42:サクラちゃん。
「サクラはここの動物園で生まれたんだよ。だけどね……」
だけど、サクラちゃんを産んだ母親は、五日後に体調が急変して息を引き取った。
そんなことがあったなんて……。
「それで人工哺育で育て始めたんだがね。ちょうど同じ時期に、レッサーパンダのカエデが産んだばかりの子を亡くしてね」
「カエデって、もしかしてあの?」
今サクラちゃんが甘えてる、あのレッサーパンダ?
すると久保田さんが頷き、答えた。
「カエデは初出産だったんだ。二頭産んでね。でも、一頭は死産だった」
「そんな……悲しんだでしょう」
「あぁ。残ったもう一頭もよくなくてね。カエデにはかわいそうだが、取り上げたんだよ」
治療のためにだ。
だけど赤ん坊は亡くなった。
カエデはそのことを知らず、ずっと我が子を呼び続けたそうだ。
「その声があまりにも悲痛でね……。ほんの出来心だったんだ。ほんの……」
「出来心って?」
「うん。カエデにね、サクラを見せたんだ。ガラス越しだけどね。するとカエデは――」
レッサーパンダのカエデは、サクラちゃんを見て必死にガラスを掻いた。我が子に手を伸ばす様に。
それで久保田さんたち飼育員は、サクラちゃんをカエデに預けた。
「カエデは直ぐにサクラの世話を始めたよ。当たり前のように、なんの迷いもなくね。それでカエデに任せたんだ」
「それでサクラちゃんは、自分をレッサーパンダと……」
「あぁ、だろうね。サクラがスキルを手に入れて喋れるようになったときは、驚いたもんさ。カエデを見て『ママ』って言うんだからね」
「そういう事情があるなら……これからもサクラちゃんのことはレッサーパンダってことにしておいた方がいいですね」
「ありがとう。君は優しい人だね」
「いや……どう、でしょう。勤務に支障が出ると困りますし……仕事のパートナーだからですよ」
本当のことを知ればサクラちゃんは混乱するだろう。それにきっと悲しむ。
ずっと母親だと思っていた人がそうじゃないと知って、自分の母親は死んでいるんだと知って……きっと悲しむだろう。
精神的に不安定な状況じゃ、人を救助するどころじゃない。
そう思っただけだ。そう……。
笑顔でいた方が、いいに決まっている。
「あ、ところで久保田さん」
「ん?」
「サクラちゃんの友達か誰かに、アンズちゃんって……いますか?」
「アンズ? あぁ、いるよ。あそこだ」
久保田さんが指さしたのは、レッサーパンダの放牧場の向かい側。
そこにいたのは大きな……亀。
「雌のゾウガメ、アンズだ」
あぁ。確かに岩ゴロと歩く速度が同じだ。
「それじゃあ久保田さん。また明日来るわ」
「おいおいサクラ。仕事はどうしたんだ?」
「あ、それは心配ありません。毎年有休を使ってなくて……それで強制的に」
「あぁ、なるほど。いかんよ、有休はちゃんと使わないと」
「ははは……」
そんなに有休って大事なんだろうか。働きたいだけなのに。
閉園時間までサクラちゃんは、母親にたっぷり甘えた。
で、明日もまた来ることにした。
ホテルに向かう車の中、ホテルの部屋。ずっとサクラちゃんはカエデかあさんのことを話していた。
嬉しそうに。
それは翌日も続いた。だから――。
「サクラちゃん。明日も動物園に行くかい?」
「え、いいの!?」
「休みはまだあるしね」
「やったぁ~。ありがとう悟くんっ」
「あー、うん……なんで頬をペタペタ触るんだい?」
「肉球、気持ちいいでしょ?」
肉球……いや、よくわからない。
開園から閉園まで三日間、動物園に通った。
今日も午前中は動物園に行って、午後から帰ることに。
昼食を動物園のレストランで食べ、最後にもう一度、カエデ母さんの元へ。
「ママ。私、東京に戻るわね。お仕事があるから。大丈夫。悟くんが一緒だもの」
なんの話をしているんだろう。
「えぇー!? ち、違うわよママ。番じゃないんだってば」
なんの話を!?
「じゃ、また来るわ。悟くん、行きましょう」
「……あー……うん」
「どうしたの? 何か悩みでもあるの?」
「いや、ない。さ、帰ろう」
帰りの高速でも、サクラちゃんは楽しそうにカエデ母さんとの話をしていた。
里帰りさせてあげられて、よかった。
「あっ。悟くん! 大変よっ」
「え? まさかサクラちゃん、園に忘れ物?」
「いいえ。おばさまとおじさまへのお土産よ!!」
あー、それは確かに大変だ。
母さん、家を出るときにめちゃくちゃ目を輝かせて「お土産よろしくね」って言ってたし。
忘れてたら泣き真似してねちねち言われるぞ。
「次のサービスエリアで買おう」
「職場のみなさんにも買って帰らなきゃね」
いるのかなぁ。
サービスエリアでサクラちゃんがあれもこれもと買い込んで……。
「サクラちゃん、買い過ぎじゃないかい?」
「そうかしら? 足りないか心配なんだけど」
「いや、心配って……二十万円も使ってるんだよ。お金は大丈夫なのかい?」
「私もお給料頂いてるのよ。大丈夫」
そう言ってサクラちゃんはスマホを取り出した。
「私の口座の残高よ。冒険者時代のお金もあるから、ちょっとしたお金持ちなんだから」
サクラちゃんのスマホに映し出された金額は、百五十八万円とちょっと。
ほんとにちょっとしたお金持ちだな。
「割り勘だ。俺の職場でもあるんだし」
「そう? じゃあ半分ずつね。それじゃあこれとこれも追加して、あ、これも! きゃーっ。干し芋見つけたわ。これもこれもっ」
え……追加するの?
いくつ買うんだ……。
――その頃、捜索隊本部前。
「Why!? 何故だ。何故サトルミツイシはこの四日間、出勤してこないんだ! 捜索か?」
「だとしたら配信されているはずだろう。ミツイシの配信はない」
「だぁ~、かぁ~、らぁ~。休暇に決まってるでしょ。バカなのあんたたち! ホテルに帰るわよっ」
「わかった、わかったからジェシカッ。ポコポコ殴るのは止めろっ」
黒塗りの車の中でアメリカ人三人が、各々が叫び声を上げる。
その車を見下ろす位置、捜索隊本部ビル五階の窓際で……。
「後藤部長。この四日間、ずーっとあの車あるんですけど」
「……そろそろ通報するか」
アメリカ人三人の運命やいかに。