四十一 ぬくもり
エルフは一人で生きていると時間の流れに鈍感になる。昔、住んでいた村で聞いた話だ。
長寿であるがゆえに時間を気にせずに生きられるので、体内の時間感覚が弱いのかもしれない。
あれからどのくらい時間が過ぎたのか分からない。
ここがどこかも分からない。
モトラを殺した後、ひたすら歩いた。
何かに流されるように歩いた。
方角はわからない。
寒くとも関係ない。
天候が悪くとも関係ない。
倒れることもあった。
でも生きている。
たどり着いたのはどこかの洞窟。
別に寒さから身を守りたかったわけではない。
ただ、身を隠したかっただけだ。
幸か不幸かどうやらエルフにとって居心地の良い森の中の洞窟であった。
本能が選んだのだろうか?
近くには小さな滝のある小さな川もある。小さいと言っても川幅は三メートルほどはある。
これで飲み水には困ることはない。深さもある程度あるので魚もいた。
辺りを見渡せば「冬りんご」と呼ばれる冬でも実をつける木が多くあり、生きたいなら生きていける環境のようだ。
着ていたガウンを少し加工し、動きやすいようにした。
洞窟は深いものではなく、二十メートルほど歩けば行き止まり。お陰で風が吹き込むことはなかった。
私は魔法で洞窟の入口に土壁を作り、外から中が見えないように入口をカモフラージュした。
こういう時、魔法のありがたさを感じる。
火は炎の魔法で付けられるし、薪は風魔法で枯れ枝を切れる。近くの川には冬でも魚が泳いでおり、氷魔法でニードルを作り、射抜いて浮いてきたら拾い上げる。
何かをしたいわけでもない。
死んだように生きてるが、死ぬ気はない。
ただ、本能が生きることを選んだから、それに従っただけ。
何をしたらいいのか、分からない。
でも、腹は減る。
だから食べている。
寒いと感じる。
だから、焚き火で暖を取る。
考えなくて楽な生活だけど…辛いのはなぜだろうか?
ここに来て、どのくらい時間が過ぎたのだろうか?
最近、雪の日が減った。
洞窟の周りにも緑の若い芽がちらほら目に入るようになってきた。
春が来たのだろう。
でも、私の生活は変わらない。
そう、馴染んできている。
迷って出てきた熊の魔物、ジャイアントグリズリーを一蹴して得た毛皮の敷物は、地面に枯れ葉を敷いただけより気持ち良く、寝床兼毛布として役立っていた。
大木を切り倒して、丸太を縦に半分に切って作ったテーブルも洞窟の中で見慣れたものとなった。
私は、このまま、ここでひっそりと暮らす。それでいい。やりたい事もない以上、それでいい。
ジャイアントグリズリーの毛皮にくるまり、まだ寒さを感じる春をに少し眉をハの字に寄せつつ眠りについた。
ある日のことだった。
私の就寝の時間になったのだが、今日はやけに鳥たちが騒がしかった。
こんなことはここに来て一度もなかった。
もしかして山火事などの災害が起きているのだろうか?
焼け死にたいわけではないので、もし火事ならば魔法で消火しなくてはならない。
私は恐る恐る洞窟の外に出て周囲を見渡す。
すると、右手側の空が赤い。火事…にしては木の燃える匂いがしない。
害がなさそうだと判断したので、そろそろ洞窟の奥で就寝しようと入口に背を向けた。
パキッ。
枝が折れる音。
ただ、これは雪の重さで枝が折れた音ではなく、地面に落ちている枝を踏んだ音。
私は周囲の警戒を強めて耳を澄ました。
もう一度パキッと音がする。
私は入口から少し顔を覗かせて辺りの様子を探る。
音の主を発見した。
暗闇で少し見えにくかったが、歩いているのは小柄な細身の女の子である。
大きな瞳に小さな鼻の可愛らし顔立ち。髪は長く、さらさらしてそうなストレートで腰にかかる程度。着ているものは、まだ寒さが厳しい夜なのに薄着…部屋着のようにも見える白の半袖半パン。胸が少し膨らんでおり、幼子ではなく、ある程度成長をしている女の子のようだ。
しかし、一番気になったのが、彼女の耳が目の横ではなく、頭に獣のようなふさふさした見た目の耳が付いていたことであった。
獣人族。
本物は初めて見たが、実際にいるとは思っていなかった。それだけ獣人族は滅多に姿を見せないと昔文献で読んだことがあった。
女の子はそろりそろりと後ろを気にしながら歩いていた。追われているのだろうか?
でも、私のは関係ない。もう寝る時間だ。
洞窟に戻ろうとした時、今度は複数の声が空が赤く染まっている方角から聞こえてきた。
数は四人くらいだろうか?下品な笑い声と変な雄たけびを上げながらこちらに向かってきている。
「まあ、ここに来ないならほっとこうかな」
どうせエルフ狩りのように獣人狩りをしているのだろう。本当に人間はろくなことをしない。
不愉快ではあるが、関わると面倒なことになるのは目に見えている。
バシャ!
