五十九 魔界
魔界には師匠と二度しか来たことがない。
一度目は旅を終えた後、師匠の魔界の家に行った時である。
二度目は託児所を開設する時に邪神に許可を得るために師匠が邪神に会うために来た時に連れてこられた。
ただ、その時は邪神に会うことはなく、師匠の魔界の家でお留守番であった。
だから、私は魔界で顔が知られてるわけではない。
しかも、魔界の厄介なところは誰かの知り合いだから襲ってこないとは限らないとこである。
魔界では力こそ全てだ。
私が留守番している時も師匠を倒そうと挑みに来る者が後を断たなかった。
この時師匠は「家から出るな。誰が来ても黙って家の中でじっとしてろ」という冗談みたいな指示をするだけ。
師匠の家はそんなに大きいわけではなく、家と言うより研究所のような感じがするところであった。
高台にあり、窓から外を覗けば、眼下に広がる街並みを一望できるは私の好奇心を刺激した。
だが、メイドは当然、警備する者もおらず、私はそんなところに一人で残されていた。
だからこそ、怖くて震えながら師匠の帰りを待っていた記憶は今でも鮮明に残っている。
そんな世界で本当にイアランを守ることができるのだろうか?
私は不安しかなかった。
今となっては雑魚相手に苦戦はしないが、魔界にはゴッドキラーよりも強い化け物はいる。
そんなのを相手にする可能性があると考えると不安でしかない。
魔界の入り口は託児所から徒歩二十分程度の所にある。なのに私は近づくことはなかった。
入り口は洞窟のようになっていて、誰でも簡単に入ることができる。
だが、ある程度の強さを身につけた者なら肌で危険を感じ取り、本能が警鐘を鳴らす。
この先に踏み込むのは愚かな行為だと告げるのだ。
そんな洞窟を私とイアランは進んでいく。
師匠と行く時は飛行、もしくは転移魔法で連れて行ってくれたのだが、私も昔の記憶過ぎて師匠の家もはっきり覚えていない。
本当は邪神の所に飛んで行って話をして保護してもらうのが良いのだが、どこに邪神がいるのかわからない。こんなことなら一度でも邪神に会いに行くべきだった。
今更後悔しても仕方ない。
魔界を目指し、私達は岩場だらけの洞窟を歩く。
洞窟は大したこともなく、しばらく歩くと出口のようなものが見えてきた。
地上の洞窟の出口は明るく光っているのだろうが、ここの出口は…不気味な…狂気を色にしたような赤い光を放っている。
理由は分かっている。魔界の明かりは溶岩がメインであり、太陽の光は入ってこない。
初めて魔界に入った時、その赤さに恐さを感じ、思わず生唾を飲み込んだことは記憶の片隅に残っている。
イアランも魔界は初めてなのだろう。辺りをキョロキョロと見渡し、感嘆のため息を漏らしている。きっと知的好奇心を刺激されるのだろう。
私が初めて来た時と違い、目が輝いてる。
「ここが魔界か…まさか来ることがあるとは思わなかった」
楽観的と言うか、私の思考には理解できない世界と言うかホント呆れてしまう。
私達の眼前に広がるのは一言で言えば荒廃した世界。
まず見渡す限り岩。味気のない灰色の地面もゴツゴツとした岩肌の地面で、整地させれるわけでもなく、きっと同じ所を歩く者が多かったので、この部分が道となり、歩きやすくなったのだろう。
山も岩山しかない。
天に向かって突き刺さるかのような尖ったものばかりで、地上のように山の恵みなど皆無だろう。
ただ、所々の山は灰色の地肌を溶岩が垂れているだけなのだが、それでも魔界の味気ない山に彩りを与えるものに見えた。
その山から更に上を見ると空がある。
ただし、地上で言うなら雨の降る前の黒い雲が遥か彼方まで広がっていた。
だからと言って暗いわけではない。
地上には川が流れており、川が周りを照らしているのだ。
そう、全て熱を帯びた赤。山から流れてきた溶岩の川なのである。
地上の溶岩より実は温度が低いのだが、とても近くに寄れないのは地上と同じなので、飛べない者や転移できない者は川で遮らた区域で生きて行くことになる。
となると、必然と少ないエサの奪いは当たり前に起こり、殺し合いは日常茶飯となる。
師匠に教えられたことがある。
ここの生き物が生まれつき悪ではない。過酷な環境に生き残るには残忍にならざるを得ない…と。
そして、力ある者が生き残りその力が全ての者を統べるために力と知恵を得た者が悪魔の始祖であり、師匠の一族の祖でもある。
そこを踏まえて考えると、師匠の姉であるベラが邪神をしているのも納得できるし、師匠が魔界の入り口と付近とは言え、人間界に住んでも今まで排除されなかったのも当然である。
だが、クスによって師匠と師範は魔界へ追い返された。
そのクスを倒した私は…何者なのだろうか?
