君の一番の望み ~モテない伯爵令息とその周辺~
「何でイケメンはモテるのだろう?」
「イケメンだからですね」
「イケメンと言っても、時代ごとに流行りがあるだろう?」
「なるほど。では、気長に待ちましょう。
三百年もすれば、貴方が絶世のイケメンと呼ばれる日が来るかもしれない」
「三百年か。長いな」
「…………冗談はさておき」
「真面目な話だったんだぞ」
「それは失礼しました」
春半ばにしては、日差しが強い午後。
マクレナン伯爵家次期当主であるアーネストと、その執事ダンは王都で人気のカフェの扉を潜った。
「いらっしゃいませ、マクレナン様、お待ちしておりました」
「ありがとう。今日もよろしく頼む」
「かしこまりました」
マクレナン伯爵家は様々な商売を手掛けていて、非常に羽振りが良い。
後継ぎとしてメインの商会を手伝っていたアーネストだが、一通り学んだあとは自分の商会を起こしていた。
それは、王都内を走る辻馬車を扱うものだ。
アーネストが商売を始める前、一時期、偽辻馬車が王都を荒らすという大事件があった。
役所の許可を取らずに商売をする者が多くいたのだ。
充分な整備をしない馬車で客に怪我をさせたり、文句をつける客を脅したりは、まだ可愛い方だった。
最初から強盗目的で客を乗せたり、若い女性を攫ったりという案件も多発。
王都警備の騎士団は徹底的に捜査して、悪質な事件の黒幕を突き止め逮捕。
可愛い方の無許可辻馬車関係者も震え上がらせるよう、執拗に吊し上げ晒し者にした。
以後、偽辻馬車は現れていない。
しかし、そもそも利用する側が正規の馬車と偽辻馬車を区別するのは難しい。
新たな偽辻馬車が現れるやもと、利用そのものに恐怖感が付きまとうようになってしまった。
まともに商売をしていた貸し馬車屋や御者は、すっかり仕事にならなくなった。
そこへ新規参入したのがアーネストである。
まず彼は王都中に多数展開している、マクレナン伯爵家が営む商店の前に辻馬車の待合所を作った。
そして、そこでなら信用できる辻馬車が拾えることを広めた。
これは安心だと人気になり、用意した馬車で足りなくなると、仕事にあぶれていた他の業者にも話を持って行った。
お客や御者の安全を守るための、いくつかの取り決めを守れる者たちを選び、待合所を使用する許可を与えたのだ。
更には、辻馬車の箱に広告ペイントを施して宣伝料を稼いだり、結婚式をする平民のために美麗に飾った白い箱馬車で教会への送迎をするサービスをしたり。
稼ぐことと宣伝すること常に抜かりなく、アーネストは若くして人に羨まれるほどの財をなし始めていた。
アーネストとダンは上階奥の、一番いい個室に通された。
待ち人はまだ現れず、それまでは、と二人でソファに座り、お茶を飲む。
「それにしても、なんでイケメンはモテるのだろう?」
彼等が店に入った時、中は若い女性客であふれていた。
しかも、一角に注目が集まり、なんだか盛り上がっている。
その中心にいたのは、王都警備の騎士団に所属するハロルド。
若いながら副団長の地位にいて、実力は折り紙付き。
しかも、王子様のごとき、金髪碧眼の超美形である。
悪い噂は聞かないが、彼と噂になりたいお嬢さんは星の数。
一人で店を訪れていたらしい彼は、我先に話しかけて来る令嬢たちににこやかに応え、争いなど起きぬよう、うまくあしらっていた。
女性客たちは、すっかり彼から目が離せず、気の毒にも連れであった男性たちは放っておかれている。
しかし、ハロルドのイケメンぶりは王都では有名で、もはや人気役者のような扱い。
男性たちも、まあ奴なら仕方ないなと苦笑いするだけだ。
アーネストとダンは、その様子を横目に見て上階へと案内されたのだ。
「ハロルド殿は本当に人気があるな。
やはり、イケメンだからだろうな……」
「それだけではないでしょう」
「そうか?」
「王都の警邏で鍛えた対人スキルで、どんな人にもうまく合わせられるらしいですよ。
相手の望みを嗅ぎ付け、懐に入り込むのも得意だとか」
「お前が言うと、何か悪いことみたいだな。
だが、犯罪者には恐ろしい相手になりそうだ」
「彼が出世したのは、剣や騎馬の腕だけじゃないですからね。
偉い方々も、彼の実力を知って敵に回せないからと早々に引き上げたのでは?」
「うーむ、騎士団員にしておくのはもったいないかもしれない。
その対人スキル、商売人になっても、すごく使えそうじゃないか?」
「確かに。
でも、あの見た目で商売人になったら、胡散臭すぎやしませんかね」
「一理あるな」
奥の深い雑談のさなか、個室のドアがノックされた。
「どうぞ」
「お連れ様がお着きです」
「ごめんなさい! 遅れてしまったわね」
入室してきたのは妙齢の女性。
アーネストの婚約者、ヘイズ伯爵家令嬢のミラベルである。
「いや、ミラベルは仕事が忙しかったんだろう?
