一人息子が彼女を連れて来る。
山本美津子は朝から気が重かった。
一人息子の悠太から先週突然連絡が来た。付き合っている彼女を我が家に連れてくるというのだ。おまけにその彼女は会社の後輩で悠太よりも一回りも年下だという。世間体が良くはないではないか。どうしたって、いい歳をした男が新卒の女の子に手を出したというイメージが拭えない。けれども、もう二人は結婚する意思も固めていて、彼女のご両親にはすでに挨拶済みだという。まったく頭が痛い。
「お母さん、そんな大きなため息ついて。いいことじゃない、悠太だってもう33歳。立派な大人よ、いや立派すぎるくらい大人だわよ」
「その悠太よりも更に大人のあんたが片付かんさかい、こないに気ぃ揉んどるんだす」
「あらら、ヤブヘビ。はいはい、すんまへん。いかずごけの姉がいつまで経っても家に居座っとって申し訳あらしまへんなぁ」
「母さん、悠太は何時に来るって? ご飯どうする? どっか食べ……に」
新聞を片手に話しかけてきた康夫を美津子がキッと睨みつける。やぶへびやびへび、と言いながら康夫は自室へ戻って行った。
「ったく、お父さんは相変わらずね。お母さんがご飯の準備していないわけないじゃないねぇ」
胸の前で両手を組んだ彩花が媚びた笑顔で美津子へ向き直る。
「あんたもそないな服やのうて、もう少しマシな格好に着替えなさい」
そう言われて改めて母親の格好を見てみれば、普段の着物よりも少し高そうな落ち着いた藤色の訪問着だ。季節感のある梅や松の柄で、おめでたい金糸入りの袋帯、上品で格式のある格好で、お嫁さん(候補)というか、お嫁さん(仮)というのか、そういう女性との初顔合わせにはぴったりだ。
なんだかんだ文句を言いつつも一人息子の彼女との結婚話を母親なりに歓迎しているのだろう、と安堵する。
ほんま、あの悠太が結婚やてぇ。一生結婚なんて縁がない人生だと思っていた。私も人のことは言えへんけど。
地元で一番の進学校から、東京の大学へデビューした言うても、地味目でもっさりした理系男子の弟に浮いた話は全くなかった。就職でこちらに戻ってきた自分と違い、そのまま東京で就職をしたから顔を合わせるのも久しぶりだ。
お正月でさえ、新幹線が混んでるとか面倒とか言って実家には滅多に寄り付かないのだから。
悠太からイメージするにお嫁さんも同じくヲタク臭が漂う感じなのだろうか、きっちりした三つ編みで、もっさりした洋服に身を包んでいる、アニメなんかが好きな感じ。小太りでメガネ、ふふふ、これは悠太か。でもカップルで容姿が似てくるって結構あるし。
そんなことを考えながらとりあえず淡いクリーム色のスーツに着替える。中のシャツを差し色にして、アクセサリーはおとなしめのパールにしておく。こんなんが無難やろ、って呟きながら。
彩花が就職のために地元に戻ってくると同時に、悠太が大学入学で上京したから、元々悠太が使っていた隣の部屋は、今では彩花のクローゼット代わりになっている。
きっちり着替えてから階下に行くと、康夫が美津子に怒られていた。杢グレーのだらしないスウェットを着ているのだから当然だ。
「そないな格好でええわけないやろ。うちの格が疑われてしまうやないの。ほんまに、お父さんは。ちょっとこれ着なはれ」
衣装箪笥からワイシャツとネクタイ、ダークなブラウンのスーツを取り出す。和紙の衣装袋にきっちりと入れられてしまっとるあたり几帳面な母親らしいなと思う。
「いや、よそで顔合わせするわけやないし、うちで、ちょこっと会うだけやろ。このままでええんちゃうん?」
「スウェットって、そないパジャマみたいなんええわけないやろ。初対面の人間に会うんやったらそれなりの礼を尽くすんが常識や」
「初対面の人間って、悠太は嫁はんにする言うとるんやろ? そんなんもう身内やろ」
「まだ、認めたわけやあらしまへん。山本家の嫁として相応しいお嬢さんなんかどうかきっちり見極めなあかん。あての目ぇが黒いうちに、どこぞの馬の骨とも分からん娘に、我が山本家の敷居は跨がせまへん」
そんな格式の高い家ではない。父の山本康夫は平凡なサラリーマンで、母は普通の専業主婦、姉である自分だってごく一般的な企業で働くサラリーマンだ、勤続年数の長さに比例したポジションの役職についてはいるものの決してエリートのバリキャリウーマンではない。
山本家、山本家と言っているが、そもそも父は次男なので、本家でもない。父の父も、父の母もとっくに亡くなり、いわゆる本家は父の兄が継いでいるが、独身で放浪癖のある叔父だ。うるさいことをいう親戚もいない。だからこそ37歳にもなって独身のままの子供部屋おばさんが許されているのだ。
~登場人物~
山本 康夫(65歳)平凡なサラリーマン
山本 美津子(60歳)普通の専業主婦
山本 彩花(37歳)一般企業勤務、独身
山本 悠太(33歳)