熊野シラユキとタダピコ
学年が変わり、シラユキとボクが声をかけ合わなくなって二か月以上が過ぎた――。
そんな夢の続きを、再構築していく。
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この奇妙な関係は、いつ破られたのか。
突如として事件が起こって二人の仲が急接近した! ……などというコトは、ない。
少しずつ、少しずつ……変化が刻まれていっただけだ。
最初は偶然だった。
ある日、いつものように廊下で会って、互いに沈黙したまま目を合わせた直後。
すれ違う際に、シラユキとタダピコの左腕が接触した。
こちらは、いつものコトではなかった。
長袖の状態でブレザーの制服がこすれ合った程度である。そのときは、それだけで終わった。
次に同じ状況になったとき、シラユキは、わざと左腕を向こうの左腕に近づけた。
正確には、左袖同士を意図的にふれ合わせたと言うべきだろう。
暴力的なモノではない。
ふれたか、ふれなかったか、わからないくらいのニアミスだ。
互いにとまる必要も、どちらかが謝る必要もない……そんな微妙な接触を試みたシラユキであった。
タダピコとの今の関係性に不満を覚えていたのではない。
ただ、シラユキは……体のかゆい部分を自然にかくように、タダピコとこすれ合ったにすぎない。
そのまた次のすれ違いにおいては――目が合ったときにタダピコが、きびすを返そうとした。
ところがタダピコは結局そうせず、接近するシラユキのそばを過ぎる。
このときは袖のみならず……再び、腕までがこすれた。
衣服越しに、それがわかった。
シラユキ自身は前回と同じく左袖だけを軽く接触させるつもりだった。
しかし想定以上のこすれ合いになった。理由はタダピコのほうにある。
おそらくタダピコは先のニアミスを受け、「今度も向こうが自分に思わせぶりな態度をとるのでは……?」と予想していたのだろう。
ために、歩き方はぎこちなかった。
腕もこわばっていた。
遠ざかっても相手に失礼かもしれない……近づきすぎれば嫌がられるかもしれない――まるでそんなコトを考えているかのようにタダピコは微妙な距離感を無理に維持し続けようとし……結果、歩く姿勢のバランスを崩した。
その直後、シラユキの左腕に自分の左腕を当ててしまった。
相互の腕がこすれた瞬間、タダピコとシラユキは同時に「ごめん」と言った。
そして制服が衣替えの時期を経て半袖に変わってからも……二人は接触する。
むきだしの腕が、相互に接近する。
タダピコの「うぶ毛」が、シラユキの生身の腕をなでた。
「む」
「え」
口をあけずに発音されたシラユキの鼻音に、タダピコが思わず反応する。
次の機会では指の一本が、ふれ合った。
次の次の機会では中指同士が引っかかった。
……そして、さらなるすれ違いにて。
二人の左手が、まるごと重なった。
パチーン! といった派手な音はしない。
タダピコの手が汗ばんでいたので、シラユキの手の平はヌルリとすべった。
エスカレートしていく、二人のこすれ合い。
しまいには……。
廊下ですれ違う際にシラユキが、タダピコの左脇に左腕を差し込んだ。
そのまま肘を曲げ、タダピコの左肩の後ろに手をあてがう。
つまりタダピコの左肩は、シラユキの左手と左肩とに挟まれた格好である。
大胆な奇行とも言えるが――近くに人影がなかったコトも、シラユキの行動を後押しした一因なのかもしれない。
戸惑う相手に対し、流し目を向けるシラユキ。
「タダピコ」
それだけを言った。
押さえた肩から脈動が伝わってくる……。
シラユキの固定を振りほどこうとしていたタダピコ本人は、その呼びかけを聞いて動きをとめた。
左腕をだらりと垂らしたまま、横目を向け返す。
「熊野さん……なに?」
「今、ひとり?」
「見てのとおりね」
「ワタシ、これまで無視し合ったコト……謝る気も謝らせる気もない」
「ごめん」
「こっちこそ、ごめんね」
「……早速、謝ってない?」
「前に腕がぶつかったときも『ごめん』って思わず言い合ったワケだし、このくらいはね?」
「そっか、なら、しょうがないか」
互いに顔を向け合わず、横目だけを送りながら……シラユキとタダピコが小さく笑う。
シラユキがタダピコの左肩の後ろをさする。
「やっぱりワタシ、タダピコって呼びたい。もし嫌じゃないなら、昼休みにでも一緒にいない? 一秒だけでも、いいからさ」
「嫌じゃないけど迷惑じゃ……」
「周囲に誤解されるかもって? 心配ないよ。ワタシ友だちいないから、失う人間関係なんてない」
「……わかった。ボクも、本当は……熊野さんと」
「無理して言わなくていいよ、ありがとう」
「また話せて、やっぱりうれしい」
「あ、タダピコ。言いきっちゃったかあ……」
ここでシラユキは、ゆっくりと左手を下ろす。
一歩だけ下がって、タダピコの拘束をとく。
そのあと互いはうつむいて、しばらく無言の不動を続けた。
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