来てくれただけで、とても嬉しいよ」
「アーネスト様、そんなふうに言ってくださるなんて、本当に優しい人ね!」
手を取り合って見つめ合う婚約者たちの横を通り過ぎながら、執事ダンが去り際の挨拶をする。
「では、私はこれで失礼します。
後は護衛に任せますので、何かありましたら彼に」
「心配ない。心置きなく休んでくれ」
そう言いながら、アーネストは婚約者から目を離さない。
この分だと、注文もとれずに店員が困りそうだ。
「注文は私がしてもよろしいですね?」
訊いてみるが返事がない。
ということは、ダメではないのだろうと判断した。
「では、本日のおすすめケーキを五つばかり出してください。
お茶もそれに合わせたもので。
後は、ご令嬢のお土産にいつものやつを」
「畏まりました。いつもお気遣いくださって、ありがとうございます」
「いえいえ。お互い、使われる身ですからね。
出来ることは助け合いましょう」
店員は深々と頭を下げた。
個室では、二人がソファに隣り合って座っていた。
節度を守って、触れているのは手だけだが離す気はないらしい。
「今日は、なにか成果があったかい?」
「ええ! よくぞ聞いてくれたわ。
ハンドクリームの香りづけがうまく行っていなかったでしょう?
花の産地で、新たな乾燥方法が開発されたの。
その方法だと、うまく香りが残って、素敵なハンドクリームになりそうよ」
「それはよかった」
「嬉しい、あなたは一緒に喜んでくれるのね」
ミラベルにはかつて婚約者がいた。
幼馴染で、お互いよく理解し合っていると思っていたのだが、それは彼女の勘違いだった。
女学校でよい成績を収め、この国では、あまり進んでいない基礎化粧品の研究をしたかったミラベルは、大学へ進む決意をした。
しかし婚約者は、それを認めてはくれなかった。
彼の両親は、女性が働くことは時代の流れでもあると、応援してくれたのに。
彼は大学へ進むなら婚約を解消すると告げてきたのだ。
ミラベルは仕方ないと諦め、すぐに婚約解消を承諾した。
『君は、俺より仕事を選ぶのか?』
あの時の、元婚約者の愕然とした顔は忘れられない。
つい、思い出し笑いをすると、見とがめられた。
「ん? 他の男のこと、考えているでしょう?」
「ええ、大当たりよ」
「悪いひとだな」
「ふふ。あのね、元婚約者のことを思い出したの。
わたしの一番の望みは、自分と結婚することだと勘違いしてた人の顔が浮かんだら、可笑しくって!」
「僕と結婚することは、君の一番の望みではないのかな?」
「間違いなく、一番の望みだわ!
こうして、わたしの気持ちを大事にしてくれるのだもの」
「元婚約者が、勘違い男で良かったよ。
彼が君の気持ちを考えてくれてたら、僕の出番は無かったんだから」
「そうね。ちょっと感謝しちゃいそうね」
アーネストとミラベルが出会ったのは、大学の研究室だった。
新しい商売のタネを探してアンテナを広げていたアーネストは、様々な研究室を見学させてもらっていた。
所属している研究室の教授よりも熱心なミラベルは、アーネストへの対応を任された。
そこに商売のタネを見出し、同時に一生懸命なミラベルに好感を持ったアーネストは数回研究室に通ったのち、彼女を食事に誘った。
それから、粘り強く彼女の話を聞き続け、最後はプロポーズに至ったのだ。
アーネストは、そろそろ勇退するという研究室の教授を口説き、彼を所長に据えて新たに基礎化粧品の研究所を設立した。
ミラベルは現在、そこの研究員として働いている。
結婚後は、研究所の顧問となる予定だ。
再びドアがノックされた。
「お菓子とお茶をお持ちいたしました」
「ありがとう」
店員が手早くテーブルをセットして出ていく。
ミラベルは目を輝かせてケーキを見つめた。
「さあ、頂こう。僕の優秀な執事が、ちゃんと注文を済ませてくれたようだ」
「気の利く執事さんを従えてる貴方に嫁げるなんて、やっぱり元婚約者に感謝ね」
その頃、気の利く執事さんは、モテる騎士団副団長と下町の食堂にいた。
「いや、ほんと助かったわ。ありがとう」
「女の子を捌くなんて朝飯前さ。
カフェにいる女の子は滅多に武器を隠し持ったりしていないからな」
「……隠し持ってる女の子に会ったことが?」
「まあ、時にはな。思いつめちゃうタイプの女の子もいるし。
恋愛以外の目的でハニートラップと実力行使の二段構えで来るのもいるし」
「副団長さんも大変だ」
「そうだなー。出世してからは、女の子よりそういうワケアリさんに超モテてるなー」
執事と副団長は、共に下町育ちの平民だ。
大人になってから知り合ったが、妙に馬が合うのでたまに一緒に飲む。
「うちの御主人はね、自分がモテないと思ってるんだ」
「どうしたら、そう思えるんだろうなー」
