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プロローグ

 芸能人と握手したのは、はじめてだった。

 2.5次元俳優、月白麗つきしろれい様。美しい顔に、男らしい身のこなし。スタントマンなしで演技する実力派。

 麗様の写真集発売記念イベントとして、握手会が開かれ、あたしはそれに参加した。特に、この日は麗様の21歳の誕生日の7月7日だから、すごく人が多かった。

 麗様に実際に会うと写真で見るより大人っぽくて、男らしくて……今まで写真や動画でしか見ることが出来なかったのに、会えたという事実と緊張で、あたしの身体と手はぶるぶると震えていた。

 そんな、あたしを見た麗様は

「はい!」

 と声をかけてくれて、あたしの右手をやさしく握ってくれた。あたしは、しどろもどろになりながらも

「びんせんに似顔絵を描いたので、よかったら見てください」

 と言うことが出来た。

「ありがとう。名前は?」

西崎乙女にしざきおとめです」

「乙女ちゃん。かわいい名前だね。似顔絵、うれしいよ」

 そこでスタッフに

「次の人」

 と言われて、握手は終わりになった。……大人気の麗様と、こんなにしゃべれたなんて夢みたいだ。

 写真集はスタッフから受け取った。


 本当は、びんせんじゃなくて薄いスケッチブックの一枚に、似顔絵を描いた。麗様の事務所はプレゼント禁止だから、工夫が必要だった……でも、あたしは男性のイラストを描くのが上手くなった気がする。


 握手会の抽選券は美紅みくがくれた。写真集を3冊買うと抽選券がもらえるのだ。美紅は「音楽の動画の収益で写真集が買えるし、布教のためには何冊あっても良いのじゃ」と言っていた。

 美紅、湯元ゆもと美紅は小学生の頃から作曲活動をしていて、今では海外でも有名な音楽作家として知られている。ファンクラブもある。

 あたしたちが通っている東京平成高等学校商業科は、アルバイト禁止だけど、動画の収益をもらうのは例外として認められていた。

 5年前に英語版が作られて、海外でも人気のネコネコ動画。ネコネコ動画では2030年の今年、高校生でも収益がもらえるようになった。2万円の上限があり、ポイントカードでの受け取りに限る、という条件付きだけど。美紅や、あたしみたいな高校一年生には、じゅうぶんな額だ。


 美紅はもともとオンラインゲーム「騎士伝説」のプレイヤーで、そのミュージカルの舞台で麗様のファンになったらしい。

 「騎士伝説」は魔物から国を守るゲームで、プレイヤーは「剣士」になって戦う。ランクが上がると「剣士」から「騎士」になる。そしてキャラを育成する育成ゲームでもある。キャラの中でも最も人気があるのは、ゲームの「顔」ともいえる男性キャラ「ノブ」だ。麗様はミュージカルの舞台で「ノブ」を演じていた。「ノブ」は長身で、すぐれた剣の使い手だ。

 美紅が一番気に入っているキャラは「ムラサキ」。気に入りすぎて、口調まで真似てしまって髪型、ポニーテールもいっしょにしてしまった。「ムラサキ」はミニスカートと、紫のマントがトレードマークの前向きで明るい少女のキャラだ。

「ムラサキがミュージカルに出演しないのは残念じゃのー。しかし、ムラサキを再現できる俳優がいるとは思えんし、しかたないのー」

 と美紅はときどき言っている。

 

 美紅にすすめられて、あたしも「騎士伝説」をプレイするようになった。イベントの時だけだけど。

「乙女は絵を描く時間もあるからのー。イベントのレアアイテムを狙うより、イベント限定経験値2倍アップのキャラを育成するのがいいのじゃよ。今はムラサキが2倍じゃぞ」

 と美紅がいろいろアドバイスしてくれていた。

 

 麗様と握手をした後、あたしと美紅はレストランで感想を言い合っていた。シュウちゃん、豊田千世とみたちせは海外ファンの通訳をしているらしい。

「高校一年で英語と中国語と韓国語がペラペラとは、さすがシュウちゃんじゃのー」

「麗様、国際的に人気なんだねー!」

 あたしと美紅はサンドイッチとオレンジジュースを口に運びながら話した。

「しかし、荷物をあずけての握手会とは警戒が強いのー。相手は麗様じゃぞ?」

「そうだよねー。麗様は空手も柔道もしてるんだものね」

 アイドルの握手会で危険な行為が行われそうになってから、芸能イベントでの規則は厳しくなった。麗様の事務所がプレゼント禁止になったのも、危険物が送られてきたらいけないとの配慮らしい。

「緊張したなぁー。何を話したか、あんまりおぼえてないよ」

「乙女らしいであるな。ワシはちゃんと、ムラサキについて話をしたぞよ」

「ムラサキの……? 話をしたの……? 麗様に?」

「ムラサキのすばらしさ、かわいらしさ、を早口で伝えたのじゃ。最後はムラサキをめざして、ワシも空手をやっていると言ったぞよ」

「それで……麗様は?」

「『いっしょに頑張ろう』と言ってくださったぞ」

「そう……良かった……」

 あたしはホッとしながら、氷で薄まったコップの底のほうのオレンジジュースを静かにゆっくりと飲んだ。

 

 すると、シュウちゃんが急いだようすでレストランに入ってきた。

「結局、三人の通訳をしてきたよ!」

「シュウちゃん、おつかれさまじゃ」

「おつかれさま、シュウちゃん」

 小柄で童顔で、えんじ色のメガネとストレートの黒髪が似合う、かわいい感じのシュウちゃん。でも、知的オーラって言うの? ただものではない雰囲気がただよっている。

 シュウちゃんはゲームはあまりしてないけど、麗様のおかげで「騎士伝説」の世界観のファンになったらしい。


「わたしね、通訳したら二回、麗様に握手してもらったよ! 『ありがとう』って何回も言われちゃった!」

「うわ……うらやましい……」

 平凡な、あたしに出来ることはイラストを描くことだけだった。

「東京平成高等学校読書部メンバー、そろいました!」

 機嫌のいいシュウちゃんが元気に言った。

 東京平成高等学校読書部は、あたしたち商業科一年の三人だけ。人数がたりないから正式な部活動ではない。でも東京平成高等学校の規則「商業科の生徒は部活動に必ず参加すること」の条件をクリア出来る部だ。一応。

「そうそう、読書部は読書をする所じゃぞ。写真集だって、りっぱな本じゃ」

 それから、あたしたちは麗様の写真集をほめちぎり、幸せな時間をすごした。


 推し俳優や、ゲームに夢中。それが、あたしたちの日常だった。



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