2 混沌と混乱
乳白色の石畳と石造りの建物。そしてそれらによって引き立つ豊富な木々の緑。
のどかなヨーロッパの田舎街を想起させる<ケルセン>の中央広場は、今や混沌の坩堝と化していた。
現実世界の時刻は00:20くらいだろうが、特定の時刻にしかログインできないプレイヤーに配慮し、1日が16時間となっているこの世界の空は、今も青く澄み渡っている。
「ねぇ、カズキ。これからどうする?」
パーティメンバーであるユウの声に、俺は振り返った。
視線の先にいたのは、紺色のロープを身に纏ったプラチナブロンドの髪を持つ十代後半の青年。その右手には、先端に金色の装飾が施された木製の大きな杖が握られている。これで当人が白人であれば、立派なファンタジー世界の魔法使いに見えただろうが、残念なことに肝心の顔が大人しそうな純日本人では、せいぜい気合いの入ったコスプレイヤーくらいにしか見えない。
とはいえ見た目のアンバランスさに関しては俺も似たようなものだ。
胴体を覆う黒色の重金属鎧も、背中に背負った自身の体格とほとんど変わらない大きさの両手剣も、唯一露出している頭部が逞しさの欠片も無い十代の日本人の若造ともなれば、一気にハリボテのように思えてくる。
「あのアプデの文面って本当なのかな?」
「それはまだ判断しようがないけど、少なくともログアウトはできないし、アバターの頭部モデルが、リアルフェイスモードに変更されているのは事実だからな。GMコールも使えなくなってるし」
俺は中空に浮かぶ自身のウィンドウに視線を戻す。そこに映っているのは、つり上がった眉と目から機嫌が悪いとよく誤解される紛れもない現実の俺の顔そのものであった。
メニューウィンドウから開けるカメラモードの設定をアウトからインに切り替えて、そのままシャッターボタンを押さずにいれば、こうして鏡代わりにも活用できる。
汎用プリセットのモデルをそのまま使用していたとはいえ、半年もの間、苦楽を共にした彫りの深い歴戦の戦士のような勇ましい我が頭部モデルが、失われてしまったのは痛い。とはいえ、自分達はまだマシな方だろう。
「あんた、よくもだましてくれたわね! あんたみたいな不細工にときめいていたと思うと、それだけで身の毛がよだつわ!」
「お前だって人のこと言えねぇだろう! このブス!」
近くで聞こえた大声にそちらを向くと、2人の男女が互いを激しく罵り合っていた。2人がこの世界でどういう関係で、何故言い争っているのかは、今のやりとりだけでなんとなく察しが付いた。
「テメェふざけんな! 散々姫プレイして貢がせといて中身おっさんじゃねぇか! 死ねっ!」
さらに聞こえた怒声に視線を移すと、4、5人の男性プレイヤーが1人のプレイヤーを取り囲んで糾弾していた。
囲まれているプレイヤーは女性用の法衣を身に纏ったプリーストで、小柄であるものの意外に出るところは出ており、絶妙に男の庇護欲をそそる体つきをしていた────が、恐ろしいことに首から上はストレートロングの髪を持つ推定40代ほどの男性であった。
他にも周りを見渡すと、豊かな胸と臀部、くびれのある腰を隠そうともしないビキニアーマーを身に纏った男やラグビー選手も顔負けの巨体の少女というように、服装だけでなく、体つきそのものがアンバランスなプレイヤーが何人も見受けられた。
これも全て、アバターの頭部モデルがリアルフェイスモードに変更されたことによる弊害だ。現実の顔を再現した頭部モデルを作成するリアルフェイスモードは、オンライン会議などの場では使われることも多いが、ロールプレイの都合と単純に個人情報の漏洩といった点からオンラインゲームで使用する者はほとんどいない。
一応、アバターの体格に関しては、現実の肉体との差異から動作に影響に出ないよう、現実と同じくらいに設定することが推奨されているが、仮想世界でくらい自分の理想とする姿になりたいと思うのが人間の性だ。
俺とユウはそこまで露骨にいじったりはしていないが、中には魅力的な肉体美を追求したり、あるいは性別そのものを変えたりしていたプレイヤーもそれなりにいたらしい。そこへ頭部モデルが強制的にリアルフェイスモードに変更されたことで、現在の様な惨状となっている。
この世界は現実ではない。
西暦2025年11月16日に、株式会社ヴィジョンが発売した世界初の家庭用フルダイブ型VRマシン<Vダイバー>。それは専用のヘルメット型インターフェースを頭に装着することで、デジタルデータで構築された仮想空間にユーザーの意識を没入させることができる夢のようなマシンだった。
そして、Vダイバーの発売から丁度1年後に発売されたのが、Vダイバー対応ソフトとしては初めてのMMORPGであるこの<new world>であった。
突如として凶暴化したモンスターの侵略によって、人類の生存圏が脅かされている剣と魔法のファンタジーの世界を舞台に、プレイヤーはその世界に生きる1人の冒険者となって、魔王の君臨する北の大陸を目指すというストーリー。
