始まる(6)
それから二日が経った。
彼女からの連絡は一切なし。大学内でも彼女の姿はない。彼女は「構わないで」と言う言葉を忠実に守っているのだろうか。自らそう言い放った手前、探しているのは恥ずかしいけれど、学生証のためにもう一度は彼女に会わねばならない。
僕は学食で空席を探すフリをして、彼女を探した。
相変わらず、食堂には人が多い。そして騒がしい。こんな中から彼女を見つけるなんて難しい。と、思っている矢先、彼女の後ろ姿を発見した。
「あ……いた。高坂さ……」
僕が話しかけようとしたところで、高坂さんの隣に人がいるのに気がついた。
「……藤原……?」
彼女の隣で笑う横顔は、藤原だった。
どうして高坂さんと藤原が一緒に? もしかして、あの文化祭で二人は知り合い、仲良くなったとか。そうだとしたら、やはり高坂さんはコミュ力おばけじゃないか。そんな人が僕と一緒にいるなんてどう考えてもおかしい。まあ、もう関わることもないけれど。
「あ、和泉」
藤原が僕に気づいて、さわやかな笑顔でこっちに手を振っている。高坂さんも振り返ってこちらを見ている。
ガッツリ目が合ったにも関わらず、僕は咄嗟に背を向けた。
「太陽くん」
彼女の僕を呼ぶ声を無視して走り始めた。
僕はきっと、あの瞳が嫌なんだ。あの瞳は僕を逃がしてくれない。だから目を合わせたくない。合わせる前に逃げようと思った。
しかし、僕はすぐに捕まった。僕の腕を掴む感触で彼女じゃないことは判ったけれど、それがまた僕の心をかき乱す。
「待てって、和泉。高坂ちゃんが呼んでただろ」
「なんで……藤原が、追いかけてくるんだよ」
「なんでって、お前が走るからだろ。高坂ちゃんから聞いたよ」
「聞いたって何を?」
「この前のこととか……高坂ちゃんの青春しようって提案に付き合っていることも。俺、馬鹿になんてしてないよ。楽しそうだなって思った」
僕たちが話していると、ようやく高坂さんが僕たちのもとにやってきた。
「太陽くん、なんで逃げるの?」
不思議そうな顔で僕を見る彼女に僕はイライラが募るばかり。
彼女に会うまではひどいことを言ってしまったという罪悪感でいっぱいだったのに、何故か僕は今、イライラしている。藤原の隣に立つ彼女に対して。
「……なんでって、この前言った通りだよ。君のせいで僕は馬鹿にされて、もううんざりだ」
「誰に馬鹿にされたの?」
「藤原とか……今はまだバレてないからいいけど、みんなきっと馬鹿にするに決まってる。ていうか、藤原と一緒で楽しそうだったし、いっそのこと僕じゃなくて藤原と二人で」
そこまで言ったところで、目の前にいる高坂さんの両手が動いて、気がついたときには両頬に衝撃が走っていて、じわじわと痛みを感じた。未だに僕の両頬には高坂さんの少しひんやりとした両手が当てられている。ビンタじゃなくて、両頬を挟まれたから痛みの逃げ場が無くて、より痛い気がする。
「……痛い……」
彼女に顔を挟まれたまま身動きの取れない僕がそう呟くと彼女は「当たり前でしょ」と言った。
僕はまた結局、この瞳に捕まってしまった。
「いい? 太陽くん。君はひねくれすぎ! 誰も君を馬鹿になんてしてない。藤原くんもしてない。そもそも、みんな君にそこまで興味無いし、見てないよ。気にしすぎなんだよ」
彼女の手が僕の頬からゆっくりと離れていき、次は僕の手に触れた。
「気にしすぎていたら、太陽くん自身が疲れちゃうよ。そんな楽しくないことやめようよ。そんな理由で楽しめないなんて、太陽くんの時間も人生ももったいないもん」
笑って「ね?」と言う彼女につられて、僕は思わず頷いてしまったけれど、実際、気持ちが軽くなった。確かに僕は周囲の目や顔色を気にしすぎていたのかもしれない。
「もし、馬鹿にされたり、いじめられたりしたら私が太陽くんを守るよ。私、君のために戦えるんだから。だからさ、もう少し、私と一緒に青春しよ」
僕はまた言いくるめられているのかもしれない、なんてひねくれた考えを一瞬してしまった。けれど、今まで誰も僕の手を取ってなんてくれなかったから、僕は、もういいや、と思ってしまった。
「ありがとう……それと、ひどいこと言ってごめん」
僕の言葉に高坂さんは「うん」と言って笑った。
「仲直りしてよかったな! てことで、俺も混ぜて欲しいんだけど」
藤原が僕と高坂さんの手の上にポンと手を重ねて言った。
「俺も君らと一緒に青春させて」
その言葉に僕は「え゛」とつい、言ってしまい、藤原は「なんだよ、嫌なのかよ~」と僕に抱きついてだるい絡み方をしてくる。
その一方で、高坂さんはキラキラした目をしている。
「いいね! それ、賛成!!」
「えー……藤原はさ、青春なんて嫌と言うほどしてきたんじゃないの? なんで今さら」
「青春なんて何回したっていいだろ!」
「太陽くんはなんでそんなに嫌そうなの?」
「嫌ってわけでは……なんかこう、モヤモヤするっていうか」
僕の言葉に藤原はハッとした表情を見せ、さらにはニヤつきだした。
「なんかやけに向きになるなと思ったら、嫉妬だったのかぁ」
「は?」
「いーや、こういうのは自分で気づいたほうがいい! 気にすんな! ってことで、俺もこれからよろしく、太陽と未央!」
「よろしくね、駿介くん」
一気に縮められた距離に「うわ、コミュ力お化けが二人も……」と僕はめまいを感じながらも、二人の友達が出来たことが嬉しかったようで、近くにあった窓ガラスに映った僕の口角は少し上がっていた。
まだ彼女の思考も青春も、僕には分からない。
ただ、僕の手を取ってくれる二人の手を、僕も取ろうと思った。