今考えることではないのに、どうしても頭の中で浮かんでくる。
「周りに特徴なさ過ぎて何処に向かえばいいかわからないな…。せめて方角くらいわかればいいけど…太陽も無いし…ここの世界の生き物はどうやって自分の位置を把握しているんだ?」
体の向きをあらゆる方向に向けて手がかりを探すイアラン。私も見回すものの、何か人工的なものらしき形跡も無く途方に暮れていた。
「飛ぶことはできるけど、闇雲に飛んで強敵ばかりの地で魔力尽きて野営はしたく無いからなぁ。最善策では無いけど、適当に方向を決めて少しずつ進んでいこうか」
また辺りの景色を見渡し、山の少ない方を見るとイアランが指を刺した。
「山がある方だと徒歩だと体力使うし、知性のある者も住むなら山地より平地に住む事を選ぶとは思うけど…ここだと平地の方が敵から狙われやすい可能性もあるから山地の可能性もあるんだよね。それから考えると…」
「もういいよ、まず進もうか」
思考が口から漏れているイアランの手を引いて、私はとりあえず平地の方へ向かう事にした。
私が平地を選んだ理由は簡単である。
女のカン!以上!
歩いて一時間…私達は魔物の群れに囲まれていた。
しかも数匹程度ならまだしも、小型のドラゴンであるレッサードラゴンに数十匹に逃げられないように周囲を囲まれてしまった。
どうやら、このレッサードラゴンは平地を根城にしているようで、群れを見つけた時、気付かれる前に逃げようとして私がコケて「ぐへっ」という間抜けな声を出したために今のこの状況に陥ってしまった。
「ジール、仕方ないけどこれは倒して切り抜けるしかないね」
私は「ごめんなさい…」と申し訳ない気持ちを込めてイアランに謝った。
そんな私を見て優しくイアランが微笑んできた。
「ジール、別に戦いたくないだけであって勝てないわけじゃないよ」
目の前に大きな召喚陣を描き私にウィンクしてイアランが魔力を放出した。
「多分、忘れてそうだけど、俺、ゴッドキラーなんだよ?」
そう言うとイアランは私が初めて見る…いや、何となく見覚えがある光り輝く獣を召喚した。
「ホワイト…ウルフ?」
「そう、俺の魂がお世話になった恩人…ならぬ恩狼かな」
そう、これは以前イアランが殺された時、イアランを生き返らせるために魂を仮に保管しておくための器として使われていたホワイトウルフである。
「俺が死んでたコイツの体使ってただろ?何かさ、そのおかげかはは分からないけど、生命活動再開できたみたいでさ」
召喚されたホワイトウルフがイアランに擦り寄っている。
「何だかもう自分の一部みたいに感じてさ、エアマスの城で飼ってるんだよ」
ただ、私の知るホワイトウルフよりかなり大きくなっていた。イアランと変わらない大きさである。
呆れた顔をした私と目が合うホワイトウルフ。すると、何を思ったか猛突進して私に飛びつくと顔が削ぎ取られるのではと思うくらい舐め回してきた。
見えた尻尾が残像が出そうなくらい振り回されていた。
「やっぱり俺と同じでジールのこと好きなんだなぁ。分かるよ、ジール可愛いもんね♪」
おい、そんなこと言ってる場合じゃないだろ、イアラン!助けなさい!私、唾液で溺死しそうになってるの分からないかな!?
側から見たらほのぼのした光景もレッサードラゴンにとっては獲物を横取りされたと思ったのだろう、レッサードラゴンの数体がホワイトウルフ目掛けて襲いかかってきた。
それを野生の勘なのだろうか?ホワイトウルフは即座に感知し、私とレッサードラゴンの間に立ち塞がり、一声遠吠えをする。
すると激しい電撃がホワイトウルフの周辺を包み、その電撃が龍のように変化して辺りを駆け巡った。
「これって…」
「ホワイトウルフは高位の魔法を使える種族なんだよ。一部地域では神の使いとされ、電撃と神聖系魔法を得意とするんだ。コイツと召喚契約はしたのはつい最近だからまだ言うこと聞いてくれない部分も」
説明の途中でレッサードラゴンを殲滅したホワイトウルフがイアランに飛びつき、私がされたように舐め回しの刑…いや、褒めてくれた言わんばかりにじゃれついていた。
「…そうね、言うこと聞いてくれない部分、ありそうだね」
小さい頃、あんなに舐め回してこなかったのに、大きくなったらこんなになった舐め回してくるようになったのは…まさか、イアランの性癖とか?