大きな水しぶきの音がした。川の方を見ると先ほどの獣人の女の子が川にまたがる岩を飛んで渡ろうとして足を踏踏み外し川に落ちたようである。
「今、大きな水の音がしたぞ!」
遠くだった下品で不快な声が普通に聞こえるほどの距離になっている。だが、私の洞窟の存在はまだバレてない。
複数の男が走ってくる音が森に響く。
慌てた獣人の女の子は立ち上がり水の音をバシャバシャさせて走り出す。
バシャン!
また、女の子は川の中で足を滑らせたようだ。ここの川底の石は表面が緑色であり、とても滑りやすいのだ。
これだけの大きな音をすれば当然見つかる。男の中の一人が叫んだ。
男達が洞窟の近くに来たため、私は慌てて顔を引っ込めた。
「いたぞ!そいつが指輪を持ってる可能性がある!確認しろ!」
声がした後、川で激しく水の音がして静かになった。
捕まったんだろうな。簡単に予想が付いた。
「隊長!持ってました!」
こいつらの嬉しそうな下品な声は耳の中に響いて不快であった。だが、これで静かになるだろう。あの子には悪いが、私はもう、何もしたくない。
「おい、引き上げるぞ!」
隊長と言われた男の号令が静かな森に響く。実にうるさい。まあ、この様子だと女の子はそのまま放置で去りそうだ。殺されなくて良かったとは思う。
「なぁ、隊長、ここで遊んで行ってもいいか?」
私の耳が思わずピクッと動いた。ここで遊ぶ…獣人族の見た目と年齢の関係性は分からないが、人間ならやっと二次成長が始まったくらいの女の子に見えた。
そんな子供を相手に自分の溜まった欲望の捌け口として利用しようというのだろうか!?
そのすぐ後に隊長と言われた男の返答に私は眠気を吹き飛ばされた。
「お前等、こういうのは隊長が先に決まってるだろ?その後は好きにしていいぞ」
思わず拳に力が入る。
いや、こんなことはこの世界では日常茶飯事である。今関わったら絶対面倒なことになる。聞こえない。私には何も聞こえない!
「お前等、手足押さえておけよ!獣とやるのは初めてだから楽しみだ♪」
隊長の号令に文句を口々に言いながらお互いに抑える箇所を確認し合っている声が聞こえる。
「イヤー!!!」
森に響く女の子の悲痛な叫び。
私は…動けなかった。
思い出すのは私の自由を奪い嬉しそうにしていたドーザとか言う中年男性の顔。その後薬で眠らされて…。
起きたときにガウン一枚しか身に付けていなかった私。何をされたか確認することすら気持ち悪くて、でも悔しくて、悲しくて…。
体が震えている。
私なら、あんな奴らに負けたりしない。
でも、もし万が一、あいつらに捕まりでもしたら…。
けど、私と同じ目に合おうとしている子を私は見捨てようとしている…。迷って動かず時間が過ぎれば男たちは欲望をあの子に吐き出す行為が終わってしまう。
「脱がせてみるもんだな。子供だと思ったらいい乳してるじゃねぇか♪」
いつの間にか私の頭の中が真っ白になった。
気が付けば血反吐を吐いた男が四人倒れていた。その中心にいる全裸の獣人族の女の子が震えながら私を見ていた。
その目に感謝は全く見えない。恐怖に怯えている目をしていた。
「おいで」
女の子に一言言うと私は自分の洞窟へと帰って行った。
どうしてあんなことをしたのだろうか?
別にあの女の子が犯されたところで私には関係ないのではなかろうか?
少なくとも、これであの性欲のクズ共を探しにまた誰か来る。せっかく手に入れた平和な場所が失われてしまう。
頭を抱えていた私の背後に、先ほど助けた獣人の女の子がおどおどしつつもやってきた。
「あの…ありがとうございます」
まだ声に恐怖が混じっているものの、私のにとってはそんなことはどうでも良かった。
問題はここを出ていかなければならないのかと思うと気が重い。やっとここでの生活に慣れて来たところだったのに…。
頭を抱えている私に女の子はビクビクしながらも「大丈夫…ですか?」と声をかけてきた。
先程自分が襲われかけて、怖い目にあったというのにこの子は私の心配をしているだ。
「ありがとう。大丈夫よ」
いつぶりだろうか?言葉を自分以外の者に対して発したのは。
もう自分は誰とも接することはなく、ここで朽ちていくと思っていた。まだ四季が一巡もしてないのにだ。
それなのに、こうして目の前に獣人族の女の子がいる。
未来とは分からないものである。
そんな女の子を見て思い出すのはヘキサのこと。元気にしてるかな?とヘキサと過ごした日々の思い出が蘇った。
そんな私をきょとんとした顔で見ている女の子を見て、我に返った。
この子、そう言えば全裸だが寒くないなだろうか?
