六十五 体験
どれほど落ち続けているのだろうか?
まだ、どこにも着かないし、何も見えない。
このまま永遠に落ちていくのだろうか?
底はあるのだろうか?
不安が私の心を蝕んでいく。
でも、どうすればいい?
先程から浮遊魔法を使ってはいるが、浮いてるのかどうかも分からない。
上も下も分からない。
…これが『死』なのだろうか。
そう思うと諦めもあるのか、少し気持ちが落ち着いて来た。
死ぬってもっと恐いと思っていたけど…違うんだ。
そんな事を考えながら、私の意識はいつの間にか少しずつ薄れていく。
そう、少しずつ…。
気が付くと白い空間にいた。
ここは見覚えがある。
「どうして神様と戦うことになっちゃったのかなぁ」
この呆れ混じりの声の主も誰だか分かる。私に力を与えてくれた謎多き女性アルファだ。
「ねえ、アルファ、私、死んじゃったの?」
「死んでないんだけど…困ったなぁ」
左手で右肘を抱え、右の人差し指で頬骨の辺りを自分でぷにぷに押しながら、眉をハの字にして困っている。
可愛らしい仕草に少し心が和む。
「でも…このままだと死んじゃうわけだし…どうしよう」
このままでは話が進まないので私から切り出すことにした。
「ねえ、元の世界に戻れるの?」
私の問いにまるで答えず悩むアルファ。そんなに悩むことなのだろうか?助かる方法があるなら試すべきではなかろうか?
「話聞いてるの、アルファ?」
「聞いてるけど…私の判断で決めていいのかな?でも緊急事態だしなぁ」
再びアルファは大きなため息を付くと私と唇が触れてしまいそうな距離に顔を近づけてきた。
「元の世界に戻す方法を教えるけど…私との約束、守ってくれる?」
何を約束させられるか分からないが、今は戻るために何でも受け入れるしかなさそうだ。
「分かったわ。やり方を教えて」
それでも曇った表情のままのアルファが今度は正面から私に抱きついてきた。
「あ、アルファ!?」
少し戸惑う私にアルファは「黙ってて」と一言返す。
「これからあなたには…空間魔法をある人から学んできて欲しいの。けど、約束して。その人が誰なのか、あなたが誰になって魔法の習得を体験するのかを詮索しないで」
全く意味が分からない。だが、アルファは続けて話す。
「それと、あなたが体験する事は全て過去の出来事だから、そこで何をしても何も変わらない。だから、空間魔法を学ぶこと以外は夢の中だと思って流し、余計な詮索はしないでね。あなたが何かしようとすればするほど…虚しくなるだけだから」
アルファの体が私の体に吸い込まれるように重なっていく。一体何が起きてるのかを把握しようとする前に、私はまた、意識が消えて行った。
気が付くと、見た事ない景色だった。
木製の天井に見た事ない掛け布団。どうやら私はどこかで寝ていたようだ。
辺りを見渡す。時間は早朝と言ったところだろうか?陽の光があまり入ってきてないが、薄く、ほのかに明るい。
まあ、建物の向きによっては昼でも光は入らなかったりするし、深い谷なら光は入りにくいので時間の断定は難しい。
視界に入ってきた部屋は広くない。
寝ている所から首を横に動かすだけで台所、トイレ、少しの食事するスペースが全て見えた。
飾りも何もなく、見える家具はにテーブルが一つと椅子が二脚、それと壁際に本棚だけである。ただ、殺風景の部屋に似つかわしくないくらいに四段ある本棚はぎっしりと本が詰まっていた。
扉は二箇所だけ。
台所の横と寝ている足元の延長線上に一つ。
小柄な私だが、それでも狭いのでは?と感じるくらいだ。
台所の上には窓がある。布がかけられていて、虫が入るのを防ぐ意味でもあるのだろうが、風で揺れたら効果はなさそうだ。
窓の位置かすると、台所の横の扉は外に出るのだろう。後一つは開けてみないと分からないが、倉庫なのかもしれない。
他に何か情報はないかと首を動かした。
すると、私の隣に…無精髭を生やした男が寝ていた。
思わず驚きで体が固まる。
男は寝息を立てており、気持ちよさそうに笑みを浮かべている。夢でも見ているのだろうか?