私はイアランと少し距離を空けてホワイトウルフとイアランの愛情表現を冷めた目で見つめていた。
この後の移動はイアランの提案でホワイトウルフの背に乗って移動する事になった。
驚くのはその早さ。
幼い頃、森で狼が走ってるのは見た事あるが、そんな早さじゃない。
まるで、放たれた矢のような速さで、景色が私の視界から次々と流れ去っていく。
それは有り難い事なのだが、同じような景色しか目の前に現れない。
これ、もし歩いていたら途中で餓死していたのではなかろうか?
時々ホワイトウルフを休ませるために止まり、周囲を見渡すが、街や村どころか、言葉の通じる知性ある生き物に一度も遭遇しないのが問題である。
ホワイトウルフも無限に走ることはできない。
だからこそ、何か目的地となるものを見つけて、出来るだけそちらへと向かうようにしたいところなのだが…見えるのは、灰色の岩と溶岩の川が視界一杯広がるだけである。
「まるで砂漠を旅するみたいだね。まあ、砂漠なら太陽があるから方角くらいは分かるからマシかな」
流石のイアランも少し焦りの色が見え始めていた。
半日移動しても何も無いというのは、山なら遭難と考えてもいいレベルだろう。
師匠が私を連れて魔界に来た時は、あっという間に城に着き、自分の家にも着いていた。
せめて、師匠の家の窓から覗いた外の景色がどこなのかを思い出すことができればいいのだが…。
私の記憶からすれば、何処かに街はあるのだ。
ただ、この世界の広さが分からない以上は無策に移動はするのは無謀だったかもしれない。
逆に誰かに見つけてもらう方法とか無いものだろうか?
山なら枯れ木を集めて火を起こして煙を上げ救助する者に居場所を教えられるのだが、ここには植物も無ければ、燃やせる物もない。
それに、地上より暗いため、煙くらいでは居場所が分からない可能性が高そうだ。
先程からイアランも黙って何かを考えているようだ。
それだけこの状況はヤバいということだろう。
「ねえ、ジール」
不意に呼ばれて動揺してしまった。こちらを向いたイアランに対して言葉を失う。
私は今、イアランをずっと見ていたわけで…そんな時に不意に目が合えば、ドキドキしてしまうのは普通…だと思う。
「こんな状況だけどさ、これって久しぶりのデートだよね♪」
思わず私は「へ?」と間抜けな返事をしてしまった。
「え?だって、二人で異界の地を旅するとか…新婚旅行みたいじゃない?」
嬉しそうなイアランを見て私は自分が悩んでいたことがバカバカしくなった。
そうだよね、それがイアランだもんね。
「まあ、旅行は続けたいけど…食料は確保したいかな。これは魔物でも狩って食料にしなきゃならなそうだな」
とんでもないことを当たり前のように言うイアランの神経に私は唖然としてしまった。
昔、師範が修行している時、試しに魔物を何種類か食べたことがあったと言ったので感想を聞いたことがある。
答えは「毒ではないが、あれなら人間の嘔吐物食べた方が数百倍マシだ」であった。
料理は私もイアランもできる。後は素材なのだ。その素材が嘔吐物より劣るものなら技術とかの話ではない。
それでもこの荒地に植物は無いし、まだレッサードラゴンしか遭遇していない。
となると、この遭遇率から考えると、次の魔物を食べなくてはならない。
奇跡が起きれば師範の知らない美味しい魔物に出会えるだろう。
だが、師範は「何種類か食べた」と複数の魔物にチャレンジした結果の感想があの一言だけだった。
師範の味覚はおかしくない。ゲテモノ好きとかではなく、むしろ美食家である。
悪魔はある程度の強さを持つ者は見た目とか関係なく人間世界の貴族クラスになるで、案外教養が高く食事や芸術などのにも精通していたりする。
だからこそ、師範は私の心を掴むスイーツを選んで持って帰って私の甘いもの欲求を満たしてくれたのだ。
まあ、新技実験のおまけ付きではあったから、感心すべきは味覚ではなく、狡猾さ…いや、私の甘いものに対する弱さを反省すべきか?