マクレナン伯爵家のアーネストと言えば、未婚の貴族男子中ナンバーワンの人気を誇るのだが、本人はそのことを知らない。
派手さはないが、よく見れば見るほど惹かれるようなルックス。
それを底上げする、品の良い洋服を始めとした最高級の身の回り品。
婚約者がいると知りながら、あわよくばと考える令嬢やその親たちが少なくない。
そんなわけで、執事であるダンは主人のガードに奔走する日々。
今日はカフェでデートする主人たちのために、知り合いの副団長を動員した。
デート中は執事が張り付いていても意味なかろうと、主人が休みをくれたのだ。
丁度、同じ日に休みだった友人のハロルドと飲みに行く約束をし、ついでだからとカフェで待ち合わせて、一仕事してもらうことにした。
人の心をよく知る副団長は、店にいる客全ての視線を見事に逸らしてくれた。
「うちの主人が、ハロルドが商売人になったら、相当売り上げるんじゃないかって」
「おおー、騎士団をクビになったら雇ってくれ」
「商売人になるには、顔が良すぎて胡散臭い、と推薦しておいた」
「推薦してない! 貶してるだけじゃないか」
「ははは」
ハロルドがクビになることは考えられないが、万一の怪我ということもある。
そうなった時、出会う機会さえあれば、きっと主人は手を差し伸べるだろう。
自分の時のように。
ダンは自分が拾われた時のことを思い出した。
父親が亡くなり、まだ子供だったダンは母親を支え、弟を抱えて苦労したのだ。
ギリギリの生活で、もう少しで悪いことに手を染めそうだった時、アーネストと出会った。
下町に人を訪ねたが迷子になったという彼に偶然出会い、道案内した。
自分と同い年くらいの子供で、身なりがいいのに無防備。
路地裏にでも入れば、追剥に会う可能性が高い。
殺されることはないだろうが、絶対とは言えない。
放っておけなくて、最後までつきあった。
用事が終わって礼をしたいと言う彼に、何と答えたものか、すごく迷った。
金持ちの子であろう彼からは、多めに礼金をもらっても罰は当たらない。
だけど、下町じゃ経験したことがないほど、丁寧に礼を言われた。
『君のお陰で本当に助かった。どうもありがとう』
自分は出来ることをしただけなのだ。
この礼だけで、充分な気がして何も言えなかった。
黙ったままでいると、彼が問うた。
『君の一番の望みは何?』
『……母ちゃんと弟が安心して暮らせること』
思わず本音が口に出た。
そしたらなんと、家族丸ごと雇ってくれるよう、彼の父親である会頭に頼んでくれたのだ。
挨拶に行くと、会頭に言われた。
「母親は今すぐ雇うが、子供二人は駄目だ」
「……」
「子供はまず、学校に行ってもらう。
雇うのは、卒業してからだな」
「あ、ありがとうございます」
ダンは、あの日決心した。一生、この主人一家に尽くすことを。
母親はそれ以来、商会の食堂で働いているし、弟のエディはアーネストの護衛になった。
時には弟に主人を委ね、休みをもらって友人と会うことも出来るのだ。
「なーにしんみりしちゃってんのさー」
「悪い、昔のことを思い出してな。
さ、もっと飲もう。料理の追加も……」
「おーし、今日は潰れるまで飲む!」
「いや、明日仕事あるんじゃ?」
「早めに潰れるから、家まで連れ帰ってくれ」
「……わかったよ」
ダンは、店から一番近い待合所はどこだったかな、と記憶を探る。
その頃、カフェの個室では、結婚後の生活が話題に上っていた。
「本当に、研究員は辞めてしまうの?」
「研究員は辞めるけど、研究所には関われるもの。
顧問なんて最高! 口を出すだけ出して、面倒なところは人任せに出来るんだから」
「自分で研究したいんじゃないかい?」
「たまには手を出すこともあるかもね。
だけど、基礎化粧品を実用化して普及させるには、研究だけじゃ駄目だもの。
任せられるところは任せて、目的を見失わないようにしなきゃ」
「賢い奥さんで嬉しい」
「まだ、奥さんじゃないわ」
「賢くて素敵な僕の恋人」
「ふふふ」
扉の外では、護衛として待機する執事の弟エディに、店員が話しかけてきた。
「そろそろ、お茶のお替りはいかがでしょう?」
「せっかく気遣っていただいて申し訳ないですが、もう十五分ほど後の方がいいかと」
「畏まりました」
エディは腕が立つことも間違いないが耳が良く、気配に敏いことでも信頼を得ていた。
主人も、その婚約者も仕事を抱えて忙しい身だ。
二人の時間を出来るだけゆっくり過ごして欲しいと、ギリギリまでタイミングを計るのだ。
『君の一番の望みは何?』
そう言って、いつも誰かに手を差し伸べる、モテないと勘違いしている大切な主人に少しでも恩返しがしたい。
そう思いながら、護衛は個室の扉を護り続けた。