よく見れば男はエルフである。
特徴的な尖った耳に端正な顔立ち。髪は美しい銀髪。後ろで括っている。括っている紐が赤いため、そこに目が行ってしまう。
「リウス…起きたのか?」
うっすら開いた目に私の視線が合ってしまった。
「起き抜けにまたやりたいのかい?分かった。リウスが求めるなら俺は何度でも応えるよ」
私は男に抱き寄せられるとキスをされ、そのまま優しく肩に手を回された。
その時、気付いたとことがある。
腕の体温が直に私の肌に伝わってくる。
そう、私も…その男も…何も身につけてない。
「愛しているよ、リウス」
「ちょ、ちょっと待って!」
思わず男を突き飛ばして布団を体に巻き付け距離を取った。ベッドから突き落とされた男は頭をぶつけたのか、頭を押さえながら立ち上がった。
「おいおい、昨日はお前からあんなに積極的に来たのに今朝はこれかよ。ホントお前は気まぐれなんだな」
立ち上がった男は全裸…。思わず声を上げてしまいそうになるが、それよりも驚いたことがあった。
エルフなのに私より頭一つ以上も高い背丈で、筋肉質。私はこんなに大きく逞しいエルフを私は見た事がない。
幼い頃住んでいた村にも山に入り仕事をする者もいたが、こんなに筋肉質にはなっていなかった。
「お、やっぱり俺の体が気になるのかい。そんなにじっと見つめられると照れるじゃないか」
男は嬉しそうに笑うとベッドの脇に置いてあった服を着始めた。
「お楽しみは今晩にするとしようか。まあ、今日は空間魔法を教える約束だったからな。リウスは才能あるからすぐに覚えられるよ」
優しく私に微笑みかける男なのだが、私はまだ状況に頭の理解が追いついていない。
これで詮索するなは無理でしょ、アルファ。
いきなり見ず知らずの男に襲われかけて…でも、この人が空間魔法を教えてくれるみたいだし…何より私とこの男の関係は何なの!?てかリウスって誰!?全く理解できなきない!
「今日は俺が朝ご飯作る日だから、リウスはゆっくりしてていいよ」
男は嬉しそうに台所の横のドアから出て行った。
「ねぇ、アルファ、ちょっと、説明、説明してよ!意味がわからないよ!」
どこかで見ているであろうアルファに呼びかける。
しかし、反応は無い。
「空間魔法習わなきゃならないから逃げ出せないし、けどこのままここにいたら私、あの人と…何とかしてよ、アルファ!」
だが、やはり反応は無い。
「どうしよ…」
ベッドに突っ伏していると再びドアの開く音が聞こえた。
「おいおい、二度寝するのか?まあ、今日は予定が無いから構わないが…それとも、俺を誘っているのかなぁ」
その言葉で私は飛び起きると自分の服を探す。
服は男と同じように自分の寝ていた横の床にあったので慌てて着替えを済ます。
その時、何とも言えない違和感を感じたが、何なのかはわからなかった。
「そんなに慌てなくてもいいじゃないか。ちょっと拒否されてるみたいで俺、悲しくなるじゃないか」
男は言葉とは裏腹に、私を愛おしそうに見ていた。その目は決して私を監禁してるとか、従属させてるようには感じなかった。
そう、何となく安心感がある目。少し心が落ち着くような気がするくらいだ。
「今日は畑の野菜と山菜のスープだ。きのこ、ちゃんと食べるんだよ」
男は手際良く料理を作ると、二人分の食事を配膳し、私の座る椅子を引いて「どうぞ、お姫様」と大袈裟に一礼して見せた。
まあ、何にせよ食事の後に魔法を習うだろうから、私は椅子に座ることにした。
だが、ちょっと後悔した。
座った私の後ろから男は自分の両腕で背後から私を抱きしめて、頬に軽くキスをしてきたのだ。
そして、耳元で囁いてきた。
「リウス、君とできる食事は最高に幸せだよ」
思わず顔が赤く染まる。
それだけ言うと男も自分の席に座り食事を始めた。
もしかして…新婚夫婦なのかな?
だとしたら、この男の態度も納得できる。
例え現実の体験ではないと言われてても緊張してしまう。
いや、違う違う!私が結婚したんじゃない!
でも、イアランと一緒になったら…こんな生活、するの…かな?
頭の中で目の前の男とイアランが重なった。
ダメだ。こういう想像しただけで私は何も話せなくなる…。
「どうしたの、リウス?体調悪いのかい?」
「い、いえ、大丈夫よ、大丈夫」
咄嗟に私は元気だとアピールした。もし、体調が悪いと言えば空間魔法を教えるのを先延ばしされるかもしれない。それだけは避けたい。
何より、ここでこんなに時間を使ってて大丈夫なのだろうか?
これは急いで空間魔法を習得しなくてなは習い!
