隣人と狂人
目の前には真っ白な雲が空を覆っているような天井があった。視線を落とし、周りを見渡すと見慣れたソファーや机や椅子などがあった。間違いなくここは自分の家だった。
少し前までマンションの廊下にいたはずの自分が気付けばベットで横たわっていた。しかし、誰かに連れてこられた記憶があるはずでもなく、自分で歩いて戻った記憶もない。
「ただいま」母の声だった。
母はベットで寝ている私の姿を見て、囁くようにもう一度「ただいま」と言いながらキスをした。彼女はなぜこんなにキスをするのか分からなかったが、口調からは私が部屋を出たことを知らないような素振りだった。
翌日、母は朝から父と同時に会社に向かった。父は毎日会社に、母は一週間に二日程度会社に向かう通勤体制で、今日がその通勤の日だったため、昨日のリベンジを今日することにした。昨日の失敗を生かし、今日は風呂場にある椅子を持っていくことにした。これで、インターフォンに手が届かないこともない。
重たいドアを開け、隣の部屋へと向かう。
いつも風呂場で使っている椅子をマンションの廊下で使うことに違和感を感じながらも風呂場の椅子に乗り、バランスを取りながらインターフォンのボタンを押した。インターフォンはカメラが付いており、部屋の住民はそのカメラとマイクで外の訪問者と話すみたいだ。
インターフォンの呼び出し音が静かな平日のマンションに鳴り響く。あまりにも静かなためこの呼び出し音で関係ない周りの部屋の住民が部屋から出てきそうに思えたが、出てきたのはインターフォンを鳴らした部屋の住民だけだった。
重たいドアがゆっくりと開き、中から顔を少し現したのは私が求めていたと思われる双子の一人であろうか。短い髪の毛をさらさらと揺らしながら、少し開いたドアの隙間からこちらを覗いていた。華奢に伸びた鼻と足に惹かれながらも「あ、あの双子の女の子ですか?」私はこの言葉をかけた。言葉をかけてから、数秒経った頃に気が付いたが隣の名も知らぬ男からそのような質問をされては気味が悪いと思われても仕方がないと思った。案の定、こちらを覗いている彼女は何も言わずに、ただこちらを見ているだけだった。
完全に私を気味の悪い不審者だと思ったはずだと勝手に被害者ヅラをしていると、短髪の女の子の後ろからもう一人、今度は長い髪の女の子が出てきた。彼女も鼻が高く、ぷっくりとした唇は自分を包み込んでくれるような包容力を感じた。
「あんた、となりのゲルラって子?」長髪の彼女は首を傾げる動作をしながら言った。
「私の名前を知っているのか?」と聞くと、彼女は「ええ、お母さんが教えてくれたもの」と言っていた。彼女たちは私を特別、警戒しているわけではなかったが仲良くしようなどという仲間意識も見られなかった。
「それで、昼間からどうしたの?」
「少しだけ君たちに聞きたいことがあるんだ」私は長髪の子と、短髪の子を挟みながら会話をしたが、さすがに中間にいるのが嫌だったのか長髪の子に前を譲っていた。
「私たちに聞きたいことって?」
「なぜ、こんな風に普通に会話ができているか聞きたいのさ」
その言葉を放った瞬間に彼女は黙り込み、それと同時に僕らを包み込むように廊下から部屋に向かって風が吹いた。