「ちょっと待ってて」
私は薪に火をつけ、暖を取れるようにする。魔法で火をつける私を見て女の子は「うわぁ♪」と嬉しそうに声を漏らして焚き火に当たった。
そりゃあその格好、寒いよね。
「あの…私はルージュと言います。よろしければお名前、聞いてもいいですか?」
男たちからの脅威から逃れ、逃げるときに冷えた体が温まったので安心したのか、ルージュと名乗った獣人族の女の子は私のことに興味を持ちだしたようである。
「私はジール。…ごめんね、ここには服の予備が無いのよ。とりあえず、このジャイアントグリズリーの毛皮を体に巻いて、仲間の所に帰るといいわ」
乗り掛かった舟。
名残惜しかったが、ルージュを全裸で外に出して帰れとはさすがに言えなかったので、ジャイアントグリズリーの毛皮をあげることにした。どうせ、ここは人間にも、ルージュにも知られた。静かに暮らすには移動しなくてはならない。
「多分、仲間も…村も…家族も…もうダメだと思います…」
何となくこの子がここに来た経緯は推測できた。
どこかの国が侵攻してきて獣人族の村を虐殺し、滅ぼした。そこから命からがら逃げたルージュはここまで来て追手に捕まった。
まるで昔の私みたいである。
私の時は師匠と師範が助けてくれたっけ。まさか自分が同じことをするだなんて、あの頃では想像すらしなかったことであった。
そうなると、ルージュをどうしたものだろうか?ここにいてもいいが、私は明日にでも旅立つつもりである。ここをこのまま使ってくれてもいい。
どうせ持って行くものは身に付けてるもの以外は無い。また、着いた先で必要なものは作ればいいのだ。
「ここを使いたいなら使えばいいわ。私は明日ここを出るから」
私の言葉にルージュは耳をピンと立て、私を見る。今にも泣きそうな潤んだ瞳で私を見てくる。そんな目をされても同情なんかする気は無い。
「私は…これからどうしたらいいんですか?ここにいても一人だし…あいつらの仲間が来るかもしれないし…」
「それはそうかもしれないけど、私はもう余計なことに関わりたくないのよ。あなたを助けたのも気まぐれだし。私は静かに…暮らしたい…から…」
私は言葉が出せなくなった。
私の言葉を聞きながら、我慢できなくなったのかルージュは大きな瞳から大粒の涙を地面に水たまりができるのではないかと思うくらい流していた。
「行かないで…ヒック。私を置いて…ヒック…いかないで…」
嗚咽交じりの必死の声。心を揺さぶられる。
でも、この子と関われば私はトラブルに巻き込まれる。
「お母さん、目の前で…殺されたし…ヒック…お姉ちゃん…連れていかれたし…ヒック…もうあそこには誰もいないし…ヒック…」
ルージュは必死に私に訴えてきている。それでも私はそんなルージュを突き放す答えを返した。
「今晩くらいはここにいてもいいけど、明日ここを出るのは決めたことなの。あなたは…あなたで自分の力で生きていきなさい」
まだ泣き止まないルージュ。ここで感情に負けると私はこの子の面倒を見なきゃならない。でも、そんな気持ちの余裕は…今の私には無い。
「もう寝るわ。寒いだろうからこの毛皮にくるまるといいわ。お休み」
ジャイアントグリズリーの毛皮は大きく、小さな私とルージュがくるまっても余裕がある。別に意地悪がしたいわけではないし、余裕がある部分を分けるくらいは良いかと思い、声だけかけた。
嗚咽はしばらくしたら止まった。その後、毛皮の上にルージュもやってきて…私の背中に抱き着いてきた!
「えっ!?」
思わず声が出た。私の説明が悪かったのだろうか?それとも獣人族はこうやって寝るのだろうか?
一瞬引きはがそうと思ったが、できなかった。
ルージュと触れている部分がとても温かいのだ。
それは、とても…心地よかった。
「行かないでよ…私…もうあんな恐い目にあいたくないよ…」
ルージュはまた泣き出した。
今のルージュの気持ちは…痛いほどよくわかった。私も似たような理由でこんなことになった。それなのに…私はルージュを見捨てようとしている。なんて酷いヤツなんだろう…。
「ジール、お願いだから…」
私を抱きしめる腕に力が込められた。
もし、この子をここに置いていったら…どうなるのだろうか?
多分、森で餓死や魔物に殺されるか、先ほどの男の仲間に捕まり奴隷にされるかだろう。
必死に私の背中に顔をうずめ、何度も「行かないで」と、かすれた声を出すルージュ。
私は大きくため息をついた。
ルージュの抱き着いている腕を優しくほどくと、ルージュの方に向き直り、今度は私から抱きしめてあげた。そんな私に驚くルージュ。
「明日、どうするか二人で考えようか」
私の言葉に小さく「うん…ありがとう」と答えたルージュは私の胸に顔をうずめてすすり泣いてた。
やっぱり私は見捨てることはできない。自分と似た境遇のルージュの事を。
それに、助けを求めているはずのルージュに私も助けられたのだ。
この肌の触れ合っている部分の温かさは、自分の心に癒しをくれた。
客観的に見たら布地の少ない服を着たエルフと、全裸の獣人族の女の子が抱き合っている姿は少し誤解を生む光景かもしれない。
でも、誰かに見られているわけではない。
私は久しぶりの温もりをもっと感じたくなり、服を脱ぎ、ルージュをしっかり抱きしめた。幸せな温もりの中、久しぶりに気持ちよく眠りに落ちて行った。