何となく本題から逸れたが、魔物はダメだ!食べてはダメだ!何としても、まともな食料を確保しなくては!
「イアラン、一度託児所に戻るとか…もしくはエアマスの所に戻るとかして食料を…」
「いや、それは危険だ。俺の戻る可能性のある場所には必ず強力な敵がいるはずだ。万が一クスと遭遇したら瞬殺だろし」
「じゃあ、一度人間界の街に…」
「見つかったら魔界に逃げ込まれないように魔界の入口を封鎖されるか、もしくは戦力を集中してくるよ?そうなるとオジオンを俺たちだけで迎え打つことになる。それは流石に無理だよ。数ってのはバカにできないからね」
どうしよう。魔物だけは避けなくては…。
クスを倒したって今から言うべきか?
でも、あの黄色の生命エネルギーを自由に扱えない以上、勝てない可能性もあるし…。
悩む私の後ろでホワイトウルフが急に唸り声を上げ出した。前足を踏ん張って威嚇するかなようである。
「敵かもしれない。ジール、警戒して!」
私も慌ててエネミーサーチで周囲を調べてみた。
最悪だ…。
ホワイトウルフの威嚇している方角から敵を示す赤い光点が数十体、こちらにゆっくりと移動してきている。
雑魚ならいいが、ある程度のレベルの敵だと問題だ。
一回だけの戦闘なら当然勝てる。
だが、これを何度も繰り返せば当然私たちは疲弊し、最後は補給がない以上、力尽きるのは明らかだ。
だから、相手が瞬殺できるレベルでない場合、無駄な戦闘は避けたいのとこである。
それを当然理解しているイアランは節約してスライムを一匹だけ召喚すると、迎え打つために身構えた。
本当は何かの影に隠れたいところだが、そんなことでやり過ごせる可能性は低い。
こちらに向かってきている時点で私たちの存在に気が付いているし、これだけの数で探されたら隠れてもすぐに見つかる。
私は最初に敵を瞬時に圧倒して相手の意表を突く作戦を取ることにした。
その旨をイアランに伝えると、私とホワイトウルフでもしダメなら、イアランもホワイトドラゴンを召喚し応戦するという二段構えの作戦で行くこととなった。
こんな戦いを続けてはダメなのだが、今を生き残らなくてはならない。
その場限りをして凌がないと生きていけない世界…まさしく魔界の弱肉強食を今、自ら体験している。
「見えたよ、ジール。人型だね。知能があれば締め上げて食料確保しなきゃ」
締め上げなくとも話をして食料を分けてもらえたら幸いなのは確かである。
見えてくる人型の影はこんなとこで!?と思わず声が出そうになった。
オークである。
しかも、先頭を歩いている大きなオークは見覚えのある顔であった。
そして、その横に懐かしい子供のオークが二匹、私をじっと見つめて、不思議そうな顔をしている。
「もしかして…サマーンとクレロ?」
思わず声をかけると、子供のオークは少し警戒しつつも私に近寄ってきた。
「あぁ、そうか。こうしたらわかるかな?」
私は自分がエルフのままなのを思い出して、その場でダークエルフに変身をした。
「ジール!」
二匹のオークの顔がパッと笑顔になった。
しかし、イアランを見ると私の後ろに隠れて震え出した。
「アイツ…前、みんなの集まる場所で暴れてたヤツじゃない?」
「私たちこっそり見てたのよ!アイツ、ホワイトドラゴン呼び出してゼフィ様やオーキス様攻撃してたでしょ!」
二人のやり取りが繰り広げられている間に先頭を歩いていたオークにも見覚えがあった。二人の父親である。
「お久しぶりだな、先生。あんたらもここに逃げてきたのか?」
あんたら「も」と言うことは、このオーク一団はあの魔の森から逃げてきたのだろうか?
「そうだけど…そっちも逃げてきたの?」
サマーンとクレロが私の問いに交互に様々な断片的な情報を繰り出してきたが、父親に「お前ら、少し黙ってろ」と言われると、すぐに口を閉じた。
「立ち話も何だ、俺たちが厄介になってる所に戻ってゆっくり話をしよう」
そう言うとオークの一団は振り返り、元来た道を戻り始めた。
クレロとサマーンが「行こ、ジール」と手を引いてきたので、私はそのまま連れて行かれる形になり、イアランは苦笑いをしながら私の少し後ろをホワイトウルフと共に着いてくるのであった。




