3 死なない範囲で
「気になるのは、なんでこんな事態になっていまったのかってことだが......やっぱり消去法でいくと<メタトロン>の暴走か?」
メタトロンとはnew worldを管理しているAIの名前だ。
画像認識やデータ分析などAIが人類の生活に組み込まれて久しいが、これまで使用されているAIは全て、特定の分野のみに特化した特化型人工知能(ANI)であった。
しかし、ヴィジョンのAI部門に所属する天才科学者、薊総一郎が開発したメタトロンは人間同様の柔軟性や認知能力を持ち、あらゆる分野の知的作業を理解、学習、実行できる世界初の汎用型人工知能(AGI)であった。
メタトロンは新たな情報を取り入れ、絶えず自己進化を繰り返す。『学習を続けていくことで、将来的にメタトロンは人智を越えた神に近い存在になるだろう』と、薊総一郎はマスコミのインタビューに対してコメントをしていた。
そして、実証実験として同じヴィジョンの開発したゲームタイトルであるnew worldの管理AIに採用された。
『プレイヤーに最高のゲーム体験を与える』という役目のもと、メタトロンは通常モンスターのポップ率やボスモンスターのステータスの調整、さらにはクエスト、イベントの自動生成など、new worldに関わるあらゆる権限を持たされている。
もしこの状況が人為的に起こされたものの場合、当然犯人には何かしらの動機があるはずだ。
例えばそれがnew worldのプレイヤーを人質にして、現実で何らかの交渉を行うためだった場合、わざわざアバターの頭部モデルをリアルフェイスモードにしたり、<鎮魂の間>なんて施設を追加する理由がない。あるいは、犯人の目的が『この世界で戸惑い、苦しむプレイヤーの姿を見たい』というある種の快楽主義────狂人めいたものだったとしても、それならそれでもう少し何らかの説明があってもいいだろう。
とにかく今回の一件、人間が犯人にしてはどうにも腑に落ちない点が多すぎる。
メタトロンは自らの意思でプログラムのコード生成も行える。そのため理論上は、Vダイバーのシステムをハックすることも可能なはずだ。
だからこそ、この状況はメタトロンが暴走した結果と考えるのが最も妥当だ。とはいえ、だったら何故メタトロンが暴走したのかという疑問も出てくるのだが、流石にそこまでは分からない。今のメタトロンに関する知識も全てテレビから得たものであって、Vダイバーの構造同様、俺自身そこまでAIに詳しいわけではない。
「暴走なら暴走で、せめてプレイヤーの脳を破壊するってのもでたらめだったらいいんだがな......まあ、その辺の真偽は数日もすれば分かるか」
「なんで?」
人差し指にブロンドの髪をくるくると巻き付けながらユウが言う。
Vダイバーは本体から放たれる信号によって、装着者の顔の形状を詳細に把握することができるが、装置をヘルメットの様に被る仕様上、髪の広がり方やボリュームまでは完全に把握することができない。そのため、髪に関しては今でも以前のアバターのままとなっている。
「丸一日もゲームにログインしっぱなしでいたら、1人暮らしでも無い限り、まず家族とか同居人に無理矢理Vダイバーを剥ぎ取られるだろ。逆に数日経ってもプレイヤーの大半がログインしたままなら、外部からVダイバーを取り外せない状況。アプデの文面がマジの可能性が極めて高いってことだ」
「そっか......。カズキは1人暮らしなの?」
何気ないユウの問いに、俺は反射的にピクリと肩を震わせる。
「いや......違うけど。数日部屋にこもっているくらいなら、珍しくもないから放っておかれるかもな」
極力平静を装って、答える。
「ふーん。俺も大体そんな感じだけど、やっぱり事情を知らない家族が無理矢理コクーンを外そうとしないかは不安だなぁ」
あっさりとした様子でユウは呟くが、その声は僅かに震えていて、動揺の色が見えた。
現実のことは詮索しないのが、俺達の間────というよりこの世界での暗黙のマナーなのだが、この異常事態を前に忘れてしまっていたのだろう。
とはいえそれを責めてもお互いに墓穴を掘りそうな気がしたので、そこには触れず、そのまま会話を続けることにする。
「まあ、確かに問題はそこだな。実際に犠牲者が出れば、当然現実の方でもnew worldの異常は広まるだろうが、今は深夜だし、情報も広まりづらい。朝になるまでに、どうしてもその手の事故は結構な数起きてしまうだろうな......」
そして、俺達がその犠牲者にならないとは言い切れない。
まあ......うちは多分大丈夫だとは思うが、自分の命運が自分の意思や行動とは無関係の所にあるというのは、精神衛生上よろしくない。
「つっても俺達に何ができるわけもないし、とりあえず、今そのことは考えないようにしようぜ。俺達が考えるべきは、このnew worldがマジのデスゲームになっちまったという前提で、これからどう動くかだ」