「さ、さあ、早く食事終わらせて空間魔法の修行始めましょ!」
私はささっと食事を終わらせると食事を終えた食器片付け、そそくさと外へと出た。
これ以上、色んな意味であの男と魔法の事以外話すのは危険だ…。
少し遅れて男が外に出てきた。少し驚いた顔ではあったが「じゃあ始めようか」と言うと手に持った本を開いて私に見せた。
「いいかい、リウス。空間魔法は一人では使えないんだ」
そう言いながら本の開いたページの図を見せてくる。そこには二人のエルフが魔法を使っている古代壁画のようなものが描かれていた。
「そして、使用者は神の衣を使い、魔法と闘気のバランスを少し魔法側に強めて空間に干渉するんだ。まずはとりあえず神の衣を使ってくれ」
言われるまま、神の衣を発動させてみる。
しかし、何も起こらなかった…。
「どうしたんだ、リウス?神の衣、使えない…とか?昨日覚えたってあんなに使って自慢してたのに?」
呆れたような男に私は愛想笑いを返す。
すると、男は「仕方ないなぁ」と微笑みながら私を抱きしめてきた。
ホント、この男、何かあると抱きしめてくるなぁ。
…けど、そんなに悪い気分じゃないのが少し私を困惑させる。まさか…私、この男に惚れたって事!?そんなことあるわけない!
そんな私の心を知らずに男は説明を始めた。
「いいかい、神の衣は魔法と闘気を同等に、しかも同時に発動するんだ。いきなり全開しなくていい。両方のバランスが取りやすい力加減を思い出すんだ」
男の説明に疑問がふと湧いてきた。
私、そんなことしてないけど発動したのはなぜ?
「あ、あの…そんなことしなくても発動することってあるの?」
面倒なので率直に聞いてみることにした。男は少し考えたが、頭の中で考えがまとまったのか、ちゃんと答えてくれた。
「可能性としては、一つは最初からバランスを取る才能があるとかかな?後一つは…両方を全開するか、じゃないかな?両方100%ならバランスも何もないだろうからね。その100%が魔力と闘気が同量ってパターンかな?」
どうやら私の発動は後者のようだ。
だから、意図的に神の衣を発動しようとしてもできず、感情が昂った時に発動する、ということなのだろう。
でも、感情が高ぶるようなことがないここで、そんなことできるのだろうか?
とりあえず、全力を出してみよう。
「でも、全開でバランス取るとしたら…難しいかも」
男の一言で私は発動を止めた。男は少し深刻そうな顔で私に言った。
「全開でバランスを取るとしたら、コントロールミスをすれば、神の衣の力を維持するために魔力も闘気下がった方に合わせることになるわけだけど…放出されてる魔力や闘気って抑え込むのは簡単じゃないからね」
そういうこと、先に知りたかった…。
でも待って!てことは私は神の衣のコントロールから始めないとダメなの!?そんな時間ない!
とは言え、それができないと私は自分の意思で神の衣発動できないのも事実。
「どうすればいいの、そのコントロールって」
私の問いに男は固まってしまっていた。
「昨日…使えてただろ?ちゃんと理解して使ってたんじゃないのか?」
「ふ、復習よ、復習。基本は大切でしょ!」
何とも情け無いバカな言い訳である。
男は私の言い訳を聞くと近寄って来て再び抱きしめてきた。
「そういう子供じみたとこも可愛いな、リウスは」
…惚れて思考が弱くなってるみたいで良かったよ、ホント。でなければ疑われて教えてもらえなくなるかもしれないからね。
「まずはコントロールしにくい方を安定する量放出し、コントロールしやすい方を合わせていく。コントロールしやすいかどうかは闘気は拳に集めた闘気を強くしたり弱くしたりをやってみる。魔力は自分の得意な魔法を強くしてみたり弱くしてみたりしてみる。思うように操れる方を後で合わせるようにする。…思い出したかい?」
なるほどと思いつつ、早速闘気を強くしたり弱くしたりして見る。
案外簡単に操れる。
続いて魔力を操ってみる。
これも難なくできた。
あれ?つまり、これって、白銀竜の覇気を使うのに似ている気がする。
心や生命エネルギーのコントロールしているのと同じ…いや、むしろ魔力も生命エネルギー…闘気も使い慣れているゆえに、落ち着いてやればコントロールできる。
言われたように同じくらいで放出してみた。
「復習とか言ってたけど、簡単にできてるじゃないか」
私を包む黄色のオーラ。ただ、過去に自分が使っていた神の衣よりは弱い。だが、体への負担が少なく、気持ちにも余裕がある。
これが30%くらいなので戦う時間に合わせて放出する割合を変える戦法は使えそうである。
「じゃあ空間魔法を使うよ。まずは、俺と神の衣を同調させるところから始めよう。リウスの方がコントロール上手いみたいだから俺に合わせてくれると助かるかな」
いきなり無茶を言ってくる。
この男に合わせろって…どうやればいいのよ…。
「ほら、やるぞ」
そう言うと男は私の手をぎゅっと握り神の衣を発動する。
「…分かる。あなたの神の衣の力が。何でなの?」
何と言えば良いのだろうか?まるで触れた肌から伝わって体温が感じられるように、神の衣の力が私の手に伝わってきた。
そして、とても優しい気持ちも私に伝わってくる。
思わず男を見ると、男は優しく微笑み返してきた。
「どう?神の衣って触れ合った相手に力を流すこともできるんだ。神が苦しんでいる民に慈悲を与えるようにね。これが神の衣と言われる由縁さ。本来、神の衣は戦うために生まれたものではないと俺は思っているんだ」
考えたことなかったし、そういう力なのも知らなかった。
私は神の衣をただ戦う力として考えていた。
人は圧倒的な力を持つと、敵がいるのなら必ず相手を圧倒する使い道を模索してしまう。
それは生物としての本能かもしれないが、それではダメだとこの神の衣は…この男は教えてくれた。
そして、アルファが私に神の衣を与えられた理由もこれで理解できた。
アルファは私に神の衣の力を与えてくれたのだ。この分け与える力を使って。
だとしたら…アルファは何者?どうして私の心の中にいるの?
