第13話-十二-誘い
日付:12月29日(木)
時間:午後7時16分
夕暮れの冷気が、静かに部屋の隅々にまで染み渡っていく。
暖房のきいたリビング。ソファの上に腰掛けた白石美冬は、毛布を膝にかけたまま、掌に収まったスマートフォンをそっと見つめていた。
画面には、朝から続いている倉本琉亜とのやり取りが並んでいる。
「寒くて布団から出たくない」という、眠気混じりの一言から始まり、朝食のトーストの焼き加減、読みかけの小説、午後の空に浮かんでいた雲のかたち。
内容はどれもとりとめがないけれど、そのやり取りのひとつひとつに、確かな温度があった。
【白石美冬】
気づいたら、今日ももうこんな時間ですね。
冬休みって、ぼんやりしてるとあっという間です。
【倉本琉亜】
たしかに。
まだ一日が始まってない気分なのに、もう終わってる。
素っ気ないようでいて、どこか言葉を合わせてくれるようなリズム。
そんなさりげなさが嬉しくて、美冬はふと微笑みをこぼした。
──続いている。
この会話が、ただ続いている。
それだけで、今の自分が少しだけ強くなれる気がした。
胸の奥で、何かがそっと脈を打つ。
それをすくい上げるように、美冬は一呼吸おいて指を動かした。
【白石美冬】
明後日で、もう今年も終わりなんですね。
まだ心の準備ができていないというか、少し寂しいです。
【倉本琉亜】
わかる。
何かやり残した気がするけど、何をやりたかったかも思い出せない感じ。
その言葉が、なぜか深く沁みた。
どこか自分の心に触れた気がして──美冬はそっと、もう一文を打ち込む。
【白石美冬】
もしご予定がなければですが、一緒に年越ししませんか?
送信の指が、一瞬だけためらった。けれど、タップした瞬間の音は驚くほど静かだった。
胸の鼓動が、少しだけ速くなる。スマホを伏せようかと迷ったとき──画面が光った。
【倉本琉亜】
いいの?
じゃあ、行く。年越し、一緒に。
画面に浮かぶその言葉を見た瞬間、美冬の胸に温かな波が広がった。
ほんの少し、息を整えてから返信する。
【白石美冬】
ありがとうございます。
誰かと年を越すの、久しぶりでうれしいです。
【倉本琉亜】
俺も。年越しくらい、誰かと過ごせた方がいいよな。
そのあと、少しだけ間が空いて──
【倉本琉亜】
ていうか、家って大丈夫か?
家族とか、迷惑じゃない?
その気遣いに、指がふと止まった。
こんなふうに聞いてくれることが、どこか嬉しかった。
【白石美冬】
大丈夫ですよ。私は、一人暮らしなので。
だから、むしろ来てくださると、すごく助かるんです。
【倉本琉亜】
そっか、ならよかった。
俺、あんまり人の家に行くことないから、ちょっと緊張するかも。
【白石美冬】
私も、誰かを招くのは久しぶりです。
でも、倉本さんなら大丈夫だと思ってます。
そう送ると、スマホの向こうから空気が和らいだような返信が届いた。
【倉本琉亜】
じゃあ、よろしく頼む。
年越しそばとか、やっぱある?
【白石美冬】
もちろん。簡単なものですけど、ちゃんと用意します。
それとよければ、何か観たい映画とかあれば、持ってきてください。
【倉本琉亜】
了解。面白いやつ探しとく。
【白石美冬】
今年の終わりを、静かにでも楽しく過ごせたらいいなって思っていて。
【倉本琉亜】
うん、そういうのいいと思う。
【白石美冬】
じゃあ、当日、お待ちしていますね。
スマートフォンを胸元にそっと引き寄せた。
あたたかさが、ゆっくりと身体の奥に沁みてくる。
“誰かと一緒に年を越す”──
そのささやかな約束が、これほどまでに胸を満たすものだなんて。
静かな冬の夜が、少しだけ優しくなる。そんな気がした。
日付:12月29日(木)
時間:午後8時03分
天井灯だけが点いた薄明かりの部屋で、倉本琉亜はローテーブルに伏せたスマートフォンを横目に、ぼんやりと天井を眺めていた。
暖房は静かに動いている。けれど、どこか空気は冷たかった。
白石美冬から届いたメッセージ──「年越し、うちで一緒に」──その文面が意味するものを、琉亜は特別な感情を交えることなく、淡々と受け止めていた。
──女の子が、一人暮らしの家に、男を招く。
──しかも、大晦日という節目の日に。
どう考えても、普通ではない。それは、分かる。でも、ただそれだけのことだった。
彼にとって、恋愛感情というものは身近な存在ではない。興味がないわけではないが、優先順位としてはかなり低い。
この誘いが、どういう意味を持っていたのか──少なくとも、深読みするつもりもなかった。だからこそ、むしろ迷いはなかった。
「……何も起こさなきゃいいだけの話だろ」
独り言のように、小さく呟いた声が、空気の中に淡く消えた。
あのとき、自分が美冬を助けたのは、ただ過去を重ねてしまったから。
その後、何度か話したのも、何となく会話が続いたから──それだけだ。
だけど、美冬はそこに“意味”を感じて、今回の誘いに繋がったのかもしれない。
だとすれば──最低限、自分はその“意図”を踏みにじらないようにすべきだ。
再びスマホを手に取り、画面に残るメッセージを眺める。
【白石美冬】
じゃあ、当日、お待ちしていますね。
言葉は丁寧で、飾り気がなくて──ただ、事実としてそこにある。琉亜は小さく息を吐き、スマホを伏せ直した。
──別に気負うことじゃない。
ただ行って、普通に過ごして、帰ってくるだけ。
彼の中では、それ以上でも以下でもなかった。けれど同時に、“余計な期待”を持たせるようなことだけは、しないようにしようと──そう、どこかで意識していた。