1つの広大な仮想空間に、数千、数万のプレイヤーが同時にログインする。それはまさに仮想空間に作られた新たな世界であった。
とはいえ、そのあまりに進化した技術は、1人のユーザーによって生じるサーバーへの負荷も従来のゲームとは比べものにならない。そのため、new worldの生産数には制限がかけられている状態だ。
現在のnew worldの販売本数は約10万本。容量やラグなどの関係上、ソフトはパッケージ版のみで、発売も日本限定。希にソフトが市場に流れても一瞬で売り切れてしまうことを考えると、今このゲームをプレイできているプレイヤーはかなりの幸運の持ち主と言えるだろう。
いや、今となっては不運かもしれないが。
そして、今日は正式サービスが開始してから半周年記念ということで、大型アップデートが行われる日であった。
データのダウンロードは事前に行われており、2027年5月16日00:00を境に、その内容はゲームへと反映される。
30分ほど前までフィールドで狩りをしていた俺達は休憩がてら、現在拠点に使っている街であるケルセンに戻り、そのままアップデートの時を待つことにしたのだが、日付が変わると同時に、アバターの頭部モデルがリアルフェイスモードへと切り替わった。そして、その原因を確かめるべく、メニューウィンドウの『運営からのお知らせ』をチェックしたところ、追加されていたのが、あのアプデの文面だった。
ログアウト機能の無効化、死亡ペナルティによる現実のプレイヤーの生命の剥奪。新エリアの<フォルトナ諸島>の追加は、公式サイトで事前に告知されていたが、それに付随して通知された冗談みたいな内容の数々。
デスゲーム物の映画などならプレイヤーに対して仕掛け人から何らかの説明があるというのが定番だが、それすらない。今までのアップデートとなんら変わらない事務的な通知による唐突なデスゲーム開始宣言。
それ故に、プレイヤー達の間に渦巻く感情の大部分を占めていたのは、絶望よりも困惑であった。
「おい、運営はなにをやってるんだ! なんでログアウトができねぇんだよ!」
「これもなんかのイベントの一環なのか! ちゃんと説明しろ!」
「つーか、なんで頭部モデルが勝手にリアルフェイスモードに変更されてるんだよ! プライバシーもクソもねぇじゃねぇか!」
今、街の広場でプレイヤー達が騒いでいる内容も、死亡ペナルティに関するものよりログアウトできないことや頭部モデルが強制的に変更されたことに関するものの方が圧倒的に多い。どうやら大半のプレイヤーは今のこの状況は、過剰なイベント演出か、バグの一種で、その内運営からの謝罪なり、説明があるのだろうと考えているらしい。
そういう俺も、アップデートの文面が真実の可能性もあるというだけで、確信を持てずにいるという点では他のプレイヤーと大差はない。最も確信がないからこそ、パニックにもならずこうして落ち着いて話をすることができているのだろうが。
「なんにせよ、ことがことだしな。とりあえず、今は最悪の事態を想定して動くべきだろうな」
「最悪の事態っていうと、やっぱり......」
「ああ、あのアップデートの文面がマジで、このゲームで死ぬとVダイバーから放出される電気信号で、現実の俺達の脳も破壊されて死んじまうって場合だ」
俺は人差し指でトントンと自身の側頭部を叩く。
「というか、他の人たちが言ってるみたいに、これが半周年記念アップデートで追加されたイベントの演出の一環ってことはないのかな?」
「いや、それはねぇだろう。こんなことをしたって世間からの信用が地に落ちるだけで、企業からしたら何のメリットもない。なにより、実際にログアウトができなくなっている以上、下手をすればVダイバー、いやVR技術そのものに規制がかかったっておかしくない」
new worldの開発元は、Vダイバーと同じ日本最大手の総合電気機器メーカーであるヴィジョンだ。悪名は無名に勝るという言葉もあるが、Vダイバーの開発により、既に世界有数の大企業へと成長を遂げているヴィジョンがこんな博打どころか、自爆めいたマーケティングをするとはいくらなんでも考えにくい。
「でもさ、プレイヤーの脳を破壊って、本当にそんなことできるのかな?」
「どうだろうな......」
脳の活動というのは要するに電気信号による情報のやりとりだ。
Vダイバーは本体から生み出される電気信号によって、仮想上の五感の情報を脳に直接与えている。
何らか方法でVダイバーのシステムにアクセスし、この電気信号の出力を大幅に上げることができれば、プレイヤーの脳を破壊することも可能かもしれない。もちろん、電気信号の出力は危険域まで上げられないよう、Vダイバーには幾重もの安全装置が組み込まれているはずだが......。
「まあ、可能なのかもしれないが、俺達は専門家じゃないし、正直詳しいことは分からねぇな」
「だよね」
俺もユウもそっち方面の知識に詳しいわけではない。であれば、素人2人がいくら頭を捻っても答えは出ないだろう。
一応、ラストまでのプロットは組んでいます。