口にしたからには夢を見たに違いない』という前提条件が必要だった」
「確かに、その視点を忘れていた。……つまり」
ボクは、ごはんを飲み込み、胃に落とした。
シラユキの指摘に対し、自分なりの補足を試みる。
「夢を見ないで寝言を口にする場合もあるというコトか。この場合、寝言から夢を推測する行為自体が破綻におちいる。夢のない寝言は、本人の深層心理に関わるんだろうね。あるいは意識とは関係なく、発音するための筋肉が動いたコトによる、結果的なモノ……?」
「タダヒコの言うとおり、どちらも考えられると思う。……でも」
シラユキが右手に箸を持ち、左手で茶わんを持ち上げる。
「どうせなら、夢を見たってコトにしたい。そうしても、なんの罪にもならないから」
「寝言がなかった夜だとしても?」
「そう。ただし手がかりがないから……ワタシは、寝言にもならない無難な夢を見たんだよ。きっと今みたいに、タダヒコと一緒にいる――そんな普通の夢だったんだ」
* *
午前六時に起きたボクは、午前七時半にマンションを出て軽自動車を運転し、勤務先の小学校に向かう。
午前八時半に到着し、途中で一時間の昼休憩を挟んで、午後五時半まで仕事をする。
そして学校をあとにし、午後六時半に帰宅する。
これがボクの平日の流れだ。
そのあいだシラユキは、おもに家で物書きの仕事をしている。
よほどのコトがなければ、互いに相手の仕事に口出ししない。
もちろん仕事に関するスタンスも、結婚前に二人で話し合っている。
ボクたちの家族が作成した、例の「結婚前に互いに確認すべきことリスト」のなかには、「相手には自分と仕事のどちらを優先してほしいか」という項目もあった。
ボクは「自分も仕事も、必要なときに必要なだけ優先してほしい」と回答した。
対してシラユキの答えは、「自分も仕事も本人自身も、無理しない範囲で大切にしてほしい」というモノだった。
それを確認し合っているから、ボクも罪悪感なしに仕事に集中できる。
ともかく玄関のドアをあけ、ボクは「ただいま」と言った。
きのうはシラユキの「おかえり」が先だったが、きょうはボクの挨拶のほうが早かった。
シラユキもボクの帰る時間を把握しているので、すぐに玄関に来て「おかえり」と言ってくれた。
「きょうも、おつかれ」
「シラユキもね」
「ありがと。ところでタダヒコに手紙が届いてるよ。アサカから」
シラユキから渡された手紙の封筒には、差出人の名前として「熊野アサカ」と書いてあった。
熊野アサカとは、シラユキの実妹のフルネームだ。
本人は現在、大学二年生である。
ボクは自室に移動した。
着替えたあと、手紙の文に目を通す。