30:コーヒー牛乳
「給料が……一割アップ……」
後藤さんがいった「有難い話」はこれだったのか。
コーヒー牛乳片手にカメラの前に現れた安虎社長は、いきなり「賃上げをします」と言って一気飲みをした。
『はぁ。風呂上がりはやっぱりコーヒー牛乳だな』
『社長。みっともないので社員の前でそんなお姿はおやめください』
あの人、風呂上りだったのか。どうりで髪の毛が濡れてると思った。
『まぁ一割アップと言ったが、それは最低ラインだ。それぞれの部署ごとに、そこからさらに何やら手当なんかが付くことになる。まぁみんなには、これまで苦労かけたなってことで』
『……はぁ。我が社と政府とで交わした契約がとっくの昔に満期を終え、この度ようやく、ATORAグループダンジョン部門で開発した全ての運営権を取り戻しました。それに伴って今後は――』
とっくの昔に?
難しい話はよくわからないな。
肩に乗ったサクラちゃんが俺の頬を撫で「どういうこと?」と尋ねてくるが、答えられる訳がない。
「まぁようするにだね。ATORAで開発したものを、十年間、政府が運用するって契約を十七年前に交わしていたんだ。だけど十年経っても政府は運営権をATORAに戻そうとしなくてね」
「まぁその十年間も、実際に技術面や管理はATORAでやってて、だが収益は政府がひとり占めしてたのさ」
赤城さんと白川さんが、わかりやすく説明してくれる。
ATORAが政府を介したのは、あまりにも新しすぎる技術ゆえ、何かあった時には国を挙げての対策が必要になるかもしれないから――と。
年間二千万円という安い技術支援を政府から受けていたけど、政府はATORAが開発した技術で年間数千億近い金額を稼いでいたそうだ。
しかも実際の管理スタッフや技術メンテナンスなんかはATORAが行い、その人件費も費用もATORA持ち。
「つまり政府は変換器の開発製造費、管理費、人件費を使わず、事務所で茶をすすってるだけの官僚の給料を払うだけで、一千億を儲けてたってこと」
「え? でも青山さん、その官僚さんのお給料は、税金からでているのでしょう? 実質、タダで丸儲けじゃない」
「ははは。そうだなサクラちゃん。まったくその通りだ」
その数千億が今後ATORAに入って来る。
いや、社長の話だと、今後は変換機の利用料も下方修正するそうだからもう少し収益は減るだろうと。
それでも、これまでほぼ収益ゼロの状態で管理してきたのだから、多少減ったところで黒字確定だ。
利用料引き下げに伴って、これまで一般家庭での普及率は数パーセントだったのも今後増えるだろうって。
だからATORAグループでも比較的平均年収の少ない、ダンジョン部門の社員への給料を上げる――という話だ。
『捜索隊はこれまでギリギリの人員で運営していたが、ようやく人手を増やせるようになった。みんな、ありがとう。お礼にスパ銭ATORAで使える、コーヒー牛乳一年分の交換チケットを――』
『既に人事部では、社員募集を行っております』
『金森、最後まで言わせて』
『お黙りください。話が進まないので引っ込んで。新入社員が増えることでしばらく慌ただしくなると思いますが、みなさん、引き続き職務に励んでくださることを期待しております。引換券の発行はいたしませんので、ご了承ください』
……社長秘書と社長って、たしか子供の頃からの友人関係って聞いたけど。
秘書の方が立場が上なんだろうか。強そうだ。
給料アップか。それは純粋に嬉しい。
母さんが家のカーテンを夏物に模様替えしたいって言ってたし、父さんは外壁のメンテナンスをしたいって。
俺も通勤用の自転車、新しいものに買い替えるかな。
社長の有難いお話が終わって、次は各部署ごとに分かれての報告会が行われた。
捜索隊現場出動部隊は危険手当だけでも、毎月、十五万付くと。
年間百八十万円アップ……アップし過ぎじゃ!?
ね、年収八百万目前……いや、他にも残業手当、夜勤手当なんかもあるんだ。
一度捜索に出れば、通常の勤務時間内に帰ってこれないのは当たり前。残業十時間以上も普通だし、なんだったら数日なんてこともある。
これまでもその手当てはあったけど、基本給が上がるのでそっちも上がるだろう。
八百万を超えるぞ。
お金、使い道はあまり思いつかないけど、給料が上がって嬉しくないわけがない。
さらに、秘書が言ってたように、これから出動部隊も後方支援部隊も開発部門も、とにかく人手が増えるだろうって。
既に東京本社で四人の採用が決まったらしい。四人は後方支援だ。
「なんだ、こっちはいないのか」
「まぁ募集広告をまだ出していないからなぁ」
「募集してないのに、四人採用ってどういうことなの後藤さん」
「ん。あぁ、実はな」
後藤さんはタブレットを操作して、この前の採掘者捜索時の映像を出した。
「ドローンはある。だが操縦者が足りない。でだ――雇ったのさ」
「雇ったってまさか、視聴者さんを!?」
サクラちゃんが驚く。
……え?
「1号、12号、24号、それから12号の映像から崩落現場を見つけた奴をな」
「1号さんも!? 嬉しいわ、嬉しいわ。捜索中、ずっと一緒だったものね」
「雇ったって、勧誘したんですか?」
「いや。あっちから働きたいっつぅ話をしてきたのさ。ちょうど今、仕事もしてないからってよ」
そっか。自分から進んで捜索隊で働きたいと、そう言ってくれたのか。
先日のあの捜索は、視聴者協力あってこそ、要救助者を発見できたものだ。
動画配信をきっかけに、捜索隊に入りたいという人がいたというのは嬉しいことだな。