ぽんぽん進む
いったんボクは話すのをやめ、横になったまま首を左右に倒した。
首と肩の周辺が、少し凝ったのだ。
タダヒコ「ここまでで……シラユキの記憶と違うところはある?」
シラユキ「ところどころは一致してないような気もするけど、全体的な流れは合ってるんじゃないかな」
シラユキは掛け布団をかぶり、ゆっくりと呼吸する。
ユキ「高校生のときの、それも『タダピコ』と呼んだときの記憶を無事に再現できていると思うよ。というか……なんで、そこまで覚えてんの?」
タダ「きょう、学校の子どもたちと話しているときに、じっくり思い出す機会があったから。それと……当時のコトを覚えているのは、シラユキもだよね。これが事実とだいたい合ってるって言えるんだから」
ユキ「否定しないよ。たださ、タダヒコ。ワタシが寝言で『タダピコ』と一回だけしか口にしてないっていう前提を忘れてない?」
あお向けになり、枕に後頭部を載せるシラユキ。
ユキ「すでにタダヒコ……二回以上ワタシに『タダピコ』って言わせてるよね。夢のなかでワタシが『タダピコ』を反復していたら、その寝言は一度に収まらないんじゃ? 明らかにキーワードだから……何度も夢で言えば、そのぶんだけ寝言として漏らしそうだけど」
タダ「最初、ボクはこの夢を――シラユキの一回目の『タダピコ』が出た時点で打ち切るつもりだった」
ユキ「まあ、そこで夢が終われば、それ以降のタダピコはないからね」
タダ「でも……なんか、それだと中途半端というか。ここで夢が終わったとすれば、シラユキは今朝起きたときに……現在のタダ『ヒ』コと夢のタダ『ピ』コとのあいだに『かい離』を感じて、現実になんらかの違和感をいだいていたんじゃないか?」
ユキ「実際のワタシは、そんなコトもなかったね。平然と朝ごはんを作って食べて」
タダ「そう、だからボクはこう考える。『タダピコ一回だけで夢は終わらなかった。最終的にシラユキが「タダヒコ」呼びに落ち着くところまで夢は続いたんだ』と」
ユキ「なるほどね、ワタシが夢の最後で『タダヒコ』にたどり着いたなら、起きたあとに今のタダヒコに会っても、普通に受け入れるコトができる」
タダ「寝言としてシラユキが口にした『タダピコ』は、一回目のモノだろうね。ただし二回目以降は、普通に発音できるレベルになった。『本名じゃない』と確信したからだと思われる。だったら、もうその呼び名は特別じゃない。だから以降は寝言にもならなかったんだ」
――そういう前提を確認したうえで、夢の再構築を続ける。
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文化祭が終わってから、シラユキはタダピコに自分から話しかけるようになった。
一日に二、三回。
とくに用がなくても「タダピコ」と声をかける。
顔ではなく席の位置を記憶して、ほかの男子と区別していた。
なおシラユキは、文化祭の準備のときに感じていたタダピコの「雰囲気」を忘れてしまっている。
それでもシラユキがタダピコ個人を意識し、声をかけ続けたのは、なぜだろう。
別にシラユキはタダピコに特別な好意をいだいていたのではない。
ただ、あだ名とはいえ人の名前をスラスラ言えるのが、うれしかったのだ。
それをくりかえすうち……。
タダピコのほうが、みずからシラユキに挨拶をするようにもなった。
「向こうから話しかけられるばかりでは悪い」とタダピコは思ったのかもしれない。
教室だけでなく、廊下や校庭で会ったときにも「あ、熊野さん」と言ったりする。
シラユキもタダピコに声をかけられたときは、毎回、自然に返事をした。
ただし高校の外で顔を合わせた場合は、お互いに知らないフリをする。
「気まずい」とか「会いたくなかった」とか思うワケではないが、なんとなく。
一緒にごはんを食べたり雑談に興じたりするコトもない。
ただ、声をかけ合うだけ。
そうして時間を流し、第二学年に進級する。
シラユキとタダピコは別のクラスになった。
もうタダピコと呼ぶコトもなくなるかなとシラユキは思った。
それならそれで別にいいかとドライに考えた。
廊下ですれ違ったときも、互いに相手へと声をかけなくなった。
シラユキは、いまだにタダピコの顔を覚えていない。
しかし向こうがこちらに気づいて口をひらきかけるのを見て、その男子がタダピコであるのだと確信する。
(人付き合いが苦手なタダピコのコトだから、どうせ……「クラスが変わったにもかかわらず自分が軽々しく声をかけたら周囲の人に勘違いさせて本人の迷惑になるんじゃないか」とか思ってるんだろうな)
少し振り向いて、タダピコの遠ざかる背中を目で追う。
(ワタシのコトは好きでも嫌いでもないんだろうけど。……まあ、こっちも似たような感じか)
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ユキ「……タダヒコ。さっきから普通にワタシの心の声を出してるよね。わかるの?」
タダ「いや、あんまり。でもシラユキだったら、こう考えるかなって」
ユキ「ほとんど正解かなあ」
タダ「やっぱり全部じゃないんだ?」
ユキ「ちょっとタダヒコから見たワタシは、嫌なコトを考えてなさすぎる。本物の心は、もっとメチャクチャだって。まあ、だけど……『それで合ってる』って言っとくよ。変な幻想をいだかれてるワケでもないし、タダヒコから見たワタシも、ワタシの一面だろうから」
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校内で会っても声をかけ合わなくなった二人。
しかし……口はひらかないものの、互いに一瞬だけ視線を相手のほうにやる。
先に視線を投げるのはタダピコだ。それを感じ取って、シラユキも同じモノを投げ返す。
ついで両者とも、そのまま別の場所に目を泳がせる。
こんな調子が、二か月ほど続く。
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ユキ「時間がすぐに過ぎてテンポいいね」
タダ「もちろん、はしょってるワケじゃない。重要なシーンを選んでいるだけ。夢では年月が圧縮されるコトがある。急に場面が飛んでも、おかしいと思えなかったりする……」