「じゃあ、この俺が流したエネルギーを俺の手とリウスの手の繋がれたところまで押し戻してくれ。それがエネルギーがお互い同じ力で押しあっている状態になる」
私は軽く頷くと言われた通りに男のエネルギーを押し返してみる。
「そうだ、その調子だ」
ゆっくりと押し返し、二人の繋いだ手のところへと自分のエネルギーを押し返すことに成功した。
「いいぞ。そのまま次だ。空間は目標を定めにくい。だから放つ目標を自分からどれだけ離した場所に放つかを考えるんだ。もし、何か目標物があるのなら普通の魔法を使う要領でいいから、今回はやらないよ」
男の言われたまま、そのまま自分の三メートル先を目標として狙いを定める。
「目標が決まったら…その空間を斬り裂くイメージで放つ。さあ、やってごらん」
集中して何もない空間を目標として…斬り裂く!
…
…
何も起きない…。
「不発…だね」
ここまでが順調だったので最後の最後で失敗したのは信じられなかった。
一体何が悪かったのだろうか?
「初めてだから仕方ないさ。俺だって三年かかったしさ」
「三年!?」
そんなに待てるわけない!すぐに習得してみんなの元に帰るつもりだったのに、これでは空間魔法を覚えたところでヴァーサによって世界が消されてしまっている。
私はその場にへたり込んでしまった。
「そんなに…かかるの…?」
言葉と共に頬を涙が伝う。何にどう当たればいいのか分からないが、とにかく悔しくて地面につけた両手で土を握っていた。
「それじゃあダメなの…今すぐでも覚えないと…私の大切なもの…全部無くなっちゃう…」
震える声で自分の思いを吐き出したものの、解決策には繋がらない。
現実という壁は…越えられない。
自分の才能の無さを初めて恨んだ。
もしかしたら師匠なら…イアランなら…ティゴなら…簡単に覚えることができたんではなかろうか?私が神の衣の力を与えて使ってもらえば…できたのではなかろうか?
「これを使うといい」
いつの間に取りに行ってたのか気が付かなかったが、男はキレイな白いタオルをくれた。
「冷静になるために一度顔を洗ってきてもいいかもしれないな」
確かにそうかもしれない。
感情的になっても何も解決できない。
「リウス、悔しがるっていい事だよ。本気でやらなければ悔しいって感情は生まれないからね。そういう者が更なる高みに進めるものさ」
分からないけど…この男の言葉、態度は温かい。師匠や師範も私を育ててくれた。でも、こんなに温かさを感じたことはない。
決して師匠や師範が冷たいわけではないのだが、この男は何かが違う。
それが何だか分からないが、リウスに対して真剣な思いが私にも伝わってくる。
ちょっと…羨ましい関係かもしれない。
「ごめんなさい。ちょっと顔洗ってくる!」
やれるだけやる。やってやる。そして早く帰ってやる!
それが…自分の目的であり、この男に対しての礼儀だとも思えてきた。
まあ、私はリウスでないのでちょっと悪い気もするが、これは夢らしいので、割り切って学ぶことに集中しよう。
みんな、何とか早く空間魔法を使えるようにやってみるから、私が帰るまで待っててほしい!
私は自分の両頬を叩くと、タオルをしっかりと握り目に入った井戸へと走って行った。




