10:思いっきりぶん殴れ。
「最初はこんな奥まで来る気はなかったんだ。ネームドが狩れなくても、十六階にはエレメント・モスがいるし、そいつの羽や鱗粉は結構いいお金になるしさ」
雑炊を作っている最中、そう話したのは冒険者の伊藤って人だ。
もうひとりの鈴木さんは、未だ意識が戻らない。
そして俺を殴った人は、骨折した。
予備のポーションを掛けたから元通りだけど、要救助者に怪我をさせるなんて……捜索隊として失格だな。
あのポーションの代金は、請求しないでおこう。
「前にも一度来てるんだけど、その時にはなかった隠し通路が開いててさ」
「隠し通路?」
「あぁ。マッピングしてあるよ。隠し通路の情報も、ギルドが買ってくれるからね」
「あの、その地図見せて貰えますか?」
ここのダンジョンが生成されたのは七年前。十六階層で隠し通路が見つかった記録はない。
「で、でも、君に見せたら報酬が……」
「発見の権利はあなた方にあります。俺がギルドに保証するので、報酬の件は大丈夫ですよ。俺のオートマッピングで描かれた地図で位置を確認しておきたいだけですから」
「オートマッピング!? それだと正確な地図か。羨ましいなぁ」
伊藤さんから見せて貰った地図は、ギルドで販売されているものだ。
それに手書きで隠し通路の位置が記されていた。
「やけに分厚い壁があるなって思ってはいたんですが、この通路のためだったのか」
「俺もそう思ったんだ。ついでに隠し部屋でもないかって通路を進んで行ったら、モンスターが十数体溜まってる部屋に遭遇してしまって……ここだ」
隠し通路の真正面だな。
そこからは五人必死に逃げたそうで、途中からはどこをどう走ったか覚えていないらしい。
気づけば通路の壁に小さな穴を見つけ、藁をもすがる思いで入ったそうだ。
なんだろう。この違和感。
都合よく開いた隠し通路――その先のモンスター部屋――そして都合よく見つけた穴。
入り口は狭く、小型のモンスターでもなければ入ってくれない。
この階層に小型モンスターはいないし、安全だ。
でも……出入口は一カ所。
安全そうに見えて実は――。
そんなことを考えていると、突然ゴゴゴっという地鳴りが聞こえた。
穴の開いた壁が、音を立てて左右に開き始める。
「さ、悟くん!?」
「しまったっ。ここは獲物を誘き寄せるための、トラップ部屋だったか!?」
彼らは逃げているようで、実は誘い込まれていたんだ。
これはダンジョンが作り上げた罠。
罠にかかった獲物は助けを求める。そして救助に訪れた者がこの部屋に入り、油断したところで一気に襲う。
いやらしい罠だ。
今や扉と化した壁の向こうから現れたのは、銀色のワーウルフ。
周りに赤茶色のワーウルフが十数頭いる。
「ネームドか……運がいいんだか悪いんだか。後藤さん、後藤さん! サクラちゃん、録画再開してっ」
「わ、わかったわ」
「後藤さん!」
『なんだ悟、珍しく大きな声を――おわっ。な、なんだ、どうなっている!?』
「銀色の毛並みをしたワーウルフです。ここはトラップ部屋でした。壁が開いてしまい、もう安全ではありません。秋山さんたちは?」
『さっき十六階に到着したと知らせがあった。持ちこたえるのは無理、だな……アイテムは?』
「モンスター除けの香はありますが、どのくらい持つか……サクラちゃん、これを映して」
さっきの地図だ。隠し通路を通れば、早く秋山さんたちがこちらに合流出来る。
「後藤さん、隠し通路の位置、見えますか?」
『見える。わかった、直ぐに秋山達へ伝える。お前はなんとか――』
「サクラちゃん!?」
カメラを俺の方へ向けるため、サクラちゃんはワーウルフたちに背中を見せる形で立っていた。
そこへ一匹のワーウルフが腕を伸ばす。
地面を思いっきり蹴って、サクラちゃんを抱きかかえるようにして飛び込んだ。
そのまま一回二回と転がった先は、銀色ワーウルフの目の前。
「キャアァァッ」
「くっ」
――[ギャアァァーッどうなってんだ!?]