現実の体のことも気にはなるが、仮想空間に囚われている俺達に現実の状況を知る術は無いし、知ったところでどうすることもできない。であれば、悩むだけ悩んで不安ばかりが大きくなるというのも馬鹿らしい。
「どう動くかか......アプデの内容が全て真実なら1番の解決策はワールドクエストをクリアすることなんだろうけど.....」
そこで、ユウは言い淀む。その理由を察して、俺も頷いた。
「ああ、ゲームクリアを目指すのはあまりにもリスクが大きい。new worldは、かなりハードな難易度調整がなされたゲームだ。開発だって、1度も死なずにクリアできると思って作ってねぇだろう。つーか、そもそも未だにユニークモンスターの発見すらできていないんだからな」
アプデの文面を信じるならば、ワールドクエストをクリアすることで俺達はこの世界から解放され、現実に帰還することができる。
ワールドクエストとは、このゲームの最終目標────つまり北の大陸にいる魔王を倒すというものだ。しかし、北の大陸は魔王の貼った結界で守られており、現状上陸することはできない。この結界を解除するには、魔王から強い力を与えられた、この世界のどこかにいる7体のユニークモンスターを倒す必要がある。
そういうわけで、この半年間多くのプレイヤーがユニークモンスターの手がかりを求めて、日夜探索を行ってきたわけだが、未だに1つの遭遇報告すら上がっていない。まあ、それでも徐々に探索範囲は広がっているし、このまま攻略が進めば、いずれ見つかりはするだろう。
とはいえ攻略は口で言うほど簡単ではない。
new worldは所謂『死んで覚える』タイプのゲームだ。一応、レベル制であるため、十分にレベルを上げれば戦闘は確実に楽になるが、new worldにはレベル差補正という仕様が存在する。これは自分よりレベルの高いモンスターを倒した際、獲得経験値に上昇補正が入るというものだが、逆に自分よりレベルの低いモンスターを倒した際には下降補正がかかってしまう。補正はレベル差が拡大するほど大きくなり、プレイヤーのレベルがモンスターのレベルの11以上となった際には、獲得経験値はほぼ0となる。
それ故、レベルを上げ続けるにはどうしても敗北のリスクを取って、ある一定以上の強さのモンスターと戦わざる終えない。さらにボスモンスターともなると、十数人でパーティを組み、何度も再挑戦して、少しずつ攻撃パターンを覚えながら攻略していくのが基本となる。
しかし、new worldが本当にデスゲームになっている場合、HPが0になることは現実世界での死を意味する。
俺もユウもかなりこのゲームをやりこんでいるので、実力的には全体の上の中か下くらいには位置しているだろう。だが、それでも自分達が1度も死なずにゲームをクリアできるビジョンなどまるで思い浮かばない。
「じゃあ、誰かがゲームをクリアしてくれるまで、街にこもってる?」
「うーん。ゲームをクリアしなくても現実の方から解決策がもたらされる可能性もあるし、普通に考えたらそれが1番利口なんだろうが、ログアウトのできない今の状況が既に普通じゃないからな。街の中なら安全って固定観念は危険だと思う」
「まさか、これから先、街の中にモンスターが侵入してくるかもしれないってこと?」
「流石に、それは無いと思いたいけどな」
new worldに存在する街は、セーフティエリアとして設定されている。そのため、フィールド上のモンスターは街の中に入ってこれないし、街中で他のプレイヤーを攻撃してもダメージを与えることはできない。
もし、アプデの文面が真実だと証明されれば、現在ログインしているプレイヤーの半分以上は街にこもって外に出なくなるだろう。そんな中、街中のセーフティエリアの設定が突然解除されれば、どれだけのパニックが起こるか、ましてやどれだけの犠牲者が出るかなど想像したくもない。
「じゃあ、方針としてはゲーム攻略はリスクが大きいからやらない。でも、もしもの時のため、死なない範囲でレベルは上げておくってことでいいんだね」
「ああ。とにかく不確定要素のある未踏破エリアには絶対に近づかない。出現するモンスターの種類とステータス、攻撃パターンが全て判明しているエリアで、レベル的な安全マージンを取った上で狩りをする。もちろん、マージンといっても経験値効率が悪くなり過ぎない程度になるけどな」
「ま、いくらnew worldが高難易度っていっても、情報が揃っている上に、ボスでも無い通常モンスターが相手なら、2人でもまず遅れは取らないでしょ。最悪やばくなったら、街に逃げ帰ればいいし」
そう言ってユウは肩をすくめる。
作中でしつこいくらい”現実”という言葉が出てきますが、基本的に読みは”げんじつ”ではなく”リアル”です。