――[ライブ停止してる間に何が起こった!]
――[サクラちゃんの悲鳴!?]
――[うげ。ワーウルフの群れじゃん。やばくね?]
――[明らかに一体デカいのがいるぞ]
ワーウルフの間を転がり、抜け出した先は通路の方だった。
五人と離れてしまった。
「サクラちゃん。急いでお香を取り出して、彼らの方に上げてくれ」
「お香? お香ね、わかったわ。えっと、お香お香……」
「今そっちにお香を投げるから、火を点けてくださいっ」
モンスターが嫌がるニオイを発するお香だ。
ただし、興奮状態のモンスターにはさほど効き目がない。それでも何もしないよりはマシだ。
「投げたわ。でも私たちはどうするの?」
「秋山さんたちが到着するまで、時間を稼ぐ」
「時間を稼ぐって――」
「ま、待ってくれっ。置いて行かないで!」
確かにここを離れるわけにはいかない。だからってここに留まることも出来ない。
お香の範囲はこちらにまで届かないし、地図を見ながらここを周回するようにして逃げ回るしか……。
「悟くん! 悟くん、よく聞いて!」
「サ、サクラちゃん?」
サクラちゃんの小さな手が、俺の頬をピタンっと打つ。
「悟くん、あなたは強い子よ。とっても、とぉーっても強いの。だから戦って!」
「いや、戦うって、俺、攻撃スキルなんか持ってないし」
――[そうだ戦え!]
「あなた自身が武器そのものよ! 信じて。あなたは強いの。強すぎて気づいてないのよ。ずっとモンスターをぶっ飛ばしてたことを」
「え? いやいや、それは」
今度は両手でサクラちゃんが俺の頬をペチペチと叩いた。
「私を信じて! 自分を信じて!」
「う、うわぁぁっ。お香の煙が、効いてない!?」
ダメかっ。興奮状態の奴らに、お香は役に立たなかった。
せっかく、生きてる五人を発見できたのに。
秋山さん、急いでくださいっ。
「悟くん、戦うの! 戦って! ぶん殴って蹴飛ばして、ぶつかればいいの!」
「ぶん殴るって……」
ぶっ飛ばしたことがあるのはゴブリンだけだ。奴に比べれば目の前のワーウルフは数倍のデカさがある。
ゴブリンを十数メートル飛ばせたからって、こいつも飛ばせるなんてそんなこと無理だって。
「う、うわぁっ。来るなっ、来るなっ」
「風の刃! おい、こっちだ。こっちに来い!」
伊藤さんが必死に仲間を庇って戦おうとしている。
俺はどうする? 逃げて時間を稼ぐのか?
時間なんて稼げない。お香が効かなかった時点で、もう時間稼ぎという選択肢は消えたのだから。
「悟くん!」
「やる、しかない……ぶっ飛ばせなくても、少しぐらいならダメージを与えられるかもしれない」
「そうよ! やっちゃって!」
――[やれ、悟!]
――[お前の強さは俺たちが保証する!!]
――[絶対勝て! 勝って地上に戻って来い!!]
「うあああぁぁぁぁぁっ」
ゴブリンを殴った時は、咄嗟に腕を振り回しただけ。
でも今回は違う。
自分の意思で、殴るために殴るんだ。
渾身の力で拳を振る。
『悟、無茶はすんなっ。マジックリングを使えっ。悟!』
後藤さん。マジックリングを取り出して装着する暇なんてもうないんだ。
もうここは、殴るしかない!
拳の皮が裂けても、予備のポーションがある。
気にするな。
思いっきりぶん殴れ!
ドッ――ゴォォォンっと、まるで爆発でも起きたかのような音が響いた。
え?
爆発?
え?
土煙が舞い、それが晴れて見えたのは、壁にめり込んだ銀色のワーウルフだった。